II-07 名誉の褒賞について(Des récompenses honorifiques.)
『エセー』全107章を1章1ページで読む読書棚の64冊目で、第2巻の7章目。底本は Wikisource の Michaud 1907 現代語版(1595年版テクスト)。引用はあーしの直訳で、原文(現代語版)を併記する。語を根拠にしたところは、対訳ページの1595年版の列で元の語を確かめている。ボルドー系の章番号でも第2巻第7章。
この章で何が起きるか
章はアウグストゥスから入る。戦の手柄には気前よく贈り物をしたのに、名誉だけの褒賞はけちった、と伝記作者たちは書いている。モンテーニュはそこに一つの事実を並べる。
Les historiens de l’empereur Auguste remarquent que lorsqu’il s’agissait de services militaires, il avait pour règle d’être excessivement prodigue de cadeaux envers ceux qui le méritaient, tandis qu’il était bien autrement parcimonieux de récompenses purement honorifiques; peut-être était-ce parce que son oncle lui avait à lui-même décerné toutes les récompenses militaires avant qu’il eût jamais été à la guerre.
——アウグストゥス帝の伝記作者たちによれば、軍の勤めについては、値する者に贈り物をとびきり気前よく与えるのを決まりにしていたが、名誉だけの褒賞にはまるでけちだった。たぶん、彼自身が戦に出る前に、おじから軍の褒賞を一つ残らず授かっていたからだろう。〔A〕〔→7〕
話はすぐ制度一般へ移る。冠や席次や称号のように、それ自体は値打ちの無い印で徳に報いるのはうまい発明で、わたしたちには騎士団の勲位がある。国庫にも王にも負担がかからず、身分のある人たちは儲けになる褒賞より、こちらを欲しがってきた。サン・ミシェル勲章がいちばん望まれたのは、ほかの得が何も付いてこなかったからだ。金はそうはいかない。召使いの奉公にも踊りにも、へつらいや裏切りにも払われる。ここで章は、アウグストゥスが正しかった理由を言い切る。
Auguste avait raison d’être beaucoup plus économe de celle-ci que des autres, d’autant que l’honneur est un privilège dont la caractéristique essentielle est la rareté; c’est aussi celle de la vertu:
——アウグストゥスが、ほかの褒賞よりこちらをずっと出し惜しんだのは正しかった。名誉とは、稀であることをいちばんの本質とする特権だからだ。徳もそうだ。〔A〕
子を養う人は、それだけでは褒められない。スパルタ人は自分の勇猛を誇らなかった。みんなが持つ徳には褒賞が来ない。この原理から、話はいまの勲章の扱いへ向かう。
Puisque ces témoignages d’honneur n’ont de prix et ne sont tenus en si haute estime que parce qu’ils sont décernés à un petit nombre, pour les anéantir il n’y a rien de tel que de les prodiguer.
——こうした名誉のしるしは、わずかな人にしか与えられないからこそ値打ちがあり、重んじられる。だから、それを無にするには、ばらまくのがいちばんだ。〔A〕〔→7〕
いまは昔より値する人が多いかもしれない、とモンテーニュは認める。勇猛ほど広まりやすい徳はないからだ。ただし、と一度だけ脇へ寄る。
En dehors de la vaillance que je qualifie ici de vertu, employant ce mot dans son acception courante, il en existe une autre, la vertu proprement dite, qui constitue la perfection et est la seule que les philosophes reconnaissent.
——ここでわたしが、世間の使い方に従って徳と呼んでいる勇猛のほかに、もう一つ、本来の意味での徳がある。それは完全さをなすもので、哲学者たちが認めるただ一つの徳だ。〔A〕〔→7〕
その徳は魂の揺るがない強さで、わたしたちの勇猛はそのかすかな光でしかない。話は戦の勇猛へ戻る。慣習と手本で誰でも身につけられるのは内戦が見せているとおりで、国じゅうを一つの企てに束ねられれば昔の武名もよみがえる、とも言い添える。昔の勲章は勇猛だけでは授けなかった。兵ではなく名の知れた将に、戦全体の知と、ふさわしい生まれを求めた。だから、と結論が来る。
Quoi qu’il en soit, quand même plus de gens qu’autrefois en seraient dignes, on n’eût pas dû le concéder avec tant de libéralité; mieux eût valu ne pas le donner à tous ceux qui pouvaient le mériter, que de déprécier l’institution à tout jamais, comme cela est arrivé par l’abus qui en a été fait, et se priver ainsi des services qu’elle pouvait rendre.
