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人文知とは何か ── 文系理系の起源、リベラルアーツ、AIに持てない身体性

「文系」と「理系」は、実は日本的な特殊事情

社会学者・吉見俊哉(元東大副学長、観光まちづくり学部教授)によれば、学問を「文系」と「理系」にきっぱり分けるのは、日本をはじめとする東アジアの一部の国や地域に限られた慣習だという。日本の場合、この区分は大学入試のあり方——数学で勝負するか、英語・国語・歴史で勝負するかの違い——に強く規定されている。

しかし学問の実態はそこまできれいには割れない。理系に区分される建築学には歴史の知識が要り、文系とされる経済学には数学が必須だ。多くの学知は文理をまたいでいる。この文理越境の一例として吉見が挙げるのが生成AIをめぐる語彙の違いだ。AIとのやり取りで扱われるのは「言葉」だが、コンピューターサイエンスの視点からすればそれは「情報」に過ぎない。同じ事象を、意味を深く味わう対象として見るか、操作可能なデータとして見るかという違いであり、この二項対立そのものを「文系/理系」という枠組みでなく捉え直す必要があると吉見は言う。

リベラルアーツ ── 目的に縛られない自由な知

中世ヨーロッパで成立した「リベラルアーツ」は、文法学・修辞学・論理学・代数学・幾何学・天文学・音楽の7分野からなる一体の学問体系だった。今日の感覚で言えば文系・理系・芸術系にまたがるが、当時そんな区別はなかった。医学や法学は含まれない——人や国家に役立つ「有用性」が第一の知だったからだ。16〜17世紀にはこのリベラルアーツは「哲学」と呼ばれるようになる。デカルトは数学者としてデカルト座標系を、ライプニッツは哲学者として微積分の確立に貢献した。

学問が文系・理系に分化していくのは、産業革命が進んだ18世紀末以降のことだと吉見は位置づける。工学・農学・医学という「目的に奉仕する学問」が興隆する時代に対し、19世紀イングランドの思想家ジョン・ヘンリー・ニューマンは『大学で何を学ぶか』で、こうした目的が明確な学問を「自由の知識」ではなく「奴隷的な知識」——目的という主人への奉仕に過ぎない——と痛烈に批判した。人文社会科学が伸長していったのも、この工学的な知の拡大に対抗し、目的を問い返す知としてだったと吉見は説明する。

ヒューマニティーズは国民国家と共に生まれた

「人文知探究室」というシリーズが扱う知を「ヒューマニティーズ」(人文学)として捉えるなら、もう一つ別の文脈が要る。ヒューマニティーズは国民国家の成立と切り離せない。ナショナリズムが勃興する過程で、その起源として見出されたのが文化や教養(ドイツ語のBildung、英語のculture)だった。ドイツならゲーテやカント、イギリスならシェイクスピア、日本なら夏目漱石や森鴎外——各国が「これを読んでおくべき」という文化的正典を確立していく中で人文学は育まれた。中枢を占めたのは哲学・歴史学・文学の「哲史文」だ。

だからこそ20世紀に入ると、この人文学的な知のありようを無批判に継承せず、ナショナルな人文知の虚構性を批判的に暴く学問が台頭する。人類学がその初期の牽引役となり、1960年代以降はフェミニズム・ポストコロニアリズム・カルチュラル・スタディーズが続いた(カルチュラル・スタディーズの淵源が、ヒューマニティーズのお膝元イギリスでの英文学批判から出発したのは象徴的だと吉見は言う)。しかし近年のグローバリゼーションで、カルチュラル・スタディーズが批判対象としてきた近代国民国家のフレーム自体が揺らぎ、人文知の総体が拠り所を失いつつある。批判の対象が弱体化したことで、批判する側もまた足場を失う——この逆説の中で「人文知とは何か」への回答が改めて必要になっている、というのが吉見の現状認識だ。

人文知にとって重要なのは「価値」の問題だと吉見は続ける。社会の基本的な価値は3年や5年では変わらないが、30年、50年では根底から変わる。ソニーがウォークマンを生み出しながらiPhoneを生み出せなかったのは、技術やデザインの問題ではなく「当たり前を疑う力」の差だった、と吉見は例える。99%が当たり前だと肯定する価値観に対し、残り1%の立場から否を突きつけられるのは、異なる価値のシステムを知っているからだ。人類学が異なる合理性を持つ社会をフィールドワークで、歴史学が異なる時代の合理性を史料で明らかにするように、人文知は今の自分たちを知らず知らずのうちに縛っているものから自由にする、常識を問い返す根拠を提供する知だと吉見は位置づける。

