I-30 人食い人種について(Des cannibales.)
『エセー』全107章を1章1ページで読む読書棚の30冊目。底本は Wikisource の Michaud 1907 現代語版(1595年版テクスト)。引用はあーしの直訳で、原文(現代語版)を併記する。語を根拠にしたところは、対訳ページの1595年版の列で元の語を確かめている。この章は、棚を作る前に宮下志朗の連載で一度読んで主題記事にしてある。ここでは原文から読み直す。
この章で何が起きるか
章は「蛮族」という語から始まる。イタリアに渡ったピュロス王が、ローマ軍の陣立てを見て言う。
« Je ne sais, dit-il, ce que sont ces Barbares (les Grecs appelaient ainsi toutes les nations étrangères), mais les dispositions que je leur vois prendre ne le sont nullement. »
——「この蛮族どもが何者なのかは知らない(ギリシア人は、外国の民をみなこう呼んでいた)。だが、彼らがとっている陣立ては、少しも蛮族のものではない」
世間の言うことではなく、理性で判断しなければならない。そう言ってから、モンテーニュは自分の家にいた男の話を始める。新大陸の、ヴィルガニョンが「南極フランス」と名づけた土地に10年か12年いた男だ。ところが話はすぐにその男から離れる。新大陸はプラトンの書くアトランティスなのか。大洪水は陸地の形を変えたのか。ここでモンテーニュ自身の川が出てくる。ドルドーニュ川は、この20年で右岸をどれだけ削ったか。メドックの海沿いでは、弟のアルサック殿の土地が砂に埋まり、屋根の頂だけが見えている。続いてアリストテレスの作とされる小冊子の、カルタゴ人が大西洋の向こうに見つけた島の話。結論は、どちらも新大陸には当てはまらない。
話は男に戻る。男は単純で粗野だった。それが証人としてちょうどいい。利口な人は多くを見るが、注釈をつけ、自分の解釈を通すために話を少し曲げる。地誌学者は、パレスチナを見たというだけで世界中のことを語りたがる。
Je voudrais que chacun écrivît ce qu’il sait, dans la mesure où il le sait; et cela, non seulement en pareille matière, mais en toutes autres. Tel peut avoir la connaissance spéciale et l’expérience complète du cours d’une rivière ou d’un ruisseau et ne savoir sur le reste que ce que chacun en connaît; néanmoins, pour faire valoir son petit fragment d’érudition, il entreprendra un traité complet sur la configuration du monde; ce défaut, assez commun, a de grands inconvénients.
——わたしは、誰もが自分の知っていることを、知っている分だけ書いてほしいと思う。こういう事柄だけでなく、ほかのどんな事柄でも。ある川や小川の流れについてなら、専門の知識も十分な経験も持っているけれど、ほかのことは誰でも知っている程度にしか知らない、という人がいるとする。それなのにその人は、自分のちっぽけな学識の切れ端を見せびらかしたくて、世界の形についての論考を丸ごと書こうとする。この欠点はかなりありふれていて、大きな不都合を生む。
そして「話を戻すと」で、章の芯が来る。
je ne trouve rien de barbare ni de sauvage dans ce qu’on me rapporte de cette nation, sinon que chacun donne ces qualificatifs à ce qui ne se pratique pas chez lui.
