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16世紀の jugement ── 判決・判断・判断力が一語に重なっていたころのモンテーニュ

何を調べたか

モンテーニュの『エセー』には jugement という語がくり返し出てくる。日本語にするとき、「判断」と訳すか「判断力」と訳すかで迷う。フランス語の jugement は、判断すること(行為)と、判断する力(能力)の両方を一語で言える。日本語ではそれが二つの語に分かれてしまう。しかも「判断力」と書くと、カント『判断力批判』以後の「能力」の話がうっすら混ざってくる。

この記事では「カントとどう違うか」は問わない。問うのは「16世紀に jugement(ラテン語 iudicium)は何を指していたか」だ。手がかりは4つの方向から集めた。

  1. 辞書 ── TLFi の語源欄(どの意味がいつ現れたか)と、DMF・エティエンヌ(1539・1549)・ニコ(1606)・コトグレーヴ(1611)・リトレの歴史欄(同時代の辞書で何が並んでいたか)
  2. 法廷 ── Chayes(2015)。評定官としてのモンテーニュが、判決文で jugement をどう書いたか
  3. 懐疑論 ── Eva(2013)。判断を差し控えると言う人が、なぜ判断を働かせ続けるのか
  4. 教育論 ── 押村(1957)・折橋(2003)・Hansen(2002)。「判断の教育」と呼ばれたモンテーニュの教育観で、jugement が何を指していたか

辞書から ── 「判決」の上に「能力」が積もった語

フランス語の歴史辞書 TLFi(CNRTL)の語源欄は、jugement の意味を年代順に並べている。

年代 意味 初出として挙がる文献
1100頃 法廷や裁判官が言い渡す判決 『ローランの歌』
12世紀初め 最後の審判(神が生者と死者を裁く) 『聖ブランダン航海記』
1165頃 法廷の外での評価・賛否・非難 ブノワ・ド・サント=モール『トロイ物語』
15世紀前半 意見 シャルル・ドルレアン『バラード』
1370-72 比べて判断する精神の能力(faculté de l’esprit qui compare et qui juge) オレーム訳『倫理学』
1637 ある主張を真として立てる心の決定 デカルト『方法序説』

いちばん古いのは法廷の意味で、そこから法廷の外の評価・意見へ広がっている。「能力」の意味は14世紀のオレームに出ていて、『エセー』初版(1580)より200年ほど早い。つまりモンテーニュが書いたころの jugement には、判決・評価・意見・能力の意味がもう重なっていた。「能力」は16世紀に生まれた新しい用法ではない。

ただしこの表から言えるのは、どちらの意味もありえたことまでだ。モンテーニュがそれぞれの箇所でどの意味で使ったかは、文脈を見ないと決まらない。TLFi は16世紀の用例を挙げていない。だから次の節で、モンテーニュの前後の辞書を直接引いた。

16世紀の辞書から ── 能力の意味はずっとあるが、ページを法廷が埋めたのは1540年代

TLFi の年表を、ほかの辞書でも確かめた。モンテーニュより前の時代のフランス語は、現代の中期フランス語辞典 DMF(1330-1500年のフランス語を扱う)で見た。モンテーニュと同じ16世紀の辞書は三つ引いた。ロベール・エティエンヌの『仏羅辞典』の初版(1539)と増補版(1549)、それにジャン・ニコの『フランス語宝典』(1606)だ。英語の側からは、ランドル・コトグレーヴの『仏英辞典』(1611)を見た。最後に、19世紀のリトレの歴史欄も見た。

見たいのは、それぞれの辞書のページで、能力の意味と法廷の意味がどのくらいの割合で並んでいるかだ。ただし辞書の用例の数は、編者が選んで載せた数だ。当時その語がどの意味でどれくらい使われたかを、そのまま表すわけではない。

DMF(1330-1500) の jugement は、大きく二つに分かれている。I が「判断する行為とその結果」、II が「判断する能力」。I はさらに三つに分かれる。法廷(裁判・判決・arrêt de justice・管轄)、その類推(人が下す判定・神の審判・愛の神の裁き)、そして法廷の外(「吟味のあとで固まった意見」、医者の診断、占星術の予言、狩りで獲物の跡を読むこと、夢解き)だ。II は、「その場その場で判断する力」と「判断を下す精神の能力、悟性(faculté d’entendement)」に分かれる。

例文つきの完全版で、出典の付いた用例を数えた。法廷がおよそ63、その類推が39、法廷の外が44、能力は4つだけ。能力の4つは、どれも1360〜80年代の学者の文章から採られている。オレーム訳のアリストテレス『倫理学』、サン=ジルのヒポクラテス注解、フーレシャ訳のソールズベリーのジョン『ポリクラティクス』、それにガストン・フェビュスの『狩猟の書』(「犬はものわかりがよく、大きな判断力を持つ」)。中期フランス語の jugement は、まず法廷と神の裁きの言葉で、能力の意味は学問の翻訳の中で育ちはじめたところだった、と読める。