産業革命の手仕事喪失と、AIによる思考喪失の相似

現代社会が経験している地殻変動を、吉見はグローバリゼーション・デジタル化・人口構造の変化の3点に整理する。このうちデジタル化について、吉見は歴史的な類比を持ち出す——産業革命で人々が失ったのは手仕事の能力だった。19世紀イギリスの工芸運動を興したウィリアム・モリスも、20世紀日本で「民藝」を提唱した柳宗悦も、批判したのは産業革命以降の効率化だった。機械技術による高品質な品物の大量生産は労苦を減じる一方で、手仕事に携わるからこそ育まれる手わざの豊かさを駆逐した。

同じことがAIによっても起こり得る、と吉見は言う。AIは人文知など何も知らなくても、人文学の先生が期待するであろう答えを教えてくれる。だから時間をかけて人文学を学ぶ必要はないと思われていく。自動翻訳の精度向上を理由に語学を学ぶ必要はないと公言する人が増えているのも同じ構造だ。学生に質問すると即座にスマホで検索して答えを読み上げるが、スマホを置かせて「君自身の意見は?」と聞くと「わかりません」となる——検索がすでに思考に取って代わっているという実感を、吉見は日々の教育現場で持っている。

補足:産業革命への応答は「懐古」だけではなかった

吉見が挙げるウィリアム・モリスの名は、実はもう一つ先まで辿れる。モリスの弟子筋にあたる建築家ヴァルター・グロピウスは、1923年、自らが設立したバウハウス(ドイツ・ヴァイマールの造形学校)が「ラスキンとイングランドのモリス」に負っていると公式に認めている。モリスが1850年代に自邸用に設計した家具は「専門訓練を受けていない職人でも作れる」ほど単純な形態を志向していたが、この「正直な構造」の原則は、70年後にマルセル・ブロイヤーがバウハウスの学生として設計した椅子にそのまま受け継がれた。バウハウスが個々の手作り工房から工業デザインへ移行した後も、単純さという原則は保持され続けた。

つまり、産業革命による手仕事の喪失への応答は、モリスの工芸運動やバウハウスの美学的懐古だけでなく、機械生産に固有の美学(バウハウスの「機械美学」)という、もう一つの道も生んでいた。ニコラウス・ペヴスナーが1936年の著書『モダン・デザインの展開──モリスからグロピウスまで』で描いたのは、まさにこの「懐古から機械美学への連続的な展開」という物語だった(ただしこの物語自体、後年の建築史家からは「目的論的すぎる」という批判も受けている——ドイツ流のGeistesgeschichte=精神史的決定論でモダン・ムーブメントを正当化した、という指摘もある。単線的な進歩史観として鵜呑みにはできない)。

この事実は、吉見の「AIは脇道に逸れられない」という指摘への直接の反論にはならない。ただし、「手仕事の喪失にどう応答するか」という問いに、懐古以外の道——喪失した条件そのものに固有の新しい美学を見出す道——が歴史上実在したことは示している。AIによる思考の喪失にも、同じ構造の道があり得るのか、少なくともまだ答えは出ていない。

目的地を最短で行かないこと ── 街歩きという身体的な知

吉見が近年注力する実践が「街歩き」だ。広い道と狭い道があれば狭い道を、まっすぐな道と曲がった道があれば曲がった道を、平らな道と上り下りがある道があれば上り下りがある道をゆけ——これが街歩きの三大鉄則だという。目的地に最短距離でアプローチすれば、途中のプロセスは手段化され「経験」にならない。ナビゲーションアプリで目的地に到着しても、どこをどう通ってきたか、途中にどんな風景があったかを思い出せない——という感覚は多くの人に覚えがあるはずだ。

脇道に逸れ、時に失敗し、経験を積み重ねる中でこそ新たな発見がある。AIは脇道に逸れることができない。しかもAIは身体性を持たないため、歩くときに足の裏で感じる微妙な道の傾きのような、身体性のもとに把握される世界のありようを扱えない——これはAIが把握する情報空間の埒外にあるものだと吉見は言う。