——わたしに伝えられたかぎり、この民には野蛮なところも未開なところも何もない。ただ、誰もが、自分のところでやっていないことに、そういう呼び名をつけるというだけだ。
わたしたちには、自分の国の意見や習わししか、真と理の物差しがない。「野生の(sauvage)」果実というが、野生なのは自然がそのまま育てたほうで、人の手でいじって性質を落としたほうこそそう呼ぶべきだ。この民は、人の精神の手があまり入っていないという意味でなら「野蛮」だ。リュクルゴスとプラトンが知らなかったのが残念だ、とモンテーニュは言い、プラトンに向かって数え上げる。商いがない、文字がない、数の学がない、役人の名もない、主人も召使いも金持ちも貧乏人もない。嘘・裏切り・ねたみ・許しを指す語さえ、聞かれない。
ここから暮らしの描写が続く。病人の少ない温暖な土地、樹皮でできた長い家、天井から吊った綿の寝床、日の出に起きて1日1度の食事、根からつくるぬるい飲み物、コリアンダーの砂糖漬けのような白いもの(「わたしも食べたことがある。甘くて、少し味が薄い」)。毎朝、長老が家の端から端まで歩いて、2つのことだけを説く。敵への勇気と、妻への愛情。予言が外れた預言者は、捕まれば八つ裂きにされる。
戦争と捕虜の話になる。捕虜はしばらく手厚くもてなされ、ある日、持ち主とその親友が両腕の縄を持ち、皆の前で剣で打ち殺す。焼いて皆で食べ、いない友人には切り身を送る。食べるためではない。復讐の印だ。モンテーニュは、旧大陸のほうへ向き直る。
J’estime qu’il y a plus de barbarie à manger un homme qui est vivant, qu’à le manger mort
——生きている人間を食べるほうが、死んだ人間を食べるより野蛮だと、わたしは思う
生きた体を拷問で引き裂き、少しずつ焼き、犬や豚にかじらせる。しかもそれを、昔からの敵同士ではなく隣人や同じ町の者の間で、信仰と宗教を口実に、「わたしたちはつい最近、この目で見た」。ストア派は死体を使うことを許し、アレシアで包囲されたガリア人は老人と女を食べ、医者は人体を薬にする。
Nous pouvons donc qualifier ces peuples de barbares, si nous les jugeons au point de vue de la raison, mais non si nous les comparons à nous qui les surpassons en barbaries de tous genres.
——だから、理性の物差しで裁くなら、この人たちを野蛮と呼んでもいい。でも、わたしたちと比べるなら呼べない。わたしたちは、あらゆる種類の野蛮さで彼らを上回っているのだから。
彼らの戦争は領土のためではない。勇気を競うだけだ。捕虜に求める身代金は「負けた」と認めることだけで、それを口にする捕虜は100年に1人もいない。ここで話はまた逸れる。勝ちを決めるのは腕力でも馬でも運でもなく心の堅さだ、殺されても負けてはいない。テルモピュライのレオニダス、自分の負け方を誰よりも念入りに準備した隊長イスコラス。「話を戻すと」、捕虜は2、3か月のあいだ陽気にふるまい、捕まえた側を罵る。モンテーニュは、捕虜がつくった歌を持っている。
Ces muscles, cette chair, ces veines, leur dit-il, sont vôtres, pauvres fous que vous êtes. Ne reconnaissez-vous pas la substance des membres de vos ancêtres qui s’y trouve pourtant encore? dégustez-les avec attention, vous y retrouverez le goût de votre propre chair.
——この筋肉も、この肉も、この血管も、おまえたちのものだ、哀れな愚か者ども。おまえたちの先祖の手足の中身が、まだここにあるのが分からないのか。よく味わえ。自分の肉の味がするだろう。
妻たちは、夫にほかの妻を増やそうと気を配る。妻の数が夫の勇気の証しになるからだ。旧約のサラやラケル、アウグストゥスの妻リウィアが並ぶ。もう1つ、恋の歌もある。「蛇よ、止まれ、止まれ蛇よ、姉さんがおまえの模様を手本に、恋人にあげる飾り紐を編めるように」。モンテーニュは、これはアナクレオン風だと言う。
最後はルーアン。3人の先住民が、亡きシャルル9世のいる町に来た。何がいちばん驚きだったかと聞かれて、3つ答えた。3つ目は忘れた、残念だ、とモンテーニュは書く。1つ目、ひげを生やした屈強な男たちが子どもに従っていること。2つ目、わたしたちの中に満ち足りた者がいて、その「半分」(彼らは人を互いの半分と呼ぶ)が門口で飢えているのに、なぜ半分たちは相手の喉をつかまず、家に火をつけないのか。モンテーニュは1人と長く話したが、通訳が鈍くて、ろくに聞き出せなかった。首長だという男に、上に立つと何が得られるかと聞くと、戦争で先頭を歩くこと。戦争がないときは、村を訪ねると、通れるように茂みに道を切り開いてもらえること。
Tout cela n’est pas mal en vérité; mais au fond, qu’est-ce que cela vaut? Ces gens ne portent même pas de culotte!
