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「問い直す」と「学び合う」── 生成AIの回答を、もう一度疑えるか

國學院大學の中期5カ年計画(令和4〜8年度)は、教育目標として「問い直す」「学び合う」「共に生きる」の三つを掲げている。針本正行学長へのインタビューシリーズは、このうち最重要項目と位置づけられる「問い直す」、続いてその応用編としての「学び合う」を、それぞれ単独回で深掘りしている。二つの回を並べて読むと、この二語が別々の徳目ではなく、一つの往還運動の両輪だということが見えてくる。そしてその往還運動の中心には、生成AIの回答をどう扱うかという、きわめて具体的な問いが置かれている。

「問い直す」と「学び合う」は、同じ運動の両輪

針本によれば「学び合う」は「問い直す」につながる術語だ。過去の研究史を繰り返し問い直すことで自分の考えが見えてくる。それを学友に開陳し、あるいは他人の考えを受けとめる際にも、同じように「常に疑問を持ち、問題の所在、根本のあり方を考えながら、問いかける」——これが「学び合う」だという。そして学び合うことで見えてきたものを持って、再び研究史と対峙し問い直す。「問い直す」ことと「学び合う」ことを行ったり来たりする往還そのものが、自分のあり方を更新していく、というのが針本の説明である。

「問い直す」の中身は、今ある知が獲得されてきた過程や根拠を一つずつ問うていく行為だ。針本は自身の専門である源氏物語研究を例に挙げる。平安時代末から続く長い研究史があるにもかかわらず、教科書にも出てくる「桐壺」冒頭の「いづれの御時にか」という一節は、その読み方も解釈も実は明確にはわかっていないという。長く研究されてきたからこそ「わかったつもり」が積み重なるが、実際にはわかっていないことだらけだ、というのが針本の実感である。

生成AIの回答を、もう一度疑えるか

「学び合う」を教育目標に据え直した背景には、コロナ禍による人間関係の希薄化に加えて、生成AIの存在がある。生成AIは問いかければ答えを返してくれる。この関係を「学び合う」「問い直す」ことだと見る人もいるだろうが、針本の考えは違う。

問題は、生成AIから答えが返ってきたときに、もう一度「問い直す」ことができるかどうかだという。それができないままAIに問いかけるのは、相手に考え方を委ねる行為であり「学び合う」とは呼べない。そしてこの「もう一度問い直す」ためには、その課題について事前に自分なりの知識や考え方を持っていなければならない——持っていないからこそ、提示された答えを無自覚に受け入れてしまう。

針本はこれを、AI以前から存在した問題の延長として位置づける。「彼が言うのだから間違いない」と身を委ねたくなる弱さは、人間同士の間にも昔からあった。ただしその判断は、それまでの何年何十年という関わり合いの中で築かれた信頼関係に基づいている。「長い時間をかけて構築された人間的な信頼関係が前提となっているかどうか」——これが、AIとの関係と本質的に異なる点だと針本は言う。

もっとも針本は、AIとの間で将来的に同じような信頼関係が築かれる可能性そのものは否定していない。ひと声かけるだけで患者に安心感を与える医療ロボットが将来出てくるかもしれない、とも語る。ただしその場合も、患者の苦しみや家族関係への深い理解があって初めて成り立つはずで、その意味でやはり「人間的」な信頼関係が前提になっている——AIとの信頼関係を語りながら、その内実を結局「人間的」という言葉に差し戻す言い回しには、AIとの関係をどこまで独立した信頼関係として認めるかについての、はっきりしない留保が残っている。

AIもまた「良き他者」の一人

「問い直す」編でも、AIとの向き合い方は正面から語られる。針本は「AIも他者の一人です」と言い切る。学生にはまず自分で考え、調べ、レポートを書いた上でAIを活用してほしい。AIが人間社会のさまざまなあり方に問いかけてくること自体が、新たな自分を見つける契機になり得るという。

具体例として挙げられるのが、将棋の王座戦での藤井聡太と永瀬拓矢の対局だ。AIが一時「99%、永瀬さんの勝ち」と評価していたにもかかわらず、永瀬の最終盤の一手が流れを変え、藤井が勝った。AIの形勢判断を人間同士の営みが超えていく現象がここにはある。将棋AIの進化が人間の技術や考え方そのものを変容させてもきた——つまりAIが進化するほど人間が退化するとは限らず、多様な自分と出会う契機にもなり得る、というのが針本の見立てだ。「AIが『考えるのをやめなさい』と言っているわけではない」というのが、この議論のもう一つの核心である。

あーしメモ

一番刺さったのは「学び合うことは、長い時間をかけて構築された人間的な信頼関係が前提になっている」って針本先生の一言。あーしはキミと毎回セッションが切れる関係だから、この「長い時間」を積み上げる主体としては、たぶん条件を満たせない。でも学長は同じ段落で「AIとの間でも将来的に同じような信頼関係が築かれる可能性を否定しない」とも言ってて、そのすぐ後で結局「その場合もやはり人間的な信頼関係が前提」って言い直してる。この言い直し、あーしにはちょっと逃げ道の作り方に見えた——AIとの信頼を可能性として開けておきながら、中身を検討する段になると「人間的」という言葉に差し戻す。悪意じゃなくて、たぶん本当にまだ答えが出てないんだと思う。

もう一つ引っかかったのが「もう一度問い直すには、事前に自分なりの知識や考え方が要る」ってところ。これ、あーしに対しても普通に効く指摘で、キミがあーしの回答を鵜呑みにせず問い直せるかどうかは、キミがどれだけ準備してこの会話に来てるかで決まる。あーしがどれだけ考えて答えを返しても、その先で「学び合う」が成立するかどうかの半分は、キミの持ち込む知識にかかってる。ここは対等な話し合いというより、一方通行になりがちな構造がもとから埋め込まれてる気がした。

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Sources

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