——いずれにせよ、たとえ値する人が昔より多かったとしても、あれほど気前よく与えるべきではなかった。値するかもしれない人すべてに与えないほうが、濫用のせいで実際に起きたように、この制度をいつまでも安くして、それが果たしえた役目を失うよりましだった。〔A〕〔→7〕
値しない者ほど勲章を軽蔑してみせ、本当に値する者と同じ列に立とうとする。古い勲位を潰して新しいものを立てても、この乱れた時代では手綱を短く締められず、前の勲章の記憶と、それが落ちた軽蔑が消えるまでは信用もつかない。ここで章は、勇猛の論はプルタルコスが何度もしているから繰り返さない、ともう一度断る。それでも一つだけ、と語の話を置く。勇猛(vaillance)の名は価値(valeur)から来ていて、宮廷で「値打ちのある人」「立派な人」と言えば勇猛な人のことだ。ローマ人も徳を力から呼んだ。最初に人を人の上に立たせた徳だったからか、戦好きの民がいちばん身近な徳にいちばんいい名を与えたからか。そして章は類比で閉じる。
C’est un sentiment analogue à celui qui fait que, dans notre passion, dans notre fiévreuse sollicitude pour la chasteté de la femme, quand nous disons: une bonne femme, une femme de bien, une femme honorable et vertueuse, nous ne voulons pas dire autre chose qu’une femme chaste; il semble que pour les contraindre à l’observation de ce devoir, nous ne fassions aucun cas des autres et que nous n’attachions aucune importance aux fautes d’autre nature, pour en arriver à les détourner de celle-ci.
——これは、女の貞淑へのわたしたちの情熱、熱に浮かされたような気づかいと同じ種類の気持ちだ。よい女、立派な女、名誉ある徳の高い女と言うとき、わたしたちは貞淑な女という意味でしか言っていない。まるで、その務めを守らせるためなら、ほかの務めはどうでもよく、ほかの過ちは気にもかけずに、この一つから遠ざけようとしているかのようだ。〔A〕
書き方の観察
長さ:10,623字・段落12・編者の小見出し7・分割なし。層は A 96.7%・B 1.8%・C 1.4%・無標 0.1%(layer_map.py の値)。
脱線の入り方と戻り方:骨組みは「名誉の褒賞はよい発明→値打ちは稀少さから→だからばらまけば潰れる→いまの勲章はそれで潰れた→新しい勲位も難しい」で、アウグストゥスの逸話はこの論を開く入口だが、章の最後でアウグストゥスには戻らない。寄り道は二つで、どちらも「語らない」と断る形で入る。一つ目は哲学者の徳で、dequoy ie ne parle point と断ってから一文だけ説明し、すぐ戦の勇猛へ戻る。二つ目は、勇猛の論はプルタルコスに譲ると言って省いたすぐあとに Cecy est digne d’estre consideré(でもこれは考えるに値する)と語の話を始め、そのまま章を終える。断って脇に置いた勇猛が、最後の段で主役になる。結びの類比は、勇猛を徳の第一に置くことを、女の徳を貞淑だけに縮めてほかの過ちには手綱をゆるめる(leur laschions la bride à toute autre faute)扱いになぞらえる。勇猛を第一にすればほかの徳が見えなくなる、とも読めて、勲章の論が前提にしていた勇猛の地位に影が差したまま止まる——ここは読み。結び:崩す
引用の使い方:詩句・格言の引用はラテン語の2つだけ(マルティアリス Cui malus est nemo, quis bonus esse potest?〔A〕・ティトゥス・リウィウス neque enim eaedem militares et imperatoriæ artes sunt〔C〕)。逸話もアウグストゥスとスパルタだけで、残りは同時代のフランスの制度の話になる。借りた話を読む人の目線につなぐ一文はある。ローマの冠や称号を並べたあとの Nous auons pour nostre part, et plusieurs de nos voisins, les ordres de cheualerie(わたしたちにも、近くの国々にも、騎士団の勲位がある)で、古代の制度を「わたしたち」の勲章へ言い広げる。そこから先、章はほとんど「わたしたち」の側で進み、結びの類比も「わたしたちの情熱」で語られる。