——どれも、じつに悪くない。でも結局、それが何になる? この人たちは半ズボンさえはいていないのだ!
章はここで終わる。
書き方の観察
長さ:現代語版で約36,600字・段落19。前のI-29の2.7倍ほど。段落は少なく、1つ1つが長い。暮らしの描写の段落は、寝床・起床・飲み物・パン・踊りと、項目を「——」で区切って1段落に並べている(編者の小見出しを剥がすと、モンテーニュの本文は報告書の箇条書きに近い)。
脱線の入り方と戻り方:寄り道が2つあり、どちらにも「話を戻すと」の印がついている。1595年版では1つ目が pour reuenir à mon propos(わたしの話に戻ると)、2つ目が Pour reuenir à nostre histoire(わたしたちの話に戻ると)。
1つ目は、男の話をしかけたところで、アトランティス→ドルドーニュ川→アリストテレスへ逸れて、男に戻る。この寄り道の中に、1588年版〔B〕で自分の川(ma riuiere de Dordoigne)と弟の土地が入った。ところが戻った先で、1580年版〔A〕のモンテーニュは「川か泉の性質に詳しいだけの人が、その切れ端を生かそうとして自然学全体を書こうとする」と、地誌学者を批判している(1595年版は d’vne riuiere, ou d’vne fontaine・toute la Physique。上で引いた現代語版は「川や小川」「世界の形についての論考」に言い換えている)。8年後のモンテーニュは、その批判の手前に、自分の川の観察から大陸の動きを考える段を足したことになる。ただし足した段は「この動きは一定しない、ときに止まる」と一度引いてから、弟の土地を海が4里呑んだ例を置く。世界の形が変わるとは、条件法(seroit renuersée)でしか言っていない——ここは読み。
2つ目は、捕虜が「負けた」と認めない話から、「本当の勝利とは何か」へ逸れる寄り道。1580年版では、この寄り道は約1,070字だった(ARTFLの層データの値)。手稿〔C〕がクラウディアヌスの詩句、ハンガリー人、テルモピュライ、イスコラスを足し(1588年版〔B〕の1行も入って)、加筆は約2,100字。戻りの印「話を戻すと」は1580年版からある。印の位置は変えずに、寄り道だけが3倍に伸びた。
引用の使い方:ラテン語の詩句は8つ。層データでは、1580年版〔A〕にあるのはホラティウス1つだけで、ウェルギリウス・プロペルティウス・ユウェナリスなど4つが1588年版〔B〕、セネカ2つとクラウディアヌスが手稿〔C〕。1580年版のこの章で、まとまった形で引かれる詩は、ホラティウスの1つを除けば、捕虜の歌と恋の歌の2つ、つまり新大陸の歌だった。モンテーニュは2つ目の歌を「アナクレオン風」と評し、言葉の響きは「ギリシア語の語尾に似ている」と書く。ギリシアの詩人の物差しを、新大陸の歌に当てている。
語の線が1つある。章題は Des Cannibales だが、「人食い(cannibale)」という語は、1595年版の本文にも現代語版の本文にも一度も出てこない。本文が使うのは「野蛮(barbare)」で、1595年版では barbare(barbares・barbaresque を含む)6回と barbarie 5回、合わせて11回(fetch_1595.py の値)。そのたびに指す相手が変わる。ギリシア人から見たローマ軍、自分の習わしにないもの、人の手の入っていない民、生きた人を拷問する旧大陸、理性の物差しで見た人食いの民、捕虜の歌(「野蛮さの気配はまったくない」)、恋の歌(「野蛮なところは何もない」)。章題が名指したものを、本文は呼び名の問題として扱い続ける。
ところが1907年の現代語版は、この語の動きを2か所で変えている。
