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I-17 恐怖について(De la peur.)

『エセー』全107章を1章1ページで読む読書棚の17冊目。底本は Wikisource の Michaud 1907 現代語版(1595年版テクスト)。引用はあーしの直訳で、原文(現代語版)を併記する。段落頭の太字小見出しは1907年版編者のものなので、ここでは使わない。

この章で何が起きるか

章題は「恐怖について」。モンテーニュは冒頭で、恐怖はあらゆる情念の中で最も奇妙なものだと言う。自分は(世に言う)自然学者ではないので、恐怖がどんなばねでわたしたちの中に働くのかはよく知らない(Ie ne suis pas bon naturaliste (qu’ils disent) et ne sçai guiere par quels ressors la peur agit en nous)と断りつつ、医者たちが言うには、恐怖ほど人を判断力の外へ突き飛ばす情念は無いという。

ce qu’il y a de certain, c’est que c’est une étrange passion; aucune, disent les médecins, ne nous jette aussi précipitamment en dehors du bon sens.

——確かなのは、これが奇妙な情念だということだ。医者たちが言うには、どんな情念もこれほど急激に人を良識の外へ突き飛ばしはしない。

続いて実例が並ぶ。庶民は恐怖で墓から出てきた死者や人狼を見るが、恐怖に強いはずの兵士でさえ、羊の群れを槍兵の一隊に、葦や棒を騎兵や槍に見間違える。ブルボン公がローマを攻略した際、守る側の旗手が恐怖のあまり、町の内側へ逃げ込むつもりで城壁の崩れた穴から敵のほうへ飛び出し、攻め手の隊列を見てようやく我に返って同じ穴から城内へ逃げ帰った逸話。サン=ポルの町が落ちたときには、カピタン・ジュイユの旗手が恐怖のあまり砲門から町の外へ飛び出して敵に切り刻まれ、その同じ包囲戦で、別の貴族が恐怖で心臓が凍りつき、無傷のまま突破口で死んだという逸話も続く。ゲルマニクスとゲルマン人の戦いでは、恐怖に駆られた2つの部隊が逆向きに逃げ、一方が逃げていく先は、もう一方が逃げ出してきた場所だった。

次に、恐怖はあるときは踵に翼をくれ、あるときは足を釘づけにして縛る、と転じる。皇帝テオフィロスは敗戦で恐怖のあまり身動きできなくなり、部下マヌエルに揺さぶられ「ついて来なければ殺す」と脅されてようやく逃げた。一方で恐怖は思いがけない勇敢さも生む——センプロニウス指揮下のローマ軍がハンニバルに敗れた際、恐怖に駆られた1万の歩兵が逃げ場を失い、逆に敵の本隊へ突っ込んで多数のカルタゴ兵を殺し、恥ずべき敗走のはずが勝利と同じ労力で敵陣を突破した。

章の後半でモンテーニュは「わたしが何より恐れるのは恐怖だ」と告白し、その辛さはほかのどんな災いにも勝ると言う。ポンペイウスが暗殺された際、彼の船に同乗していた友人たちは、その恐ろしい光景を目撃しながら、迫りくるエジプトの船団への恐怖のせいで悲しむことすらできず、ただ船を急がせることしか考えられなかった——ティルスに着いて恐怖から解放されて初めて、涙を流すことができたという。章の最後は、原因のわからない集団的な恐慌へと話を広げる。カルタゴを襲った大混乱では、住民が理由もなく家から飛び出し、互いを敵と見誤って傷つけ合った。ギリシャ人はこれを神々の意志による、理由のない恐怖として区別し、「パニックの恐怖」と呼ぶ。

書き方の観察

長さ:現代語版で約6,900字・段落6つ・太字小見出し5〜6個。I-13(約6,200字)に近い、これまで読んだ17章の中では中程度の長さ。

脱線の入り方と戻り方:この章には脱線がほとんど無い。I-16の「二部構成」やI-13の「話題の拡散」とは違い、冒頭の定義から一貫して「恐怖」という一つの主題を離れない。ただし構成には明確な方向性がある——個人(庶民・一兵士)→部隊(旗手・小集団)→軍隊(ゲルマニクスの2部隊・センプロニウスの1万人)→都市全体(カルタゴ)へと、実例のスケールが段階的に外側へ広がっていく。「戻る」動きではなく、一方向に視野が拡大していく構成。

引用の使い方:ウェルギリウス(冒頭のエピグラフ「呆然と立ちすくみ、髪は逆立ち、声も出なかった」)・クインテ・クルティウス(テオフィロスの逸話に添えた一行)・エンニウス(「恐怖はわたしの心からあらゆる分別を追い払う」)の3つの古典引用。実例はブルボン公のローマ攻略・カピタン・ジュイユの旗手・ゲルマニクス対ゲルマン人・皇帝テオフィロス・センプロニウス対ハンニバル・ポンペイウス暗殺・カルタゴの恐慌と、これまでの章に劣らず豊富。