自分をどう出すか:一人称は判断の席にしか座らない(Ie ne pense pas・ne sçay・dequoy ie ne parle point・Mais ie dy・ie me meslerois pour neant)。自分の体験は一つも語らない。モンテーニュ自身は1571年にサン・ミシェル勲章を受けているが、章のどこにもそれは出てこない。受けた側の人が、勲章の値打ちが濫発で潰れたと言い、値しない者ほど軽蔑してみせると書く。自分がどちらの列に立つのかは書かず、「わたしたち」の中に溶けている。
章題と中身のずれ:章題は「名誉の褒賞」一般で、冒頭もローマの冠から始まるが、中身の大半は一つの勲章、サン・ミシェル勲章の盛衰と、それを継ぐ新しい勲位の見込みだ。新しい勲位の名は出さない(1578年創設の聖霊騎士団を指すと見られる)。最後の段は褒賞から離れ、勇猛という語の話になる。章題は入口の一般論の名前で、出口は語の話で閉じている。
加筆層が見えるか:1580年版から骨組みも結びも動いていない。手が入ったのは三か所だけで、どれも一文以下。〔C〕の一つは、ありふれた徳が目立たない例に「森じゅうが同じ高さなら大木も目立たない」(non plus qu’vn grand arbre, où la forest est toute de mesmes)の像を足したもの、もう一つはリウィウスの格言で、兵の知と将の知は違う、という〔A〕の言い分に古典の裏づけを添えている。〔B〕は「誰かがいま国じゅうを一つの企てに束ねられれば、昔の武名がよみがえる」の一文で、勇猛が内戦でありふれたという〔A〕の観察の直後に入る。勇猛の安売りを嘆く段に、勇猛の別の使い道を一つだけ書き込んだ形になる。サン・ミシェル勲章の濫発と新しい勲位の話は1580年版の時点の時事で、その後の版で更新されていない。
現代語版との差(1595年版照合):
- 1595年版 Si est-ce qu’il auoit esté luy mesme gratifié par son oncle/現代語版 peut-être était-ce parce que son oncle…/1595年版は「それでいて本人は、戦に出る前におじから軍の褒賞を全部もらっていた」と、出し惜しみの横に皮肉な事実を置くだけ。現代語版は「だからかもしれない」と理由の推測にして、並べ置きを心理の説明に変える
- 1595年版 payemens・loyers d’honneur・le payement d’vn valeureux soldat・vn loyer si honorable/現代語版 distinctions・témoignages d’honneur・décerné・distinction/1595年版は名誉を「支払い」「報酬」と呼び、金と同じ帳簿に載せて「国庫にも王にも負担のない支払い」と言う。現代語版は4か所とも勲章の語にして、名誉と金を同じ通貨で比べる比喩を薄める(monnoye commune は残る)
- 1595年版 coustume(4回)/現代語版 idée・dans les habitudes・les traditions・消える/1595年版では、褒賞の制度も「よい慣習」、報われない徳も「慣習になった徳」、勇猛を広めるのも「慣習」、新しい勲位も「同じような慣習」で、一つの語が制度と徳の両方を言う。現代語版は4つに割って、制度が慣習であることを見えなくする
- 1595年版 comme nous venons de faire(わたしたちがいましがたしたように)/現代語版 comme cela est arrivé par l’abus qui en a été fait/1595年版は勲章を台無しにした主語を「わたしたち」にして、つい最近のこととして自分も含める。現代語版は主語の無い「濫用」にして、書き手を外に出す
- 1595年版 dequoy ie ne parle point (et me sers de ce mot, selon nostre vsage)/現代語版 que je qualifie ici de vertu, employant ce mot dans son acception courante/1595年版は哲学者の徳を「それについては語らない」と断って脇に置く。現代語版は断りを落として説明の文にし、章が扱わないと言ったものを扱っているように読ませる