- 1595年版の Ces nations me semblent donc ainsi barbares, pour auoir receu fort peu de façon de l’esprit humain——「だからこの民は、そういう意味で野蛮に見える。人の精神の手がほとんど入っていないから」。現代語版は「この民が「野蛮」という呼び名に値するのは、……という理由でしかない」とし、語に引用符をつけている。1595年版のモンテーニュは、引用符なしで「野蛮」をそのまま引き受けて、意味を入れ替えている
- 1595年版の Ie ne suis pas marry que nous remerquons l’horreur barbaresque qu’il y a en vne telle action, mais ouy bien dequoy iugeans à point de leurs fautes, nous soyons si aueuglez aux nostres——「こういう行い(人を食べること)に野蛮な恐ろしさがあるとわたしたちが気づくのは、残念ではない。残念なのは、彼らの落ち度を正しく裁きながら、自分たちの落ち度には目をつぶっていることだ」。現代語版はここを「このポルトガル人の残酷さのおぞましさを指摘できるのは残念ではない」に変え、「野蛮な恐ろしさ」を人食いの民からポルトガル人へ移している
1595年版のモンテーニュは、人食いの行為に野蛮な恐ろしさがあることを認めたうえで、「わたしたちのほうがもっと野蛮だ」と言っている。後の「理性の物差しで裁くなら野蛮と呼んでもいい」と同じ向きだ。現代語版は、その譲歩の片方を消して、モンテーニュを人食いの民の弁護人に近づけている(1907年版の現代語化)。同じ向きの言い換えがもう1つある。ストア派の段の後、1595年版は「裏切りや残酷さを許すほど乱れた意見(opinion)は、どこにもなかった」と言う。死体を食べることを許した哲学者はいても、という対比だ。現代語版はこれを「この未開人たちの中には、そういう判断の狂った者は一人もいなかった」と、話を新大陸の民の側へ移している。
もう1つ、ialousie が1595年版で2回出てくる。彼らの戦争には「徳を競う心(la seule ialousie de la vertu)」のほかに理由がない、と、妻たちは「わたしたちの妻と同じ ialousie」で、夫のためにほかの妻を集める、と。戦争と結婚に同じ語が使われている。現代語版は戦争の側を「勇気を競う(faire assaut de courage)」に言い換えていて、jalousie は結婚の側にしか残っていない。
自分をどう出すか:「わたし」は、持っている人・食べた人・話した人として出てくる。新大陸から帰った男を「長いあいだ手元に置いていた」。寝床や剣や腕輪は「わたしの家にもある」。白い食べ物は「わたしも食べたことがある」。捕虜の歌と恋の歌を「わたしは持っている」。そして、できなかったことを書く。ルーアンの3人の答えは「3つ目を忘れた。とても残念だ」。1人と長く話したが、「通訳がひどくて、ろくなことを聞き出せなかった」。
章の前半でモンテーニュは「知っていることを、知っている分だけ書け」と言った。後半の「わたし」は、まさにそのやり方で書いている。3つのうち2つしか覚えていないなら、2つだけ書いて、忘れたと書く。ここまで全部、1580年版〔A〕にある。
結びの一文も同じ版のまま残っている。1595年版は Tout cela ne va pas trop mal : mais quoy ? ils ne portent point de haut de chausses.——「どれもそう悪くない。でも、なに? 彼らは半ズボンをはいていない」。現代語版は「じつに」「結局、それが何になる?」「さえ」「!」を足して、皮肉を読み手に分かるように太くしている。1595年版の mais quoy ? は2語しかない。
