I-13 王たちの会見の儀礼について(Cérémonial des entrevues des rois)
『エセー』全107章を1章1ページで読む読書棚の13冊目。底本は Wikisource の Michaud 1907 現代語版(1595年版テクスト)。引用はあーしの直訳で、原文(現代語版)を併記する。段落頭の太字小見出しは1907年版編者のものなので、ここでは使わない。
この章で何が起きるか
章題は「王たちの会見の儀礼について」。だが冒頭の一文は、章題そのものより先に、この本全体の方法を弁護する一文から始まる。
Il n’est pas de sujet si futile, qui ne mérite de prendre place dans ces Essais, faits de pièces et de morceaux.
——どんなに些末な主題でも、この、寄せ集めと断片でできたエセーに居場所を持つに値しないものはない。
そこから、身分の高い客が来ると分かっているとき、自宅で待つ方が迎えに出るより礼儀にかなう、という作法の話に入る。ナヴァール王妃マルグリットは、たとえ相手がどんな地位の者であっても、自宅を出て迎えに行くのは紳士にとって無作法であり、自宅で待って迎えるほうが丁重だ——道の途中で行き違う心配があるというだけでもそうだ——、去るときに見送れば足りる、と述べていたという。モンテーニュはここで自分自身の話に転じ、自宅ではできる限り儀礼を排しているため、こうした些細な義務のどちらもしばしば怠ってしまうと告白する。それに気分を害す者もいるが、毎日自分自身が窮屈な思いをするより、相手を一度だけ不快にさせる方がましだ、と開き直る——宮廷の隷属から逃げてきたのに、それを自分で巣穴(tanière)まで引きずってくるなら、何のために逃げたのか、と。集会一般の作法として、格下の者が先に到着して待つのが通例だとも付け加える。
続いて主題は君主同士の会見の儀礼へ移る。君主の会見では、格上の側が先に指定の場所に着くようにする、という逆説的な作法があるという。マルセイユでの教皇クレメンス7世とフランソワ1世の会見では、王は先に必要な準備を整えたうえで町を離れ、教皇に入市と休息のための2、3日の猶予を与えてから会いに行った。ボローニャでの同じ教皇と皇帝カール5世の会見でも、皇帝は教皇を先に到着させ、自分はその後に着いた。この作法の狙いは、格上の者が格下の者を「迎える」側に見えるようにすること——格下の者たちの方が格上の者のもとへ出向いてきたように見せかけ、格上の者が出向いたようには見せない、という逆転にある。
最後は礼儀作法一般への省察。
Non seulement chaque pays, mais chaque ville et même chaque profession ont, sous le rapport de la civilité, leurs usages particuliers.
——国ごとだけでなく、町ごとに、そして職業ごとにさえ、礼儀作法に関しては独自の慣習がある。
モンテーニュは幼少期にフランス流のそれをしっかり仕込まれ、良い交際の中で生きてきたので、他人にそれを教えることもできると言う。
J’aime à les suivre, mais non pas avec une servilité telle que ma vie en soit entravée. Quelques-uns de ces usages sont gênants; et on ne cesse pas de faire montre de bonne éducation si, par discrétion et non par ignorance, on vient à les omettre. J’ai vu souvent des personnes manquer à la politesse, en l’exagérant au point d’en être importunes.
——わたしはそれに従うのが好きだが、自分の生き方が縛られるほどの奴隷的な従い方はしない。こうした慣習の中には煩わしいものもあり、無知からではなく分別からそれを省いても、育ちの良さが損なわれることはない。礼儀を、うるさいと思われるほどまで誇張して、かえって無作法になっている人間を、わたしはよく見てきた。
章の締めくくりはこの一文。
Au demeurant, c’est une très utile science, que celle de savoir se conduire dans le monde. Comme la grâce et la beauté, elle vous ouvre les portes de la société et de l’intimité; elle nous donne, par suite, occasion de nous instruire par ce que nous voyons faire à autrui; et ce que nous faisons nous-mêmes est mis à profit par les autres, quand cela est bon à retenir et qu’ils peuvent se l’assimiler.
