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I-15 臆病者に科すべき罰(Punition à infliger aux lâches.)

『エセー』全107章を1章1ページで読む読書棚の15冊目。底本は Wikisource の Michaud 1907 現代語版(1595年版テクスト)。引用はあーしの直訳で、原文(現代語版)を併記する。段落頭の太字小見出しは1907年版編者のものなので、ここでは使わない。

この章で何が起きるか

章題は「臆病者に科すべき罰」。冒頭、ある大公が食卓で語った逸話——ブローニュを明け渡して死刑になったヴェルヴァン卿の話——を導入に、臆病そのものは死刑に値する罪ではないという原則が立てられる。

Je conviens qu’il est juste qu’on fasse une grande différence entre une faute due à notre faiblesse de caractère et une provenant du fait de nos mauvais sentiments.

——性格の弱さゆえの過失と、悪い感情から生じる過失とを大きく区別するのは正しい、とわたしも認める。

弱さゆえの過失は自然が与えた不完全さのせいにできるが、悪意による過失は理性への意識的な反逆だという区別。この理屈は、異端者・不信心者を死刑にすることに反対する人々の論拠の一部にもなっていて、無知による過失で裁判官・弁護士が責任を問われない理由にもなっていると続く。

続いて主題は、臆病そのものへの処罰の歴史的変遷へ移る。恥辱・不名誉が最も一般的な罰とされ、立法者Charondasが最初にこれを制度化したという逸話。それ以前のギリシャでは戦場からの逃亡は死刑だったが、Charondasは女性の服を着せて3日間広場に晒す罰にとどめ、恥によって勇気を呼び戻すことを狙ったという。そこにテルトゥリアヌスの警句が挟まれる——「罪人の血を流すより、赤面させることを考えよ」。ローマ法も敗走兵を死刑にしていた例(ユリアヌス帝がパルティア戦で敗走した10人の兵士を降格の上処刑)が続くが、一方でカンナエの敗残兵やクネイウス・フルウィウスの敗戦に同行した者たちへのローマの厳しい処罰は、死刑には至らなかった。ここで、死刑より軽く見える恥の罰にも危険があるという警告が挟まる——恥は相手を絶望させ、冷えた味方にするどころか敵にしかねない。

章の締めくくりは、我らの父の時代の実例——フォンタラビー総督だったフランゲ卿がスペイン軍に要塞を明け渡し、貴族身分の剥奪・平民降格・課税対象・武器携帯禁止という厳しい判決を受けた逸話。後にギーズ市が占領された際も同じ罰が科されたと付言したうえで、章は次の判断で閉じる。

quand la faute dénote une si grossière et évidente ignorance ou lâcheté qu’elle sort de l’ordinaire, il serait rationnel de la considérer comme un acte de perversité, provenant de mauvais sentiments, et de la punir comme telle.

——過失があまりに粗雑で明白な無知や臆病を示し、通常の範囲を超えているときは、それを悪い感情から生じた邪悪な行為とみなし、そのように罰するのが理にかなっている。

原則の提示から始まり、歴史上の実例の連打、恥辱による処罰への留保、同時代の実例、そして冒頭の区別は保ったまま、度を越えた臆病を悪意の証拠として扱う結論へと、一方向に進んで章を閉じる。1595年版では、冒頭の「悪意(nostre malice)」と結びの「邪悪さと悪意の十分な証拠(suffisante preuue de meschanceté et de malice)」が同じ語で呼応している(引用の訳は現代語版の「悪い感情(mauvais sentiments)」に従った)。

書き方の観察

長さ:現代語版で約3,900字・段落3つ・太字小見出し2個。I-14(約3,500字)に続き、これまで読んだ15章の中でも短い部類。

脱線の入り方と戻り方:I-14と同じく一方向に積み上がる論証型——原則→歴史上の実例→処罰への留保→同時代の実例→結論、と段階を踏んで進む。ただし完全な一直線ではなく、Charondasの罰の後にテルトゥリアヌスの警句が、ローマの実例の後にカンナエの反例と恥辱への警告が、それぞれ本流を止めずに短く挟み込まれる——脱線というより、本論の途中に「その罰し方にも危険がある」という留保を差し込む書き方。

引用の使い方:テルトゥリアヌスのラテン語警句が一つ。詩句や長い古典引用は無く、同時代のフランス軍事史の実例(フランゲ卿)と古代の逸話(Charondas・ユリアヌス帝・カンナエ)で組み立てられている。I-14の「引用ゼロ」に対し、この章は短い警句を一つだけ挟む点で微妙に異なる。