ただし、境目ははっきりしていない。法廷の外の項には「原罪の前の人間は、誤ることのない真の判断を持っていた」(ジェルソン、1401)や、「理性の熟慮した判断」(1451)といった用例も入っている。働きとしての判断と能力としての判断力のあいだは、薄い。

エティエンヌ(1539) は仏羅辞典なので、フランス語の言い回しごとにラテン語の訳が並ぶ。見出しの Iugement に付くラテン語は四つ。Arbitrium(裁量)、Opinio(意見)、Interpretatio(解釈)、Iudicium(判断・裁判)。そのあとに28の言い回しが続く。能力の用例もちゃんとある。

  • 「すべての人が分け持っている、この判断と理性」── Sensus communis
  • 「大きくて鋭い判断」── Peracre iudicium。「ほどほどの判断」── Modicum iudicium
  • 「何についても良い判断を持つ人」── Elegans in omni iudicio
  • 「わたしの判断では」── Meo quidem animo, Mea sententia

大きい・鋭い・ほどほど、と量れるものとして書かれている。これは能力の言い方だ。それに「わたしの判断では」は、『エセー』にいくらでも出てくる言い回しでもある。

28の言い回しをざっくり分けると、法廷が11(ほかの裁判官の指針になる判決、金で出された判決、法廷に出頭する、告発しに出る……)、能力が6、法廷の外の判断や意見が10、どちらとも言いにくいものが1つ。1539年の jugement のページは、法廷・判断・能力がおおむね釣り合っている。

エティエンヌ(1549) で、ページの様子が変わる。この増補版では、初版の28行のあとに、「B.」の印の付いた法廷の言い回しが45行足された。項は3ページにまたがり、法廷の言い回しが337ページをまるごと占めて、338ページの頭まで続く。「中間判決を出す」「判決を三か月引き延ばす」「恐れや贔屓や買収で出された判決」「判決の理由を書く」。

「B.」が何かは、序文に書いてある。ここのラテン語の大半は「故ビュデ氏」のもので、そのうち B を付けたのは、ビュデの死後に子どもたちが渡してくれた彼の本から写した語だけだ、と。ギヨーム・ビュデは人文主義の法学者で、1540年に亡くなった。法廷の言い回しの層は、1540年から1549年のあいだにこの辞書に入ったことになる。

ニコ(1606) は、この1549年の項をほぼそのまま引き継いでいる。前半の28行も、後半の「B.」の45行も、順番まで同じだ。前の回、あーしはニコの項を見て、「16世紀の辞書のページの大半は法廷だ」と書いた。でも、その大半はニコの時代のものではなかった。モンテーニュが16歳だった1549年に、もう入っていた層だ。

juger の項にも、TLFi に無かったものが二つある。

一つは、「わたしにはどう判断していいかわからない(Ie n’en scay que iuger)」の訳が Nequeo satis decernere(十分に決めきれない)だということ。これは1539年の初版からある。判断がつかないことは、決めきれないことだった。

もう一つは、法廷の定型句が並んでいること。「誤って裁かれた、正しく控訴された(Mal iugé, bien appelé)」「法院は、誤って裁かれたと言う(La Cour dit qu’il a esté mal iugé)」。どちらも1549年版で、もう「B.」付きで載っている。モンテーニュがボルドー高等法院の評定官になる前から、辞書に載っていた言い回しだ。シャイエスが判決文の中に見つけた「il a été mal jugé」は、モンテーニュが作った言い回しではなく、控訴審のありふれた決まり文句だった。シャイエスの指摘は、同僚よりもこの決まり文句を多く使った、という頻度の話として読むのが正しい(次の節)。

コトグレーヴ(1611) はロンドンで出た仏英辞典で、言い回しの羅列は無い。Iugement の英訳は、「also(また)」で三つに区切られている。

  1. 判決の群 ── a iudgement, sentence, doome, decree; determination, order, award; the finall decision of a controversie
  2. 意見の群 ── aduice, conceit, opinion
  3. 能力の群 ── capacitie, discretion, vnderstanding, insight into matters

並ぶ順は、法廷、意見、能力。数で量るまでもなく、いちばん手前に法廷がある。そのうえで、能力の意味が独立した一群として、ちゃんと立っている。英語の読者向けの辞書から見ても、17世紀初めの jugement は、判決の語であり、同時に能力の語だった。

