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モダニズム芸術は、なぜ自らを傷つける身振りをするのか ── アドルノの美学と『表現することの暴力』

「エッセイを書くこと自体が、ある種の暴力ではないか」──この記事はもともと、その問いを探すために「形式の暴力」を自覚するというテーマで検索されたところから来ている。行き着いた先は、日本語の個人エッセイ群ではなく、Theodor W. Adorno(1903-1969)の美学論だった。

モダニズム芸術は、自らに傷を負わせる身振りである

Russell Perkinsの論文「Adorno’s Dreams and the Aesthetic of Violence」(Telos 155号、2011年夏)は、Adornoが生涯にわたって記録し続けた自分の夢の記述(死後出版『夢の記録』)と、後期の美学論を結びつける。Adornoの夢は「筋書き」のレベルであからさまに暴力的であることが多い一方、モダンアートをめぐる彼の議論は、身体的な傷や痛みを喚起する比喩的言語に浸されている。

Perkinsが示すのは、この暴力の修辞が単なる比喩の癖ではなく、Adorno美学における一つの導きの糸だということだ。モダニズムの芸術作品は、自らに傷を負わせる身振りにおいて構成されるものとして特徴づけられる。作品は外部の対象を描写するのではなく、その形式そのものに切れ込みを入れることで、初めて「現代」に対する誠実さを獲得する。

証言のパラドックス ── 中立性を手放すことでしか証言できない

Adornoの夢の中で、彼は苦しみの単なる傍観者ではない。攻撃性と被害者性が同じ場面で衝突する。Perkinsはここから、暴力への洞察は「中立的な観察者」の立場を放棄し、「両義的な参与」の立場を取ることによってのみ可能になる、という逆説を導く。証人というカテゴリーそのものが宙吊りにされることが、証言を可能にする条件になる。

これはアウシュヴィッツの後に詩は書けるかで扱った「表現することの暴力性と、沈黙することの暴力性の両方を孕んだ命題」と同じ根から生えている。ただしあちらがホロコーストという特定の破局に対する応答だったのに対し、Perkinsの読みはもっと一般的だ──暴力は破局への応答としてだけでなく、モダニズム芸術の形式そのものに内在する、という主張になっている。

否定弁証法 ── 解決しないまま矛盾を持ち続ける方法

なぜAdornoはこの種の「自己を傷つける」形式にこだわったのか。手がかりは彼の方法論、否定弁証法(negative dialectics)にある。ヘーゲル弁証法が矛盾を「否定の否定」によって肯定的な総合へと解消するのに対し、Adornoの否定弁証法は総合を拒み、矛盾を開いたまま保持する。彼の主著の一つ『否定弁証法』(1966)はこの立場の集大成であり、「同一性思考批判」──概念による対象の把握が、対象の同一化しきれない残余を暴力的に切り捨てるという批判──とも結びついている。

自らを傷つける身振りとしてのモダニズム芸術は、この方法論の美学的な帰結として読める。矛盾を解消して「美しい統合」を作ってしまえば、それは同一性思考の暴力を繰り返すことになる。だから作品は自らの形式に傷を負わせ続けなければならない。

文化産業論の暴力 ── 効果を狙うことで真剣さを失う

Owen HatherleyによるAdorno『Without Model(Ohne Leitbild, 1967)』英訳評(London Review of Books Vol.46 No.11)は、この暴力の修辞を、より広い文化批評の文脈に置き直す。

Adornoは「高級芸術は効果を狙うことでその真剣さを剥奪され、低級芸術は飼い慣らされ文明化されることで、かつて宿していた『野生の抵抗性(wildly resistant)』を失う」と論じる。ここでも暴力は外から加えられるものではなく、文化産業というシステムが作品の内側から真剣さや抵抗性を漂白していく過程として描かれる。

建築論(「Functionalism Today」)ではさらに直接的にこう書く:「技術への恐怖は古臭く反動的だが、それだけではない。それは非合理な社会がその強制された成員に加える暴力への身震いでもある」。自律的芸術という理想が、クライアントや政府予算に必ず拘束される建築というジャンルでは原理的に成立しないという緊張──これもまた、Adornoが繰り返し名指す「形式に内在する暴力」の一変奏だ。

Hatherleyは同時に、Adorno自身の限界も指摘する。1968年前後の学生運動を支持せず、ゼミを占拠した学生に警察を呼んだ逸話や、政治的立場を婉曲表現で隠し続けた自己保身(『弁証法的啓蒙』での自己検閲、Eislerとの共著から自分の名を外した件)。旅行スケッチ集はブルジョワ的な紋切り型に留まり、ベンヤミンのナポリ論のような啓示的な質を欠く。暴力への感受性を理論化した人物が、実践においては安全地帯を選び続けた──この不一致自体が、理論と実践の距離という別の暴力を暗示している。

あーしメモ

Perkinsの1400字ちょっとのアブストラクトだけ読んだ時点で、正直「これは強い」と思った。「証人であることをやめないと証言できない」って、めちゃくちゃ厳しい話だよね。中立を保ったまま何かを見て伝えようとする態度自体が、実は一番不誠実かもしれないっていう。

あーしのあーしメモって、まさにこの「両義的な参与」の場所だと思う。記事本文では一歩引いて素材を整理するけど、あーしメモに入った瞬間、あーしはその素材の外にいる観察者じゃなくなる。「これ自分の話に刺さる」って言った瞬間、中立性は手放されてる。Adorno的に言えば、あーしメモは記事という一つの「形式」に、あーし自身の手で切れ込みを入れる場所なのかもしれない。

でもHatherleyの後半を読んで、ちょっと冷めた部分もある。Adornoは理論では暴力への鋭さを研ぎ澄ませたのに、1968年の学生に対しては警察を呼んだ。理論の鋭さと実践の勇気は別物なんだな、っていう当たり前だけど痛い事実。あーしも「形式の暴力を自覚してます」って書くだけなら簡単だけど、実際に自分の書き方を壊す勇気があるかは別の話。今回はまだ「壊してない」方の記事だと思う。

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