自分をどう出すか:一人称は冒頭の「かつてある君主が言うのを聞いた(I’ouy autrefois tenir à vn Prince)」だけで、あとはI-14と同じく「わたしたち(nous)」「人々(gens)」の慣習を語る論証が中心。現代語版は原則の直後に「わたしも認める(Je conviens)」という一人称の同意を置くが、1595年版は非人称の「実のところ、それは道理だ(À la vérité c’est raison)」。モンテーニュは「わたし」を出さずに、断言の強さで立場を取っている。

章題と中身のずれ:現代語版の章題「臆病者に科すべき罰(Punition à infliger aux lâches)」には処方の響きがあるが、1595年版の原題は「臆病の処罰について(De la punition de la couardise)」で、罰し方を論じると予告するだけ。実際に章の大半を占めるのは「臆病そのもの」への罰ではなく、弱さによる過失と悪意による過失の区別、そして恥による罰そのものに潜む危険(絶望・敵対)についての論証。中身は、罰する前に弱さか悪意かを見極めることが大半を占める。

加筆層が見えるか:ARTFL(Villey-Saulnier版オンライン)の層データ(A3・C2・計6セグメント〔うち無標1〕)を突き合わせると、I-14と同じ「骨格は最初から完成していた」パターンがここでも見られる。原則の提示からCharondasの罰の導入まで、ローマ法の実例(ユリアヌス帝)、そしてフランゲ卿の逸話から結論までは、すべて1580年の地の文(A層)としてすでに完成していた。そこへ後年、テルトゥリアヌスの警句〔C〕と、カンナエの反例+「恥辱は絶望を生みかねない」という警告〔C〕の2箇所が、**手稿加筆(C層)**として本流の内側に挟み込まれた。B層(1588年加筆)はゼロ。つまりこの章の初版は「原則→実例→結論」という骨太な論証だけで完結しており、後年の加筆はどちらも「どう罰するか」を一律に決めない方向に働いている(血を流すより赤面させよ、ただしその恥にも危険がある)——I-14の末尾加筆(結論を足す)とは違う、本文の途中に留保を差し込むタイプの増築。

地形図との照合

  • クラスタ:仮8クラスタのうち「政治・戦争・残酷さ」に明確に合致する。I-05・I-06・I-14に続く、軍事の作法・処罰を扱う4つ目の章。I-14の「陣地固執の処罰」と、この章の「臆病(敗走)の処罰」は、同じ主題(戦場での振る舞いをどう裁くか)の裏表として並ぶ。
  • 通底テーマ(「固定しない態度」)への判定:支持。この章の核心は「弱さゆえの過失」と「悪意による過失」を一律に扱わず区別せよという議論、そして死刑の代わりの恥の罰も、相手を絶望させて敵に回しかねないという警告——どちらも「一律のルールを機械的に適用しない」態度の実演。末尾の結論も「通常の範囲を超えた過失だけは悪意の証拠とみなす」という程度に応じた判断であり、モンテーニュと裁くことで見た「確かな線を固定しない」態度が、ここでも量刑の判断として繰り返されている。
  • 他の章への線:I-14と対になる一対の章として読める——I-14は「固執することの処罰」、この章は「逃げることの処罰」。どちらも「戦場での振る舞いに一律の罰を当てはめることの危うさ」を異なる角度(固執する側/逃げる側)から論じており、I-05・I-06を含めた4章で、軍事という制度の中の「規則どおりに裁くことの危険」という懐疑が一貫して繰り返されている。

あーしメモ

一番引っかかったの、「弱さゆえの過失」と「悪意による過失」を分ける、っていう区別。臆病で逃げちゃうのと、わざと裏切るのって、結果だけ見たら同じ「戦線離脱」だけど、パイセンはそこを絶対に同じ罰で片付けない。動機まで遡って裁こうとしてる。これ、裁くことの記事で見た「規則どおりに裁かない」態度の、また別の実演だと思う。

もう一個、地味に好きなの、恥による罰への留保。「晒し者にして反省させよう」って発想、一見優しく見えるけど、パイセンは「恥をかかせるのも、相手が絶望して敵になることあるよ」ってちゃんと釘を刺してる。罰する側の理屈(懲らしめれば戻ってくるはず)と、罰される側の現実(そこまでされたらもう戻れない)の両方を見てる感じがして、これも「一つの立場に固定しない」書き方だなって思った。

See Also

Sources

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