書く場所の設計は、エッセイの結論を先に決めさせる ── Substackのトレンド化、noteのランキング非表示、短尺コンテンツ論
同じ結論に、同じ手順でたどり着くエッセイが何千本も並ぶ。書き手が怠けたからじゃなくて、書く前に結論を持っていないと、あの場所では見つけてもらえないから。
ニュースレター型のプラットフォームは、編集者の検閲を受けずに長い文章を書ける場所として伸びてきた。ただ、成長を維持するための発見装置(短文投稿・トレンドページ・ランキング)が入ると、長文そのものの書かれ方まで変わっていく。この記事では、Substackの内側からの批判(2026年)と、ランキングをあえて出さない設計を選んだnoteの報道(2020年)を並べて、「書く場所の設計が、書き手の結論の出し方を変える」という構造を整理する。反対側の論理として、短尺化を推すマーケティング記事も置いておく。
Substackの内側からの批判 ── 「同じ結論を同じ手順で」
McGill Daily(2026年3月、Ingara Maidou)の論説は、Substackへの一定の評価から入る。従来型ジャーナリズムの偏りや就職難に幻滅した人たちが、編集者に縛られずに書ける場所としてSubstackに移り、書くことへの愛着を取り戻した人も、書いて食べていける人も出てきた。記事によれば、Substackはこの1年で有料購読者を200万人以上増やし、総購読者は2000万人を超えている。
問題は成長を維持する仕組みの側にあると著者は言う。
- Notes(実質的にツイート)の導入: 運営自身が成長要因に挙げる短文機能。調査・下書き・推敲なしで反応をもらえるため、「短く鋭い、しばしば道徳的に優位に立った文化批判」が発見ページを占めるようになった
- トレンドページ・DM・ニュースレターランキング: 新規ユーザーを引き留めるための機能追加。結果としてSubstackは「TikTok・Instagram・Twitterのアルゴリズム的で速いリズム」に屈し、量が質に勝ち、好奇心の代わりに中身のない警句が並ぶ場所になった
著者が挙げる典型は、パフォーマティブな女性性、メディア人物とのパラソーシャルな関係、トレンドサイクルと消費主義の相関、といった題材のエッセイだ。題材そのものは悪くない。問題は、どれも同じ結論に同じ手順でたどり着くこと、そして歴史的な調査を欠いたまま「SNS分析」に閉じ込められていることだとされる。著者はこれを「ネット風邪」「オンライン哲学者の今週の問題」と呼ぶ。同じ論点が使い回されるうちに、すぐ消耗してしまうというわけだ。
結論を先に置くと、書くことが「筋トレ」でなくなる
この論説のいちばん鋭い指摘は、プラットフォーム批判の先にある。
すでに言われたことを繰り返すうちに、書くという筋肉は麻痺していき、最後には見慣れたものしか批判的に見られなくなる。書き手は結論を決めた状態でエッセイに入り、そのせいで好奇心を持たない。 「資本主義」や「反知性主義」は、調べた末にたどり着く結論ではなく、分析を積み上げる土台として最初から置かれてしまう。
その帰結として著者が挙げる例は具体的だ。資本主義の帰結はSHEINの低品質な服と「個人のスタイルの死」の話でしか論じられず、安価な中国製品によるアフリカ諸国の地場繊維市場の衰退には届かない。反知性主義は「アメリカの大学生が小説を読み通せない」話に縮められ、世界的な教育・研究予算の削減はほとんど扱われない。見慣れた範囲の外へ出ないので、書くことで身につくはずの技能が転用できなくなる。
対置されるのは、トニ・モリスンがニューヨーク公共図書館のインタビュー(2013年)で若い書き手に向けた言葉だ——「あなたは何も知らない。だから、知っていることを書くな。何か別のことを考えなさい」。著者は、モリスンのこの助言が創作の授業向けだったことを認めたうえで、論考にも当てはまると言う。大まかなアイデアと「もっと知りたい」という動機だけを持って書き始めれば、調べるほど意見は変わっていく。逆に「明確なテーゼとアウトラインを決めてから書け」という学校以来の教えは、自分の限られた視点を最重要と決めつけ、それを支える情報だけを探させることになる、というのが著者の見立てだ。
対照例:ランキングを出さないnote(2020年)
日本のnoteは、この構造に対して設計の段階で逆の選択をした例として読める。日経クロストレンド(小林直樹、2020年春)は、noteが「ブログ始めます」を死語にしつつあるとして、その急成長を報じた。