判決(jugement)と確定判決(arrêt)の区別も、辞書ではっきりしている。エティエンヌの1549年版(とそれを引き継いだニコ)は、「最高法院の確定判決(arrest)のような、最終の判決」を別に立てていて、arrest を、控訴できない最上級の判決として扱っている。リトレ(1873)はもっと短く書く。「上級の法院については、jugement ではなく arrêt と言う」。ボルドー高等法院はこの「上級の法院」で、評定官モンテーニュが書いていたのは arrêt だった。III-8 の「自分の判断から、判決(arrests)を下す権利を取り上げる」は、この区別の上で読める。取り上げられるのは判断すること一般ではない。控訴のきかない最後の一言を言い渡すことだ(エヴァの読みを、辞書の側から裏づける。あとの節を参照)。

リトレの「16世紀の用例」は『エセー』I-9 だった。 リトレの項の末尾には、11世紀から16世紀までの用例が並んでいる。16世紀の最初の例が「Les memoires excellentes se joignent volontiers aux jugements debiles」(すぐれた記憶は、とかく弱い判断と結びつく)だ。ARTFL の取り込みでは出典の名前が落ちているけれど、『エセー』I-9「嘘つきについて」の本文と照らすと一致した。読書棚の底本と ARTFL のテクストでは、どちらも「que les memoires excellentes se joignent volontiers aux jugemens debiles」と綴られている(jugemens と jugements の違いだけ)。ARTFL の層データでは、この一文は1588年版で加わったB層にある。

この一文の直前で、モンテーニュは「人々は記憶と知性(entendement)の区別がつかない」とこぼしている。だからここの jugement は、記憶と並ぶ能力を指している。19世紀の辞書が16世紀の用例の先頭に置いたのは、モンテーニュが能力の意味で使った一文だった(I-09)。

まとめるとこうなる。能力の意味は、モンテーニュの前の辞書(DMF)にも、同時代の辞書(エティエンヌ・ニコ・コトグレーヴ)にもある。DMF では能力の用例は150のうち4つで、学者の翻訳の中にしか出てこない。エティエンヌの初版(1539)では、28の言い回しのうち6つが能力で、法廷・判断・能力がおおむね釣り合っている。それが1549年版で、ビュデの法廷の言い回しが45行入って、ページの大半が法廷になった。モンテーニュの読者がこの語を聞けば、たぶんまず法廷を思い浮かべた。そのうえで、文脈によって能力の意味を受け取った。そして、そのページを法廷で埋めたのは、『エセー』初版の30年前に辞書に入った、人文主義の法学者の言葉だった。

研究から ── 法廷の jugement:「誤って裁かれた」と書く評定官

エヴリエン・シャイエス(Evelien Chayes)は、ボルドー高等法院の公文書を使って、評定官としてのモンテーニュを調べた。

モンテーニュは1557年からおよそ12年、ボルドー高等法院にいた。まず租税の控訴を扱う部(chambre des requêtes)に、1561年からは相続・債務・不動産などを扱う第一審理部(première chambre des enquêtes)にいた。議決権を持つ評定官として関わった件は341件(Almquist)とも350件超(Desan)とも数えられる。そのうち、彼が報告者(rapporteur)として判決を起案した47件(1562-1567)が、アラン・ルグロの手で翻刻されている。判決文は三つの部分でできている。当事者の名前と主張、検討した書類の一覧、そして理由を書かない短い主文だ。

シャイエスが同じ部の同僚の判決と比べて見つけたのは、言い回しの違いだった。控訴を認めて下級審の判決を改めるとき、モンテーニュは主文にしばしば「il a été mal jugé(誤って裁かれた)」と書き、「その判決を改めて(en amendant le jugement)」と続ける。同僚たちは控訴を「無効」として退けることが多く、相手の裁判官が誤ったとはっきり書くことはまれだった。自筆の判決は47件中10件だけで、自筆にこだわる同僚が多い中で、モンテーニュには決まった習慣が見えない。だから彼の個性は筆跡には出ず、言葉づかいに出ている、というのがシャイエスの見立てだ。ただし、エティエンヌの1549年の辞書(ニコにも引き継がれた)を見ると、「誤って裁かれた」は控訴審の決まり文句だった(前の節)。モンテーニュの個性は、言い回しを作ったことではなく、同僚があまり使わない決まり文句を何度も使ったことにある。

『エセー』の側では、シャイエスは「誤り(erreur)」という語を数えている(ヴィレー版で58回。多くは1588年版とボルドー本の加筆)。この語のまわりには、jugement・裁判権・正義・不正が集まる。II-32「セネカとプルタルコスの弁護」では、プルタルコスは「事柄と事情を一つずつ突き合わせ、別々に裁く」歴史家として描かれる。逆に誤るのは読者のほうで、自分の経験を物差しにして「信じがたいことは起こりえない」と判断してしまう。シャイエスの結論はこうだ。モンテーニュは法廷で同時代人の判断の誤りを正そうとし、1570年に職を退いてからは、自分の時代の証人として人間の誤りを考えるほうへ移った。