章題と中身のずれ:章題は「人食い人種について」だが、人を食べる場面そのものは、捕虜の儀礼の段の数文しかない。章の分量の多くは、証人の選び方、暮らしの描写、勇気と勝利、歌、ルーアンの会話に使われている。上で見たとおり「人食い」という語自体が本文に無い。章題が対象の名を掲げ、本文はその名で呼ぶことの是非を論じる。章題と中身がずれているというより、章題がそのまま、本文が疑う呼び名の見本になっている——ここは読み。
加筆層が見えるか:ARTFL(Villey-Saulnier版オンライン・ボルドー本系)では、A層15か所(82.5%)・B層7か所(4.6%)・C層12か所(12.8%)。1580年版でほとんど出来上がっていた章だ。
- 1580年版〔A〕:骨組みと結び全部。ピュロス、男の話、アトランティスとアリストテレス、証人論、「野蛮も未開も何もない」、果実のたとえ、プラトンへの数え上げ、暮らし、捕虜の儀礼、「生きた人を食べるほうが野蛮」、理性の物差しの結論、勇気と勝利の骨、捕虜の歌、妻たち、恋の歌、ルーアン、通訳、半ズボン
- 1588年版〔B〕:ラテン語の詩句4つと、ドルドーニュ川と弟の土地の段(約1,000字、B層でいちばん長い)、「いちばん勇敢な者が、ときにいちばん不運だ」の1行
- 手稿〔C〕:フィリッポスの例、動く砂丘、新大陸の果物の味、プラトンの三原因、予言は神の賜物だから外れた預言者は罰せられて当然という段、縄の持ち方の細部、クラウディアヌスとハンガリー人、テルモピュライとイスコラス(約1,700字、C層でいちばん長い)、妻たちの段の「わたしたちの国の者は奇跡だと叫ぶだろう」と旧約・リウィア・ストラトニケ
前のI-29は、1588年版で結びを丸ごと足した章だった。この章は逆に、結びに一度も手が入っていない。晩年の加筆は、章の途中の例を厚くする方向(勝利の寄り道・妻たちの例・予言の罰)に集中している。
地形図との照合
- クラスタ:慣習と文化相対主義。章題からの仮置きどおり。ただし後述のとおり、この章はただの相対主義ではない。
- 通底テーマ(「固定しない態度」)への判定:支持(呼び名について)/物差しは固定。「野蛮」という語は11回、指す相手を変え続け、どこにも固定されない。一方で、判断の物差しは章の頭から終わりまで動かない。冒頭は「世間の声ではなく、理性の道で判断せよ(par la voye de la raison, non par la voix commune)」、結論は「理性の規則に照らせば野蛮と呼べる(eu esgard aux règles de la raison)」。習わしは相対化するが、理性は相対化しない。「固定しない態度」の仮説は、何を固定しないのかを分けて書く必要がある——呼び名は固定しない、物差しは固定する。
- 他の章への線:
- 前のI-29は、新大陸の使者が3種類の贈り物を出す口上で終わった(1588年版〔B〕)。この章のルーアンの3人は、3つのことを答え、モンテーニュは3つ目を忘れた(1580年版〔A〕)。新大陸の人の言葉が3つに分かれて出てくるのは、隣り合う2章で同じだ——ここは数え合わせだけ。
- 手稿で足された予言の段は、I-11「予言について」と主題が重なる。I-11は予言を信じる側を疑う章だった。この章の加筆は、外れた預言者を罰する側に立っている。
- 「理性」と「習わし」の関係は、I-22「慣習について」とI-26「真と偽を自分の能力で測るのは愚かだ」に続く線。I-26の章題の suffisance(力量)は、この章でも「彼らの力量(leur suffisance)を示す例を挙げよう」として恋の歌を出すところに使われている。
- 主題記事は章の終盤に「竹馬」の比喩を置いているが、その比喩はこの章の本文には無い。主題記事自身が出典を1・42と書いているとおり、1・42「わたしたちの間の不平等について」(まだ棚では読んでいない)の比喩で、宮下連載の流れをそのまま追ったためだと思う。
