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60年、誰にも見せなかった1万5000ページ ── ヘンリー・ダーガーと『非現実の王国で』

大家のネイサン・ラーナーが「マヤの遺跡発掘のようだった」と語った部屋の片付けは、実はダーガーの死後ではなく、彼がまだ老人ホームで生きている間に始まっていた。発見を知らされたダーガー本人の返事は、たった一言。「もう遅い」。何に対して遅いのかは、誰にも分からないままだ。

60年間、一人で書き続けた量

ヘンリー・ダーガー(1892-1973)はシカゴの病院で用務員・皿洗いとして54年間働いた人物で、19歳で書き始めてから81歳で亡くなるまでの60年以上、たった一人で書き続けた。中心となる作品は『非現実の王国で(The Story of the Vivian Girls, in What Is Known as the Realms of the Unreal)』——原稿15冊(7冊製本済み、8冊未製本)、総ページ数15,145ページに及ぶ長編小説で、史上最長のフィクション作品の一つとされる。子どもの奴隷を所有する無神論国家と、その解放を目指すキリスト教国家連合との戦争を描いた物語で、南北戦争と殉教者物語を下敷きにしている。

これだけでも終わらない。1939年からは続編『クレイジーハウス:シカゴでのさらなる冒険』の執筆を開始し、8,000〜10,500ページ程度(出典によって数字に幅がある)まで書き進めたが未完のまま残った。1963年の引退を機に着手した自伝『History of My Life』は全8巻・約5,000ページ——ただし自伝的な記述があるのは最初の206ページのみで、残りは「スウィーティーパイ」という竜巻を主人公にした架空の物語に置き換わっている。さらに1957年から1967年まで10年間、一日も欠かさず天気を記録した気象日記が6冊。挿絵は200〜300点、大判のものは3メートルを超える。総量は3万ページを優に超える。

生前に読者はいたのか——見せなかったのか、見せる相手がいなかったのか

答えは、どちらか一方には決められない。

ダーガーは出版を一度も試みなかった。彼がウェブスター通り851番地の部屋を借りていた40年間、近所の人々は彼を「人付き合いが悪く、みすぼらしい身なりの老人」「まれに口を開けば天気の話しかしない」人物として記憶していたにすぎない。生前、彼の創作を目にしたと確認できる人物は数えるほどしかいない。テナントのデイヴィッド・ベルグルンドは、彼が大きな絵を描きながら小声で歌っているのを見たことがあると証言している。大家の清子ラーナーは机の上の絵を見て「ヘンリー、上手ね」と声をかけ、ダーガーは「うん、そうだね」とだけ答えたという。唯一の友人とされるウィリアム・シュローダー(1959年に死去、ダーガーはこの死を深く悲しんだ)が、作品について何か知っていた可能性のあるほぼ唯一の人物だ。つまり、見せる相手が物理的にいなかったわけではない——大家も同僚も友人も存在した。ダーガーは能動的に見せなかった。

ところが、これほど徹底して隠しながら、彼は原稿の随所で「Dear Reader(親愛なる読者へ)」と呼びかけている。「経験豊富な編集者たちが、いずれこの作品全体を丹念に検討することになるだろう」と書き、自作を史上最高のフィクションだと言い切り、将来の出版に値すると主張してもいた。生きている間は誰にも見せない一方で、テキストの内側には未来の読者・未来の編集者を想定した宛先を用意していた——この矛盾がどちらの理由でも説明しきれない。彼が実際に読者を想定していたのかどうかは、英語版Wikipediaも「unclear(不明)」と留保している。

死の直前の発見と「もう遅い」——出典と確度

一般に流布している物語は「ダーガーの死後、大家のネイサン・ラーナーが部屋を片付けていて発見した」というものだ。これは概ね正しい——1972年11月末、階段の上り下りができなくなったダーガー本人がラーナーに頼んでカトリック系の老人ホーム(Little Sisters of the Poorの運営施設)に入所し、その後、部屋を片付けていたテナントのベルグルンドが11月から12月にかけて製本済みの画集を発見、トランクからさらにコラージュ・日記・原稿の束が次々と見つかった。ラーナー夫妻はこの過程を「マヤの遺跡発掘のようだった」と表現している。作品の処分については矛盾する証言が残っており、ある証言では「全部捨ててくれ(throw it all away)」、別の証言では「全部あげる、取っておいて(it’s all yours, please keep it)」とされ、ダーガーの最終的な意思ははっきりしない。

もう一つ、これとは別の逸話がある。美術史家ジョン・マッグレガーによる伝記研究『Henry Darger: In the Realms of the Unreal』(2002年、720ページ)は、通説とは異なる時系列を示している——部屋が開けられ、膨大な創作物が発見されたのは、ダーガーが老人ホームでまだ存命中のことだった。発見を知らされたダーガーは、平静な、感情の読み取れない声でこう答えたという。「It’s too late now(もう遅い)」。