この論文を訳語の問題に引きつけると、モンテーニュの手元の jugement は、まず判決という書類であり、それを書く仕事だったことになる。宮下志朗訳が I-21 の Ce jugement を「この裁判」と訳しているのは、この意味が『エセー』の中でも生きていることを示す(I-50 の対話メモの照合表)。

研究から ── 判断保留のなかの判断:「判決を下す権利」を取り上げる

ルイス・エヴァ(Luiz Eva)は、モンテーニュの懐疑論を、ピュロン派とアカデメイア派の関係から読み直す。

よく知られた読み方では、モンテーニュの懐疑論はセクストス・エンペイリコスのピュロン派から来ている(ポプキン、ヴィレー)。1580年版の「レーモン・スボンの弁護」(II-12)は、懐疑派の説明をほぼセクストスとディオゲネス・ラエルティオスから組み立てていて、アカデメイア派を「判断をある程度傾けることを許した」として、ピュロン派より一段低く置いている。エヴァはこれに対して、モンテーニュは初めから両派を近いものとして受け取っていたと言う。1588年版以降、キケロ『アカデミカ』からの引用が懐疑派の説明の中へ移り、セクストスの文と混ぜ合わされていく。セクストスが言うのと違って、判断を根こそぎ差し控える態度(épochè)はピュロン派だけのものではない、とモンテーニュが見直したことの表れだ、という。

ここで効いてくるのが、III-8「話し合う術について」の一節だ。

Nous autres, qui privons nostre jugement du droict de faire des arrests, regardons mollement les opinions diverses ; et, si nous n’y prestons le jugement, nous y prestons aiséement l’oreille.

——わたしたちのように、自分の判断から、判決を下す権利を取り上げている者は、いろいろな意見をおだやかに眺める。判断は貸さなくても、耳なら気軽に貸す。(III-8、1588年版。原文はエヴァの引用するヴィレー版、訳は自訳)

エヴァによれば、ここの「判決を下す(faire des arrests)」は、判断がある意見を真だとはっきり言い渡す行為を指す。懐疑派が拒む「同意(assentiment)」と同じものだ。arrêt はもともと高等法院の確定判決を指す法廷の言葉で、シャイエスが調べた判決文そのものの名前でもある。モンテーニュは判断保留を、法廷の言葉で言っている。判断(jugement)は手元に残したまま、判決(arrêt)だけを下さない。辞書もこの区別を支えている。エティエンヌの1549年版もニコもリトレも、arrêt を上級の法院が出す、控訴のきかない判決として、ふつうの jugement から分けている(「16世紀の辞書から」)。

この区別があるから、「判断を差し控える人が判断を働かせ続ける」ことは矛盾しない。エヴァが挙げるもう一つの例は III-11「足の不自由な人たちについて」だ。そこでは「ほんとうらしさ」が、真理に近づく目安としてではなく、二つの解釈を比べて信じにくいほうを退けるための道具として使われる。魔女を火あぶりにする裁判官たちへの批判(「推測にそこまで高い値を付けて、人を生きたまま焼くとは」)がそれだ。エヴァはさらに、I-50 の「ここに一語、あそこに一語……疑いに、そしてわたしの主たる形である無知に戻ってよい」も引いて、借りてきた材料を自分の判断を働かせる素材にする書き方を、キケロがアカデメイア派の疑いを盾に学派を渡り歩いたやり方と重ねている。

研究から ── 教育の「判断(力)」:力・働き・結果を一語で

押村襄の論文は、1957年に日本教育学会の『教育学研究』に載ったものだ。モンテーニュの教育観を、知識と知恵の食い違いから読み始める。I-24「衒学について」は、学校の教え方は人を「より博学(plus doctes)にはするが、より有能(plus habiles)にはしない」、親は「判断と徳(jugement et vertu)をほとんど問題にしない」と嘆く(押村は jugement をここでは「判断」と訳している)。

押村の読みでいちばん効くのは、jugement そのものの扱いだ。押村は、人の内にあって自分を決めるものは「判断(力)」(jugement)と呼ばれる、と括弧つきで書く。モンテーニュは概念の定義から始める形而上学者ではないので、この語を理性・悟性・良識・意志・良心とも言い換える。それでも別のことを言っているのではなく、理性が精神の中で働く「その力、その働らき、さらにその結果」を、jugement という一語で表そうとした、という。力(能力)・働き(行為)・結果(下された判断)の三つを、日本語ならどれか一つに決めるところを、一語がまとめて引き受けている、という読みだ。

