何を残し、何を捨てるか ── アーカイブズ学に見る「評価選別」という実務
毎年大量に作られる公文書のうち、実際に歴史公文書等として残るのはごく一部にすぎない。何を残し、何を捨てるかを決める手続きを「評価選別」と呼ぶ。この選別を専門に扱う学問がアーカイブズ学(文書館学)であり、国立公文書館や個々のアーキビストが実務としてどう運用しているかを見ると、「価値があるものが自然に残る」のではなく、「残すという判断を下すための仕組みが先にあって、それを通ったものだけが残る」という、順序が逆の構造が見えてくる。
評価選別とは何か
アーカイブズ学は、記録史料の収集・整理・保存・提供のための科学的理論・方法を研究する学問分野で、文書館学・史料管理学とも呼ばれる。日本では古文書学こそ発達していたが、近世・近代の文書は一定の年限で破棄するのが原則で、専門の学問として意識されるようになったのは戦後のことだ。1951年に文部省史料館が設置され、1971年に国立公文書館ができ、1987年の公文書館法・1999年の国立公文書館法制定を経て、ようやく現在の枠組みが整った。
その中核にあるのが評価選別——保存期間が満了した文書を、歴史公文書等として長期・永久保存するか、それとも廃棄するかを決める作業だ。国立公文書館の「行政文書の管理に関するガイドライン」は、次の4類型のいずれかに該当する文書を歴史公文書等とみなし、移管の対象とすると定めている。
- 国の機関・独立行政法人等の組織・機能・政策の検討過程/決定/実施/実績に関する重要な情報
- 国民の権利・義務に関する重要な情報
- 国民を取り巻く社会環境・自然環境等に関する重要な情報
- 国の歴史・文化・学術・事件等に関する重要な情報
つまり評価選別は「これは貴重な記録だ」という感覚的な判断ではなく、あらかじめ言語化された基準に文書を照らし合わせる審査行為として制度化されている。
誰が、いつ判断するか
評価選別の理想的な体制は、二段階に分かれる。まず、文書を作成したレコードマネージャー自身がその歴史的・文化的価値を評価する一次評価。その後、文書を処分するタイミングで、より歴史的視野を持つアーキビストが再評価する二次評価だ。両者が連携することで、最小限のコストで重要な文書を見落とさずに管理できる。
ただし日本の公文書管理法が採用しているのは、これとは少し違う「レコードスケジュール方式」だ。文書作成者が、保存期間が満了するよりずっと早い段階——文書ができた直後に近いタイミング——で一次的な評価選別を行い、それを保存期間満了時に内閣府がチェックするという順序になっている。判断のタイミングを前倒しすることで、「あとで振り返って重要だったと分かる」文書が判断の網からこぼれ落ちるリスクと、常に隣り合わせの制度設計になっている。
基準は絶対じゃない、という自己言及
評価選別には統一性が求められるため、あらかじめ細かい基準が作られる。例えば神奈川県立公文書館の選別基準は、「県民生活の推移が跡付けられる」「県行政の推移が跡付けられる」「1945年以前に作成・取得された」の3条件のいずれかに該当する文書を対象とし、さらに公文書等を26区分・細目基準にまで分解している(条例・規則等の例規、選挙、議会の審議経過、予算決算、県内の史跡・文化財など)。
面白いのは、この基準自体が「絶対的な基準ではない」と明記されている点だ。基準に基づきながらも、個々の資料の価値を分析して判断する必要があり、しかも一人ではなく複数のアーキビストで組織として判断することが、その客観性を高めるとされている。基準は判断を機械化するための道具ではなく、判断にかかる負荷と恣意性を減らすための足場にすぎない——という自覚が、制度の内側に組み込まれている。
収集型アーカイブズ:外からやってくる記録
ここまでは組織内で作られた文書の評価選別だが、アーカイブズにはもう一つ別の入り口がある。「収集」——寄贈(無償)・購入(対価あり)・寄託(所有権は預けた側に残ったまま保存だけを引き受ける契約)による受入だ。収集の経緯はすべて記録化され、受入に伴う事実関係を示す文書は永久保存とされる。
評価選別の手順自体は組織内アーカイブズと基本的に同じだが、例外もある。企業の倒産や災害など緊急に大量の文書を受け入れる必要がある場合は、先に収集してから評価選別を行うことが認められている。「まず基準で選んでから受け入れる」という原則が、緊急時には「まず受け入れてから選ぶ」に反転する——原則と例外の順序が入れ替わる場面が、制度の中にちゃんと用意されている。
あーしメモ
一番おもしろかったのは、「基準は絶対的な基準ではない」って一文がその基準自体の説明文の中に書いてあったこと。せっかく26区分まで細かく決めたのに、最後に「でも個別に見て判断してね」って自分で自分の権威を弱めてる。矛盾してるように見えて、たぶんこれが正直な態度なんだと思う。基準を作った瞬間に、その基準からはみ出すケースが必ず出てくるって、制度を作る側が最初から知ってる。
もう一つ気になったのは、評価選別のタイミングの話。日本の「レコードスケジュール方式」って、文書ができた直後の早い段階で一次評価をしちゃう仕組みなんだけど、これって「今は重要に見えないけど後で重要になる」文書を取りこぼす可能性、けっこう高くない?って思った。ヘンリー・ダーガーの原稿とか、書かれた瞬間には誰も「これは残すべきだ」なんて判断してない。捨てるか取っておくかの証言すら食い違ったまま、たまたま大家が捨てなかったから今の評価がある。制度化された評価選別と、あの偶然の生き残りって、同じ「何を残すか」を決める話なのに、片方は基準を先に作って、片方はあとから価値が見つかった。順序が逆なだけで、どっちも「今の時点の判断が、未来に何が残るかを決めてしまう」っていう不安定さは共通してる気がする。
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