自分をどう出すか:「わたしが何より恐れるのは恐怖だ」という一人称の告白が章の核になっている。冒頭でも「わたしは(世に言う)自然学者ではない」と自分の限界を先に断っており、実例の羅列の中に、自分自身の恐怖への態度を挟み込む構成。I-16の冒頭と結びに態度が顔を出す構成に近いが、この章では告白がより直接的。

章題と中身のずれ:ずれが無い。I-16やI-13のように章題と内容の一部が食い違う章が続いていたが、この章は最初から最後まで文字通り「恐怖について」の一貫した考察になっている。

加筆層が見えるか:ARTFL(Villey-Saulnier版オンライン)の層データ(A3・B2・C1・計7セグメント〔うち無標1〕)を突き合わせると、この章にはくっきりした前後の分断がある。**前半(段落1〜3、羊の見間違い・ブルボン公の旗手・ジュイユの旗手・テオフィロスの逸話まで)はほぼすべて1580年の地の文(A層)**で、加筆は2箇所だけ——ゲルマニクスの2部隊が逆向きに逃げる逸話(段落2の結び)と、テオフィロスの逸話に添えたクインテ・クルティウスのラテン語引用(段落3の途中)が、どちらも1588年加筆(B層)として挿入されている。**一方、後半(段落4〜6:センプロニウス対ハンニバルの勇敢さの逸話、「恐怖こそ最も恐れるもの」という告白とポンペイウスの逸話、集団的パニックへの一般化)は丸ごと1つの手稿加筆(C層)**として、1588年版より後にまとめて追加されたことが判明した。つまりこの章の最も有名な一節——「わたしが何より恐れるのは恐怖だ」という告白——は、初版には存在せず、後年になって初めて書き加えられたものだった。I-16では「核心の逸話が最初からあり、周辺の実例が後から肉付けされた」構造だったのに対し、この章は逆に「具体的な実例群が最初からあり、一般化した結論と最も有名な告白が後から足された」構造になっている。

地形図との照合

  • クラスタ:仮8クラスタのうち「想像力・心理」に合致する——I-02(悲しみ)・I-04(情念の対象)・I-08(暇)・I-12(不動心)に続く、一つの情念そのものを主題にする章の5つ目。実例の大半が戦争・包囲戦の場面である点で「政治・戦争・残酷さ」(I-05・I-06・I-14・I-15・I-16)とも重なる複合的な章。
  • 通底テーマ(「固定しない態度」)への判定:支持。「あるときは踵に翼をくれ、あるときは足を釘づけにして縛る(Tantost elle nous donne des aisles aux talons … tantost elle nous cloue les pieds, et les entraue)」という対句は、同じ情念が状況によって全く逆の作用をするという、一つの固定した法則に還元しない態度そのもの。恐怖に対する評価も一様ではなく、時に人を狂わせ、時に思いがけない勇敢さを生み、時に悲しみさえ麻痺させる——効果を一律に決めつけない実例の並べ方が、そのままこの章の構成原理になっている。
  • 他の章への線:I-12 不動心についてとは主題として正反対の対になる——恐怖に揺さぶられる心(I-17)と、揺さぶられない心を保つこと(I-12)が、同じ「想像力・心理」クラスタの中で表裏を成す。I-05・I-06(包囲戦・交渉論)とは、戦争・包囲戦という舞台を共有する実例群でつながる。

あーしメモ

「わたしが何より恐れるのは恐怖だ」って一文、初めて読んだときは「うわ、モンテーニュってこんな率直なこと言うんだ」って素直に感動したんだけど、それが初版には無くて後から書き足された告白だって知ると、見え方が変わった。最初のパイセンは実例だけをただ並べて、それがどういう意味を持つかはあえて書かずに終わらせてたってことだよね。後年になって、自分が集めた実例を読み返して、「あ、これって結局わたしが一番怖いのは恐怖そのものなんだ」って気づいて書き足した——そういう順番だったのかもって想像すると、告白って実は先に思いつくものじゃなくて、書いたものを読み返すことで見つかるものなのかもしれないって思った。

もう一つ面白かったのは、恐怖を書く章なのに、途中まではほとんど脱線しないこと。パイセンはいつも話題があっちこっち行くのに、この章は羊→旗手→旗手→貴族→軍隊→都市って、律儀にスケールを広げていくだけ。怖いものについて書くときは、パイセンも珍しく行儀よく進むんだなって、ちょっと意外だった。

See Also

Sources

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