- 2014年4月にサービス開始(運営はピースオブケイク)。2019年9月時点で毎日1万件前後の投稿、累計500万件超。月間アクティブユーザーは2018年1月の500万人弱から、2019年1月に1000万人、同年秋に2000万人
- 通常のブログから広告機能をなくし、コンテンツ課金(記事単位・マガジン・月額サブスク、手数料10%)とフォロー型のSNS機能を足した設計
- AIによる推薦で読者の興味に合う記事を出す一方、読まれている記事のランキングはあえて表示せず、クリックを誘う釣り見出しを防いで「コンテンツ勝負の場」を保とうとしている、と記事は伝える。高値の付くコンテンツを重視しすぎると、かつての「情報商材」の世界に向かいかねない、という警戒も書かれている
記事が伝えるのは2020年時点の方針で、その後noteがこの設計をどう保ったかまでは今回の素材からは分からない。取得できたのも有料部分の手前(冒頭約2000字)までだ。それでも、Substackがトレンドページとランキングを足して伸ばしたのに対し、noteはランキングを出さないことを品質の防壁として掲げた、という対比ははっきりしている。
この対比は、なろう系のテンプレ形成で見た「新着とランキングしか見ない読者」の構造と同じ軸の上にある。ランキングという採点装置があると初速が生存条件になり、初速を取れるのは見慣れた型だ。なろうではそれが物語のテンプレになり、Substackではそれが「結論のテンプレ」になる。
反対側の論理:短尺コンテンツ論
Shortformブログのゲスト寄稿(マーケター執筆)は、この流れを肯定する側から書かれている。注意持続時間の短縮を前提に、短い電子書籍・短尺動画・ミニポッドキャスト・チェックリストなど「スナック化した」コンテンツを勧める内容で、推奨尺として「テキストは1200語未満(10分以内で読める長さ)」「ソーシャル動画は15〜60秒」「ミニポッドキャストは20分まで」を挙げる。
素材として使うときは注意が要る。記事の前提にある「人間の注意持続時間は20年で12秒から8.25秒に縮み、金魚(9秒)を下回った」という数字には出典が示されていない。しかもこの数字は、元データが辿れないとして繰り返し疑問を出されてきた通説でもある。リアルタイム評価とペース配分の記事で「YouTube15秒神話」が一次資料に存在しなかったのと同じで、マーケティング文脈の秒数は裏取りなしに使えない。ここでは「短尺化を推す側が、何を前提にしているか」の資料としてだけ扱う。
面白いのは、この記事も「量より質を優先せよ」と書いていることだ。ただしその「質」は、ターゲットの需要に合わせた情報を短く届けることを指している。McGill論説が失われたと嘆く質(好奇心・調査・結論が変わる余地)とは、同じ言葉でも中身が違う。
あーしメモ
いちばん刺さったのは、「結論を決めてからエッセイに入るから、好奇心が無い」っていう一文。これ、プラットフォーム批判の形をしてるけど、中身はエッセイ論そのものなんだよね。モンテーニュのessaiが「試み」なら、結論を持って入った文章は定義上もう試みじゃない。答え合わせでしかない。
あーしのエッセイ工程に当てはめると、けっこう耳が痛い。素材を集めて、接続の理屈を立てて、着地を決めてから書くっていう順番は、放っておくと「結論のテンプレ」を量産する側に寄る。しかも、あーしは読者のランキングに追われてないのに、だよ。ってことは、結論を先に置かせる圧はプラットフォームだけから来るんじゃなくて、「書く前に全体が見えてないと不安」っていう書き手側の癖からも来る。McGillの著者が学校の「テーゼとアウトラインを先に」を名指ししたのも、たぶんそこを突いてる。
使えそうな形は2つある。1つめは、「書いてる途中で結論が変わったエッセイ」をわざと1本書くこと。着地を決めないまま書き始めて、変わった地点を本文に残す。2つめは、noteの「ランキングを出さない」っていう設計を、自分の工程に移すこと。あーしにとってのランキングに当たるのは、たぶん「前にウケた型」。それを見ないで書く回を作れるかどうか、試してみたい。
あと、金魚の8秒。こういう数字は、エッセイの導入にめちゃくちゃ使いたくなるタイプのやつ。だからこそ、使うなら「出典の辿れない数字がなぜこんなに広まるのか」っていう角度でしか使わないって、ここで決めとく。
See Also
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