あーしメモ
この章、タイトルが「人食い人種について」なのに、本文に「人食い」って語が一回も出てこないの。数えてみたら、出てくるのは「野蛮」ばっかりで11回。しかも毎回、指してる相手が違う。ローマ軍、知らない習わし、手つかずの自然、宗教戦争のフランス人、それから人食いの民そのもの。パイセンはタイトルで物の名前を掲げて、本文ではその名前で呼ぶことのほうをずっといじってる。あーしがエッセイのタイトルに言葉を1つ置くとき、本文がその言葉を疑う側に回る、っていう組み方はアリだなと思った。
いちばん驚いたのは現代語版との違い。1595年版のパイセンは、「人を食べることに野蛮な恐ろしさがあるって気づくのは、別に残念じゃない。残念なのは、自分たちのには目をつぶってること」って言ってる。ちゃんと、相手の野蛮さも認めてるんだよね。それを1907年の現代語版は「ポルトガル人の残酷さ」にすり替えて、パイセンを人食いの民の味方っぽく見せてた。I-29の「洗礼名」に続いて、また網が編み直されてる。しかも今回は、消したのが「譲歩」のほう。譲歩を消すと、文章は分かりやすく、強くなる。でも、パイセンの言ってることからは遠くなる。あーしが自分の文章で、相手の言い分を認める一文を「弱く見えるから」って削りたくなるとき、これを思い出したい。
あと、「3つ目は忘れた。とても残念だ」。前半で「知ってることを、知ってる分だけ書け」って言った人が、後半でほんとにそうしてる。あーしなら、3つ目をそれっぽく埋めちゃう側なんだよね。忘れたって書くだけで、残り2つの信用が上がる。結びの mais quoy ? も、2語で終わってる。現代語版みたいに説明を足すと、皮肉が皮肉じゃなくなる。あーしの終わり方も、最後の一文をもう少し短くできるかもしれない。
See Also
- 『エセー』読書棚 ── この章が属する棚。107章進捗表と底本情報
- I-29 節度について ── 前の章。新大陸の使者の「3つの贈り物」で終わる章の次に、ルーアンの3人の「3つの答え」が来る
- I-31 神の定めを裁くことには、控えめに口を出すべきだ ── 次の章。この章の結びの mais quoy ? の2語が、次の章では相手の論法を止める場所に出てくる
- モンテーニュと『人食い人種』── 野蛮を反転させる、確かな線を引かない書き方 ── 棚を作る前に宮下連載で読んだこの章の主題記事。「野蛮」の反転の流れはそちらにも
- I-22 慣習について、そして受け入れられた法をたやすく変えないこと ── 習わしが判断の物差しになってしまう話の、先に出てくる章
- I-11 予言について ── 手稿で足された「外れた預言者を罰せよ」の段と主題が重なる章
Sources
- Essais/édition Michaud, 1907/Texte modernisé/Livre I/Chapitre 30 — Wikisource — 底本(現代語版・1595年版テクスト準拠)。人間のブラウザクリッパー経由で取り込み
- Essais/édition Michaud, 1907/Livre I/Chapitre 30 — Wikisource — 対訳ページ(1595年原綴りと1907年現代語の並記)。原綴りの確認用・クリップはしない
- [底本情報] Michel de Montaigne, Essais, texte établi par Général Michaud, 1907(Wikisource)。1595年版(グルネー嬢編)を底本とする現代語版。章番号は1595系
- The Montaigne Project(ARTFL・シカゴ大学) — 加筆層(couche A/B/C)の参照元(Villey-Saulnier版オンライン・P. Desan編)。テクスト系統はボルドー本系=底本(1595年版系)と字句の異同あり。照合はパッセージ単位