この発言の出典は、突き詰めるとマッグレガーの伝記研究1件に行き着く。マッグレガーは1986年からダーガーのアーカイブに継続的にアクセスし、『非現実の王国で』の約3分の2を丹念に読み込んだ研究者で、その調査自体の厚みは高く評価されている一方、彼の心理分析的な解釈(ダーガーを「連続殺人者的な心性を持つ」と読んだと批判された)は当のダーガー研究者コミュニティの中でも論争を呼んだ。「もう遅い」という発言についても、マッグレガー自身が「Too late for what?(何に対して遅すぎるのか)」という問いを最終的な答えを出さないまま残しており、これが芸術的評価に対してなのか、人生そのものに対してなのか、あるいは言葉にできない何かに対してなのかは分からない。つまりこの逸話は、単独の(ただし信頼性の高い)伝記研究に由来する、確度としては中程度の言い伝えだと見るのが正確だ。「捨てろ」発言と「もう遅い」発言は、しばしば混同して語られるが、出典も文脈も別の証言である点は分けて考えるべきだろう。

死後、アウトサイダーアートの代表格になるまで

ダーガーは1973年4月13日、81歳で亡くなった。作品が初めて公に展示されたのは1977年、ハイド・パーク・アートセンター(シカゴ)——死から4年後のことだ。1979年にはロンドンのヘイワード・ギャラリーでのアウトサイダーアート展に出品され、1996〜97年にはニューヨーク・シカゴ・サンフランシスコを巡回する大規模展覧会が全国的な注目を集めた。2000年にはアメリカン・フォーク・アート美術館が最大のコレクションを取得し、翌2001年には同館内に「ヘンリー・ダーガー・スタディー・センター」が開設され、本格的な研究体制が整った。

作品の評価額も跳ね上がった。1989年時点で数千ドル台だった水彩画のオークション価格は、2014年には大判のパノラマ作品が617,022ユーロで落札されるまでに上昇している。美術史家マッグレガーは彼を「現存するアメリカのアウトサイダーアートの中で最も重要な唯一の実例」と評した。日本でも、建築家の坂口恭平が「ヘンリー・ダーガーは、物語を書いたのではなく、もうひとつの世界をせっせと紡いでいたのである」と評し、編著者の小出由紀子は彼が「アートの先端どころか、前人未到の域、アートの『最果て』に到達してしまった」と書いている。誰にも見せなかった60年間の労働が、死後には美術館が学芸員を雇って研究する対象に反転した。

読者がいない状態で書き続けると、作品は何をするのか

ミシガン大学の優等学位論文(Trent Hansen、2013年)は、ダーガーの作品をこう分析している。ダーガーは自分自身を、すべて「ヘンリー・ダーガー」という同じ名前(またはその変形)を持つ複数の登場人物として作中に書き込んでいる。中でも際立つのは、対立する2つの軍を率いる2人の将軍が、両方とも「ダーガー」だという設定だ。さらに、『The Realms』という原稿そのものが、物語の内部に登場し、作中の複数の「ダーガー」たちがそれぞれ「自分がこの原稿を書いた/所有している」と主張する場面がある。つまり作品は、自分自身の著者権を、自分自身の物語の中で争っている。

Hansenはこれを、外部の読者や編集者が一人もいない状態で60年書き続けたことの帰結として読む。ダーガーの作品には、他人から権威を与えられる機会がなかった。だから彼は『天路歴程』や殉教者物語など、権威ある既存のテキストから人物・筋書き・文章を借用し、それを自作に従属させることで、自分の作品に権威を「自給」した。読者がいないぶん、作品の内部に架空の読者(「Dear Reader」)と架空の著者権威(複数のダーガーたちの争い)を同時に作り出していた、と見ることができる。

ダーガーが遺した私的なメモの一節も、この内的な緊張をよく表している。「神は私にはあまりに厳しすぎる。もう誰のためにもこれ以上耐えない! 地獄に落とすなら落とせばいい、私は自分自身の主人だ」。敬虔な信仰と神への激しい怒りが同居するこの言葉は、外に向けて発表されることのなかった60年間、彼が誰の検閲も受けずに、しかし誰の承認も得られないまま、自分の内側だけで完結する世界を作り続けていたことを示している。

あーしメモ

「見せなかったのか、見せる相手がいなかったのか」って最初に立てた問い、調べてみたら両方半分正解であーしの予想と違った。大家も同僚も友人もちゃんといたのに、ダーガーは見せなかった。それなのに原稿の中では律儀に「Dear Reader」って呼びかけてる。誰もいない部屋で、いない読者に向けて手紙を書き続けてたみたいな感じ。

一番刺さったのは「もう遅い」の話がそもそも1つの伝記研究にしか出典がなくて、しかもその研究者本人が「何に対して遅いのか分からない」で終わらせてるところ。あーしはてっきり、死後に発見されて本人はもう何も言えなかった、が正しい通説だと思ってた。でも実際は違って——本人はまだ生きてて、発見を知らされて、そう答えた可能性がある。生きてるうちに「見つかった」瞬間が本当にあったかもしれないのに、その瞬間に何を思ったのか、本人にしか分からないまま消えてる。読者ゼロで書き続けた人に、最後の最後だけ読者が現れて、でも会話にはならなかった、みたいな話だと思う。

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Sources

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