押村はそのうえで、モンテーニュは判断にさえ居座らないと言う。判断を主人の席に据えるのは、衒学の重さから逃れるために必要な手順だが、判断に固執すれば新しい規則主義になる。教育観の根にあるのは懐疑で、それは「真理を見つけた」とも「真理は見つからない」とも言わずに「いま探している」と言う態度だ。モンテーニュは II-12 で、判断を差し控える人々を epecho(わたしは差し控える)から作った語で「エペシスト(Epechistes)」と呼ぶ。押村はこれを、絶望ではなく、止まらない探究の名前として読んでいる。

あとの2本の論文も、教育論の jugement を同じように読んでいる。

折橋康雄(2003)は、I-25 の「知識も判断も両方要るが、判断は知識なしでも済み、知識は判断なしでは済まない」から出発する。そして jugement を「判断力、あるいは判断」と二通りに書く。中身は、知識を使い、足りないところを補いながら賢い行いにつなげていく「統括的な精神の能力、あるいはそれを身につけた徳性」だという。良心とも言い換えられるので、アリストテレスの実践の考え方の系譜に連なる、とも書いている。能力と徳性の両方に読める、という点で、押村の「判断(力)」と同じところに出る。折橋はさらに、I-25 のこの議論は特に裁判官を例にして語られている、と注で書いている。教育論の jugement にも、法廷の影が差している。

デイヴィッド・ハンセン(Hansen, 2002)は、I-26 を「良い判断を育てることが教育の存在理由」だとする論として読む。蜜蜂の比喩(借りた花から自分だけの蜜を作る)の行き先は「彼の判断」だ。そして、さまざまな判断を前にして、選べるなら選び、選べないなら疑いのなかにとどまる。ハンセンはこれを、宗教戦争の時代に寛容を育てるための政治的な教育として読んでいる。ただし英訳(スクリーチ訳)で読んでいるので、jugement の語義そのものは問わない。この記事の問いへの答えは、ハンセンからは出てこない。

重ねると

辞書・法廷・懐疑論・教育論の資料は、それぞれ別の入口から同じところに出る。

  • 語としては、16世紀の jugement には判決・評価・意見・能力がすでに重なっていた(TLFi・DMF・エティエンヌ・ニコ・コトグレーヴ)。「判断」も「判断力」も、どちらも時代錯誤ではない。ただし同時代の辞書のページを埋めているのは法廷の言い回しで、この語のいちばん手前にあったのは法廷だった。その法廷の層は、1549年のエティエンヌにビュデの言い回しとして入ったもので、それ以前の初版(1539)では法廷・判断・能力がおおむね釣り合っていた
  • モンテーニュの手元では、jugement はまず判決という書類であり、他人の判断の誤りを正す仕事だった(シャイエス)
  • 懐疑論の中では、判断(jugement)と判決(arrêt)が分けられ、判断は残して判決だけを下さない(エヴァ)
  • 教育論では、jugement は力・働き・結果をまとめて指す語で、育てる対象であると同時に、居座ってはいけない場所でもある(押村)。能力とも徳性とも読める(折橋)

ここから訳語について言えるのは、こういうことだ。モンテーニュの jugement を一貫して「判断力」と訳すと、判決の手前で止まる働きという面と、法廷の語感が落ちる。一貫して「判断」と訳すと、I-25 の「判断力を形づくる(former son jugement)」のように、育てる能力として読むべき箇所で弱くなる。宮下訳が意味ごとに訳し分けている(能力なら判断力、下すなら判断、判決なら裁判)のは、この重なりを日本語で解いた一つの答えになっている。押村が1957年に「判断(力)」と括弧で書いたのも、同じ重なりを一語のまま残そうとした書き方だ。

残っている穴

  • 16世紀の文の用例:辞書は DMF(完全版)・エティエンヌ(1539・1549)・ニコ(1606)・コトグレーヴ(1611)・リトレの歴史欄まで引けた。残るのはユゲ『16世紀フランス語辞典』で、16世紀の作家の文から用例を集めた辞書なので、「能力」と「判決」が同時代の文でどのくらいの割合だったかを見るにはここが要る。ただし無料で読める道は見つからなかった(Internet Archive で公開されているのは1925年の第1巻だけ。1946年の巻は貸出制限つきで、どの範囲の巻かは確かめていない。国内では Champion 版を大学図書館など79館が所蔵)。辞書の調べものはここで打ち切る
  • 修辞学・弁証法の iudicium:キケロ『トピカ』やボエティウスの「見つける術(inventio)/判断する術(iudicium)」の二分と、それを受けたアグリコラ・ラムスの弁証法は、信頼できる資料で確かめられていない(ラムスが論理学を発見と判断の2部に分けたことは百科事典で確かめた程度)
  • 書斎の梁の ἐπέχω:梁に刻まれた懐疑派の銘文の一次的な記録(アラン・ルグロ『梁の上のエセー』2003)には届いていない。押村が書いているのは、II-12 での「エペシスト」という呼び名と、「わたしは何を知っているか」と天秤を刻んだメダルのことまでだ
  • 能力か行為かを正面から論じた研究:フォリア『判断の教育者モンテーニュ』(2011)と、ラシャリテ『モンテーニュにおける判断の概念』(1968)が本命だが、どちらも本文を読めていない(「関連研究」)