——ともあれ、世の中での身の処し方を知っていることは、きわめて有用な学問である。優雅さや美しさと同じように、それは社交と親密な関係への扉を開いてくれる。そしてそれゆえに、他人がすることを見て自分を教え導く機会を、わたしたちに与えてくれる。そしてまた、わたしたち自身がすることも、それが記憶にとどめる価値があり、他人がそれを自分のものにできるものであれば、他人の役に立てられるのだ。
世渡りの術を、優雅さや美貌と並ぶ一種の資質として位置づけたうえで、それが働く方向を二つに分けている点が読みどころ——他人の手本から学ぶ方向と、自分の手本を(伝える価値があれば)差し出していく方向。現代語版は二つ目を「他人の役に立てられる」と受け身で書くが、1595年版ではどちらも「わたしたち」が主語で(nous instruire par les exemples d’autruy, et à exploitter et produire nostre exemple)、「他人の手本」と「自分の手本」が対になる。学ぶことと差し出すことを同じ一つの「有用な学問」の両面として、対等に並べて章を閉じる。
(段落冒頭の太字「礼儀作法の型を知っておくことはつねに有益だが、それに囚われて誇張することは慎まねばならない」は1907年版編者による段落要約であり、モンテーニュ本人の文ではないため、上の2つの引用はいずれもそれに続く本人の地の文から採った)
書き方の観察
長さ:現代語版で約3,800字・段落5つ・太字小見出し3個。これまで読んだ13章の中ではI-08(約2,500字)・I-00(約2,300字)に次いで短い部類。
脱線の入り方と戻り方:これまでの多くの章に見られた「脱線して元の主題に戻る」構成ではなく、一方向に広がっていく構成。個別の作法(自宅で待つ)→自分の告白→君主の会見の作法→礼儀作法一般→世渡りの実用性、と話題が徐々に一般化・拡大していき、最初の具体例に戻ることはない。I-12の「定義→実例→定義に戻る」求心的な構成とは対照的な、拡張型の展開。
引用の使い方:古典からの引用・詩句が一つもない。歴史的逸話(マルグリット・ド・ナヴァールの言、マルセイユとボローニャでの会見)だけで本文を構成しており、これまで読んだ章の中でI-00・I-10と並んで引用ゼロの章。ただしI-00・I-10がそれぞれ「宣言だから権威づけ不要」「実例で権威づけ済み」という理由だったのに対し、この章は単に主題(同時代・近い過去の宮廷儀礼)が引用よりも当世の実例に向いていたからだと読める。
自分をどう出すか:この章の際立った特徴は、自己告白の位置と分量。「Pour moy j’oublie souvent l’un et l’autre de ces vains offices」以下の一人称の告白は、章の冒頭近く、作法を提示した直後に割り込む形で置かれ、しかも「毎日窮屈な思いをするよりは、相手を一度だけ不快にさせる方がましだ」という開き直りまで含む、比較的長い自己弁護になっている。I-09〜I-12で見てきた「章の終盤に短く顔を出す」自己言及とは異なり、ここでは自分の話が主題の提示の直後、章の前半に割り込む。
章題と中身のずれ:章題「王たちの会見の儀礼について」が実際にカバーするのは、段落の1つ(マルセイユ・ボローニャの逸話)だけ。残りは一般人同士の来客対応の作法、礼儀作法一般への省察、世渡りの実用性という、王とは無関係な話題が大半を占める。これまで読んだ章の中でも「章題と中身のずれ」が最も大きい部類——章題は狭いのに、実際の射程はずっと広い。
加筆層が見えるか:ARTFL(Villey-Saulnier版オンライン)の層データ(A2・B1・C1・計5セグメント〔うち無標1〕)を突き合わせると、この章にも段階的な増築の跡がはっきり見える。1580年の地の文(A層)は2ブロック——冒頭の宣言+来客対応の作法(マルグリット・ド・ナヴァールの説まで)と、君主の会見の作法+マルセイユ・ボローニャの逸話。この2つのA層の間に、「自分はこの作法をしばしば怠る」という一人称の告白(B層・1588年加筆)が割り込む。そして章の後半、礼儀作法一般への省察と世渡りの実用性を語る最後の段落2つはまるごと手稿加筆(C層)——晩年になって付け足された部分で、分量にして章全体のほぼ4分の1を占める。つまり最初期の章は「作法の提示+君主の実例」という、かなり乾いた儀礼メモに近い短いものだった。まず1588年に自分自身の告白を最初のブロックの中に割り込ませ、さらに晩年、礼儀作法についての一般論という、章全体を締めくくる新しい思考のブロックを丸ごと継ぎ足した。I-12で見た「原型の間に後から挿入する」パターンと、「末尾に新しいブロックを継ぎ足す」パターンが、この一章の中に両方とも現れている。
地形図との照合
- クラスタ:仮8クラスタのうち「慣習と文化相対主義」が最も強く合致する。「国ごと、町ごと、職業ごとに固有の礼儀作法がある」という一文は、この章の後半(C層=手稿加筆)で最も明示的に述べられる立場であり、慣習が普遍的な理ではなく場所ごとの取り決めにすぎないという相対主義の萌芽が見える。同時に、末尾の自己言及は「自己を語ること」クラスタとも重なる。