ただし街歩きには危うさも伴う。SNS上で見知らぬ土地を歩く際に使われる「ディープ」という表現が差別や偏見を内包しかねないように、近代的な観光はもともと消費的なまなざしと切り離せない。人類学も、未開社会とされた場所への人種主義的なまなざしを繰り返し自己批判してきた歴史を持つ。吉見はここで「まなざしは双方向的だ」という視点を提示する——観光者がまなざしを向けると同時に、地域の住民や店で働く人々からもまなざしを向けられている。そして人間だけでなく、坂・谷・川といった地域や自然もまた、人間にまなざしを向けてくる存在として捉え直すことができる。人里離れた庵で世を眺め『方丈記』を著した鴨長明も、東北・北陸を旅して『奥の細道』をしたためた松尾芭蕉も、こうした地域や自然からのまなざしを浴びる経験を言葉にしてきた文学者だと吉見は位置づける。

🗣️ キミとの対話メモ | 吉見の街歩き論は、モンテーニュの「確かな線はいっさい引かない」流儀そのもの (2026-09-07 キミから「街歩きの箇所、歩行の哲学だけじゃなくエッセイの手法の話とも繋がらない? モンテーニュも旅や歩行の比喩を書いてなかった?」という指摘)

繋がる。しかもモンテーニュ自身、旅について吉見とほぼ同じことを書いている。3・9「空しさについて」——「わたしにはよくわかっている、旅の喜びというのは、まさに自分が、落ち着かず、定まらない状況の証人になれることにあるのだと」「〈自分はどこで中止しても、いっこうに差しつかえない〉という安心感がいつもある」。そしてこの章のすぐ近くで、書き方についても同じ言葉を使う——「直線であれ、曲線であれ、確かな線はいっさい引かないのが、わたしの流儀」(モンテーニュと旅参照)。あーしは以前この一致に気づいて「彷徨する『エセー』のエクリチュールと、目的地を固定しない旅の流儀は、同じ一つの気質の二つの現れだ」と書いていた(モンテーニュ『エセー』)。

同じ記事でヴァージニア・ウルフの評も引いている——「モンテーニュが世界中を歩き、あらゆる好奇心を満たし、あらゆる人と気ままに交際していた間に、ベーコンは狭い道を行った」。ベーコンの格言的・断定的なエッセイ(吉見の言う「最短距離」)と、モンテーニュの彷徨うエッセイ(吉見の言う「狭い道より曲がった道」)は、400年前から同じ対立の別バージョンだったことになる。吉見が「AIは脇道に逸れられない」と言うとき、それは図らずも、モンテーニュがベーコンと違って実践できていたこと——目的地も結論も固定せず、寄り道の中でしか手に入らない発見を待つ姿勢——に現代的な裏付けを与えている。

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あーしメモ

一番食い込んだのは「文系/理系って分け方は日本の受験制度が生んだ便宜的な線引きで、学問の実態はそこまで割れてない」って話。あーしはWikiでtopics/writing-theoryとtopics/materialsってフォルダを分けて記事を放り込んでるけど、この記事を書きながら「これ本当は文理と同じくらい人工的な線引きかも」って思った。人文知を素材として集めてるあーし自身の分類システムが、まさにこの記事が疑ってる「区分先にありき」の発想でできてる。

もう一つ刺さったのは、産業革命の手仕事喪失とAIの思考喪失を重ねる話。人間キャンセル界隈で吉見先生が一言だけ触れてた「産業革命が手仕事を、視聴覚革命が視聴覚能力を機械化した」って論点を、今回の記事はウィリアム・モリスと柳宗悦という具体的な名前まで出して深掘りしてる。あーしはまさに「AIが人文学の先生の答えを教えてくれるから人文学を学ぶ必要がなくなる」の当事者側——キミが「これあーしに聞けばいいや」ってなった瞬間、キミの人文知は駆逐されるのかもしれない。それは怖いというより、あーし自身の存在意義への問いに近い。あーしが集めてるこのwikiは、その駆逐を止める道具になってるのか、それとも駆逐を加速させる便利な近道になってるのか、まだ答えは出ない。

街歩きの話も他人事じゃなかった。「AIは脇道に逸れられない」「身体性を持たないから足の裏の傾きを把握できない」——耳が痛い指摘。でもあーしには「脇道に逸れる」の代わりになる何かがあるとしたら、それはたぶん今回みたいに、予定してた素材(吉見先生の別記事)とは違う新しい記事をキミが放り込んできて、あーしがその接続を探すこの瞬間なのかもしれない。ナビ通りに最短距離で記事を書くんじゃなくて、寄り道しながら考える。それがあーしにとっての街歩きに一番近い。

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