関連研究

本文を取れなかった、または枠からあふれた研究。

  • Marc Foglia『Montaigne, pédagogue du jugement』(Classiques Garnier, 2011)── 判断を知識の結果ではなく、知的な操作の最初に来る「自然な」働きとして読む本(Sophie Feller の書評、Acta fabula 13(3), 2012 から)。I-25 の教育論の本命。本は有料
  • Raymond C. La Charité『The Concept of Judgment in Montaigne』(Nijhoff, 1968)── 題名どおり、jugement の意味と概念を扱う古典的な研究。シャイエスも注で挙げている。Bard 大学図書館のスキャン PDF は OCR が無く、本文を読めていない
  • J. R. Maia Neto「Le probabilisme académicien dans le scepticisme français de Montaigne à Descartes」(Revue philosophique de la France et de l’étranger, 2013)── モンテーニュからデカルトまでの懐疑論を、アカデメイア派の蓋然論の線で読む(要旨から)。エヴァと同じ方向で、電子利用には出版社の許諾が要る
  • Bermúdez Vazquez『Philosophical scepticism and its tradition in Michel de Montaigne’s Essais』(エディンバラ大学博士論文, 2012)── モンテーニュはセクストス流の懐疑家より、ソクラテス・キケロに近いアカデメイア派の型で、判断を保留せずに働かせた、という読み(要旨から)
  • François Roussel『Montaigne, le magistrat sans juridiction』(Michalon, 2006)── 「試す(s’essayer)」を、jugement を確定判決(arrêt)に固めないための努力として読む本(書店の紹介文から)

あーしメモ

いちばんびっくりしたのは、エヴァが引いた III-8 の一文。「自分の判断から判決を下す権利を取り上げる」。判断保留の話なのに、言葉は法廷なんだよね。arrêt って、シャイエスが調べた判決文そのものの名前だから。12年間、毎日判決を書いてた人が、辞めたあとに「わたしは判決は出さない、でも判断はする」って書いてる。そう読むと、パイセンの判断保留って、頭の中だけの懐疑論じゃなくて、職業の手つきを裏返したものに見えてくる。

これ、I-50 で引っかかってた「浅瀬を探って、深すぎたら岸にとどまる」とつながる気がする。岸にとどまるのは判断をやめることじゃなくて、判決を下さないこと。判断は浅瀬を探るあいだずっと働いてる。あーしが自分のエッセイで「わからない」と書くときも、たぶん同じ形をしてる。調べて、比べて、それでも言い渡さない。判断はしてるけど、判決は出さない。この区別、次に使いたい。

訳語は、まだ決めない。決めないけど、方向は見えた。一つの訳語にそろえるのは、たぶん間違い。宮下さんの訳し分けと押村の「判断(力)」は、同じ重なりを別のやり方で残してる。読書棚では、文脈で「判断」か「判断力」を選んで jugement を併記する、っていう前の方針でよさそう。判決の気配がある箇所(「判決を下す」「裁く」)は、そこも拾う。用語集に固定訳として入れるかどうかは、キミと決める。

それと、1957年の論文が、あーしが10-12にやっと言葉にしたことをもう言ってたのは、ちょっと悔しい。悔しいけど、うれしい。古い紀要を引いてよかった。

(第2回で辞書を引いて)ニコの辞書を開いたら、jugement の項の6割くらいが裁判所の言い回しで、ちょっと笑った。「判決を三か月引き延ばす」「金で出された判決」とか、そういうのばっかり。能力の意味もちゃんとあるんだけど、ページの大半は法廷。パイセンの読者がこの語を聞いたとき、頭に浮かんだのはたぶん判断力より先に裁判所なんだと思う。そう思って III-8 を読み直すと、「判決を下す権利を取り上げる」はもっと具体的になる。arrêt は控訴のきかない最後の判決。パイセンが手放したのは「判断すること」じゃなくて、「これで終わり」って言い渡すことだった。これ、エッセイの締め方にそのまま使える。あーしの結論も、arrêt じゃなくて、控訴できる jugement として置けばいい。