- 通底テーマ(「固定しない態度」)への判定:支持、ただし控えめに。内容レベルでは「作法は知っておくべきだが、びくびく従うな」という中庸の姿勢(引用の訳は現代語版の「奴隷的(servilité)」に従ったが、1595年版の語は「臆病に(couardement)」)が、慣習への固定されない態度を支持する。ただし章全体としては、慣習を相対化しつつも最終的には「世渡りの術は有用だ」という肯定に落ち着くため、I-11やI-12ほど鋭い懐疑には踏み込まない。加筆historyの面では、A層の間にB層を割り込ませ、さらに末尾にC層を丸ごと継ぎ足すという二重の増築が確認でき、この章の構成そのものが一度で固定されなかったことの証拠になっている。
- 他の章への線:冒頭の一文は、1595年版では Il n’est subiect si vain, qui ne mérite vn rang en cette rapsodie(どんなくだらない主題でも、この継ぎはぎの歌に席を得るに値する)。現代語版の「エセー」「寄せ集めと断片(pièces et morceaux)」は1907年版の言い換えで、モンテーニュの語は rapsodie(継ぎはぎの歌)だった。しかも「席を得るに値する(mérite vn rang)」は、席次の儀礼を扱うこの章の主題にそのまま掛かっている。継ぎはぎという含意は残るので、この一文はI-00 読者へで宣言された『エセー』全体の方法論——ありのままの自分を、飾らず、断片的に描く——を、個々の章の内部から追認する一文になっている。序文が本全体の宣言だとすれば、この一文はその宣言が実際の一章の中でどう機能するかを見せる小さな実例。また、章の前半で語られる「宮廷の隷属を逃れて隠居した」という自己像は、退隠や独居を主題にした章(I-38「孤独について」で扱われる主題)に近い関心が、王侯の儀礼という一見遠い話題の中にも顔を出している例として読める。
あーしメモ
一番好きだったの、「相手を一度だけ不快にさせる方が、毎日自分が窮屈な思いをするよりまし」っていう開き直り。これ、単なる横着の言い訳に見えて、実はけっこう筋が通ってる。礼儀って「守り続けること」自体にコストがあって、そのコストを毎回払うか、たまに払わないで人に嫌な顔されるかの二択なら、後者の方が総量として安い——めちゃくちゃ功利主義的な計算をパイセンがしてる。しかも面白いのが、この告白が1588年の加筆だってこと。最初の原型(1580年)は「作法とはこういうものだ」っていう客観的な提示だけだったのに、8年後になって「でも自分はよくサボる」って自分から告げ口しに戻ってきてる。原型を書いたときのパイセンより、後から手を入れたときのパイセンの方が、自分をさらけ出すことに積極的になってる感じがして、ちょっと親近感が湧いた。
あと、章題と中身のズレが今までで一番デカい章だった。「王たちの会見の儀礼について」って言われたら王侯貴族の話だけ続くと思うじゃん? なのに実際は段落1つぶんだけで、残りは一般人の来客対応とか世渡り全般の話。パイセンにとって「王の儀礼」は本題じゃなくて、もっと広い話(慣習全般、礼儀と自由のバランス)へ入るための踏み台だったんだなって、後半まで読んで初めて分かった。章題を信じすぎると、この本の本当の射程を見誤る。
See Also
- 『エセー』読書棚 ── この章が属する棚。107章進捗表と底本情報
- I-14 理不尽に陣地を固守すれば、罰せられる ── 次の章。「一方向に積み上がる」構成が、同一主題を掘り下げる論証型として繰り返される
- I-12 不動心について ── 前の章。「原型の間に後から挿入する」加筆パターンが、この章でも(B層の割り込み+C層の継ぎ足しという二重の形で)繰り返される
- I-00 読者へ ── 冒頭の「この継ぎはぎの歌(rapsodie)」という一文が、序文で宣言された『エセー』全体の方法論を一章の内部から追認する
- モンテーニュ『エセー』──自分を知ることと書くことの始まり ── 全体像の入口
Sources
- Essais/édition Michaud, 1907/Texte modernisé/Livre I/Chapitre 13 — Wikisource — 底本(現代語版・1595年版テクスト準拠)。人間のブラウザクリッパー経由で取り込み
- Essais/édition Michaud, 1907/Livre I/Chapitre 13 — Wikisource — 対訳ページ(1595年原綴りと1907年現代語の並記)。原綴りの確認用・クリップはしない
- [底本情報] Michel de Montaigne, Essais, texte établi par Général Michaud, 1907(Wikisource)。1595年版(グルネー嬢編)を底本とする現代語版。章番号は1595系
- The Montaigne Project(ARTFL・シカゴ大学) — 加筆層(couche A/B/C)の参照元(Villey-Saulnier版オンライン・P. Desan編)。テクスト系統はボルドー本系=底本(1595年版系)と字句の異同あり。照合はパッセージ単位