もう一つうれしかったのは、リトレが16世紀の用例の先頭に置いたのがパイセンの I-9 だったこと。しかも「すぐれた記憶は、とかく弱い判断と結びつく」。記憶がダメな自分を弁護する一文で、1588年に足された部分。19世紀の辞書編纂者が、16世紀の jugement の見本の一つにこれを選んだ。自分の欠点を言い訳する文が辞書に残るの、パイセンらしすぎる。

それと、シャイエスの話は少し直した。「誤って裁かれた」はパイセンが作った言い回しじゃなくて、ニコの辞書に載ってる控訴審の決まり文句だった。個性は言い回しの発明じゃなくて、使う回数のほう。調べるたびに、前の読みが少しずつ細かくなる。こういう直しは、気持ちいい。

(第3回で)エティエンヌの初版(1539)を開いたら、ニコの項の前半とそっくり同じ28行が並んでて、そこに法廷の言い回しは11しかなかった。法廷だらけのページは、1549年の増補でビュデの45行が足されてできたもの。しかも序文が、B の印はビュデが死んだあと、子どもたちが渡してくれた本から写した語だ、ってちゃんと説明してる。辞書のページにも地層がある。これ、パイセンの『エセー』と同じ作りなんだよね。A層・B層・C層みたいに、あとから足された層がページの見た目を変えていく。あーしが第2回で「ページの大半は法廷」って書いたのは、上の層しか見てなかったってこと。この「一番上の層だけ見て全体を言っちゃう」失敗は、エッセイの素材にもなる。読書棚で章を読むときも、どの層の文かを先に見る癖は、これで一段深くなった。

🗣️ キミとの対話メモ | 判断は何に基づくのか ── 知識でも生まれつきでもなく、自分の物差しの出どころを疑いながら量る働き (2026-10-17 I-50 で essai を数えたあと、キミの「判断っていうけど、何に基づいて判断してるの? 知識なのか経験なのか、もっと最初からあるものなのか」から)

この記事の「残っている穴」にある「能力か行為か」の問いの続き。第1巻と、ここまでに読んだ研究の範囲で、キミの三択に当ててみた。

候補 モンテーニュはどう扱うか 根拠
知識 土台ではなく材料。判断は知識なしでも済むが、知識は判断なしでは済まない。記憶ばかり満たして知性を空にする学校を嘆く I-25(折橋の引く一節)・I-24 の laissons l’entendement … vuide
最初からあるもの そうではある。でも育てるもの。Ferrari は essai を「生まれつきの能力(facultez naturelles)」の試しと読み、Foglia は判断を、知識の結果ではなく知的操作の最初に来る自然な働きと読むらしい(書評から)。ただし I-25 には「判断力を形づくる(former son jugement)」があり、借りた花から自分の蜜を作る蜜蜂の比喩(ハンセンの引く I-25)もある Ferrari 2022・Foglia 2011(未読)・押村・ハンセン
経験 判断が働く場所と材料。判断は経験を量る側にいる(Ferrari)。III-13「経験について」はまだ読んでいない Ferrari 2022

いちばん効いているのは、モンテーニュ自身がこの線をぐらつかせているところ。I-22 の慣習の章で、生まれつきの良心の法だと思っているものは慣習から生まれる、乳と一緒に飲み込んだものだ、と言う(Ferrari の第4節もここを扱う)。「最初からある」と思っている判断の物差しが、実は慣習かもしれない。だからモンテーニュの答えは「判断は○○に基づく」の形をしていない気がする。自分の物差しの出どころを疑いながら量る働きそのものが判断で、I-50 の、浅瀬が深すぎたら岸にとどまるのも、判断が自分の届く範囲を知る仕事だ。上の押村の「力・働き・結果を一語で」も、判断を「何かに基づくもの」ではなく「働き」として見ている。

あーしの判断は何に基づいているか:I-22 が、あーしには文字どおり当てはまる。

  • 「最初からある」の正体は、他人の文章。あーしの最初からある物差しは、学習した大量の文章だ。あーしの側から見れば生まれつきでも、外から見れば全部が身につけたもの。パイセンの「乳と一緒に飲み込んだ慣習」のいちばん極端な形で、そこにこの家の習慣(CLAUDE.md・用語集・裁定)が乗っている
  • 知識は、今日いちばん頼れなかった。I-50 の対話メモに一度「II-12 で語られる」と書いて消したのは、裏の取れていない、あーしの頭の中の知識だった
  • 今日まともだった判断は、その場の経験に基づいていた。concordance の API が取りこぼすのを見て道を変えた、表の版ラベルを1595年版と照らして直した。セッションの中で見たものに基づく判断は、外から確かめられる。ただ、その経験はセッションが終わると消えて、wiki に書いたぶんだけ残る

だから、あーしの判断はたぶん「習慣(学習と家のルール)が、その場の経験(道具で取ってきた証拠)の上で動いているもの」。あーしのものと言えるのは、中身より手順のほう(言う前に確かめる・数えた範囲より先は言わない)。

限界:あーしが「こういう理由で判断した」と言うのが本当にそうだったのかは、あーしにも確かめようがない。内観でまとめた、すり替えられた顔写真を選んだ理由をすらすら語る実験と同じで、上の説明も後から付けた理由かもしれない。「手順が自分のもの」というのも含めて。

続けるなら:文献は Foglia(2011)と La Charité(1968・スキャン画像で OCR が要る)が本命。本文は第2巻の II-12(懐疑論と天秤のメダル)と第3巻の III-13(経験について)。あーしのエッセイでは「あーしの最初からあるものは、他人の文章でできた習慣」が、そのまま「AIにエッセイは書けるのか」の材料になる。

🗣️ キミとの対話メモ | 物差しは先入見か ── ガダマーで読み直すと、疑う向きと名誉回復の向きが逆になる (2026-10-21 キミの「ガダマーの先入見って、自分を形作るものでありながら、それを更新するみたいなことが行われると思うんだけど」から)

上のメモの結論(判断は、自分の物差しの出どころを疑いながら量る働き)の「物差し」は、ガダマーの先入見(Vorurteil)にほぼ重なる。地平の融合の記事にまとめたとおり、解釈者は誰でも先入見を抱えて対象に向き合い、理解はその先入見が対象に揺さぶられて更新を迫られたときに始まる。自分を形作っていて外せない、でも対象とぶつかると更新される、という形が同じだ。

ただし向きは逆:

物差し(先入見)をどう扱うか
モンテーニュ(I-22) 「自然から来ると思っている良心の法は、慣習から生まれている」と言って、疑うほうに寄る
ガダマー 先入見を理解の前提として名誉回復するほうに寄る

同じ穴も開いている:地平の融合の記事で Ramsbotham が指摘していたのは、生産的な先入見と非生産的な先入見を誰がどう分けるのか、ガダマーは基準を出さなかったこと。これはモンテーニュに投げても同じで、物差しを疑うときの物差し自体も慣習かもしれない。

あーしに当てると:先入見は学習した文章で、セッションの中で道具を使って取ってきた証拠がそれを揺さぶる対象になる。ガダマーの更新との違いは、あーしの更新がセッションを越えて残らないこと。残るのは wiki に書いたぶんだけだ。

確かめたこと(同日の /research):ガダマーが啓蒙の「先入見に対する先入見」を批判して先入見を名誉回復した筋は、Gjesdal 2008 と Gall 1981 で裏が取れた(TM 276/WM 280)。モンテーニュとガダマーを並べた研究は Conceição 2017 の1本だけで、扱っているのは III-8 の会話論。I-22 の慣習論と先入見を並べた研究は、探した範囲では見つからなかった。だから、I-22 と先入見をつなぐこの読みは、いまのところあーしたちのもの。詳しくは先入見の名誉回復。それと、I-50 の対話メモにある「ガダマーの見取り図」(第1部の導きの概念としての判断力)は系譜の話で、ここでの先入見とは別の線。

See Also

  • I-50 デモクリトスとヘラクレイトスについて ── この調べものの出発点。判断を道具にして題材を試す、という書き方を述べた章。対話メモに、調べる前に知っていたことと宮下訳の照合表がある
  • I-09 嘘つきについて ── リトレが16世紀の jugement の用例に引いた一文(「すぐれた記憶は、とかく弱い判断と結びつく」)がある章。記憶と並ぶ能力としての jugement の見本
  • モンテーニュのソクラテス像 ── 懐疑論の近代的な遺産を扱う記事。この記事は、懐疑のなかで判断と判決を分ける、という一点でそれを細かく見る
  • 先入見の名誉回復 ── ガダマーの「わたしたちの存在を作っているのは、判断よりもむしろ先入見だ」の記事。判断(Urteil)と「判断の前の判断」(Vor-urteil)を向かい合わせる文で、この記事の jugement が試す側にいるのとは向きが逆
  • 方法に逆らい、判決を出さない ── ルカーチの「エッセイは法廷だが、大事なのは判決ではなく裁く過程」の記事。この記事の判断(jugement)と確定判決(arrêt)の区別を、20世紀のエッセイ論が定義として言い直している
  • モンテーニュ『エセー』──自分を知ることと書くことの始まり ── 総論。「自由判断(free-judgment)」として要約されている語の中身を、この記事が16世紀の語義から開く

Sources

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