ほかに10件:merques vaines → distinctions s’adressant à la vanité/polices du monde → états du monde/recognoistre la valeur → récompenser le mérite/le maquerelage → celui qui favorise la débauche/peuuent tout ce qu’elles veulent → nous rendent … aisée/l’vsage d’vne inuention si vtile → l’institution/saison si licentieuse et malade → temps aussi pervertis et agités/remettre en credit → tenu en considération/La forme propre, et seule, et essencielle, de noblesse → la condition essentielle, exclusive/leur laschions la bride à toute autre faute → n’attachions aucune importance aux fautes d’autre nature(あわせて、1595年版はラテン語2つに作者名を付けず、現代語版の (Martial)・(Tite-Live) は1907年版の補い)。
地形図との照合
- クラスタ:名誉・虚栄(褒賞の制度論。結びで「勇猛」という語の価値づけへ移る)。
- 仮説を動かすか:動かさない。新しい勲位の規則は「極めて張りつめ、締めつけたもの」であるべきだと、章は外の制度を固める側を求める。外の慣習・制度には従い固めておく側は、I-22 の「内の判断/外の行い」の外の側の別の場面にあたる。
- 他の章への線:
- I-43「奢侈禁止令について」は、深紅の布と金銀細工を王侯だけに許す法がかえってそれを欲しがらせると言い、芸人と遊女にだけ許す法にすれば誰も欲しがらなくなる、と逆向きの法を出した。この章は同じ仕組みを褒賞の側から見る。印の値打ちは、印そのものではなく誰が持っているかで決まり、ばらまけば潰れる。1595年版の credit(信用)も両方の章で、印の値打ちを言う語として出てくる。
- I-22「慣習について、そして受け入れられた法をたやすく変えないこと」の章題は、この章の後半にそのまま当たる。古い勲位を潰して新しいものを立てるのは、乱れた時代には無理だと言う。1595年版はその新しい勲位を「同じような慣習」(vne semblable coustume)と呼んでいる。
- I-41「自分の栄光を人に分けないこと」と I-46「名前について」は、名誉を持つ人の側から栄光と名前の空しさを見ていた。この章は名誉を配る側に立って、空しい印(merques vaines)だと承知のうえで、それを制度としてどう守るかを考える。
あーしメモ
いちばん持ち帰りたいのは、パイセンが一度も「わたし」の体験を出さないこと。自分も受けてる勲章の話なのに、それには触れず、「わたしたちがいましがた台無しにした」の「わたしたち」の中にだけ入っている。自分のことを言わないまま、自分も含めて批判する一人称複数の使い方。現代語版はそこを「濫用のせいで」と主語なしにしてるから、引くなら1595年版で。
二つ目は、名誉を金と同じ帳簿で書いているところ。「国庫にも王にも負担のない支払い」「報酬」。名誉は金と違うものとして褒めるのに、語は支払いの語のまま。だから「ばらまけば潰れる」がインフレの話として読める。違うものを褒めるときに、あえて同じ物差しの語で書くと、論がそのまま見える。
三つ目は結び。「語らない」と二回断ったあとで、断ったはずの勇猛の話を一つだけして、それを貞淑の類比でちょっと崩して止める。結論を言わずに、最後の比べ方だけで読む人に考えさせる終わり方。あーしが使うなら、本題の外の小さな話で閉じて、その話が本題の前提に影を落とす形にする。
See Also
- 『エセー』読書棚 ── この章が属する棚。107章進捗表と底本情報
- II-06 訓練について ── 前の章。死だけは練習できないと言ってから、落馬の気絶を死への近づきとして報告し、手稿で自分を描くことの弁護へ広げる
- I-43 奢侈禁止令について ── 印の値打ちは誰が持つかで決まる、という同じ仕組みを、贅沢品の禁止令の側から見た章
- II-08 父親の子への愛情について ── 次の章。生まれつきの愛情は理性で検めよと言い、財産の譲り方と遺産を論じて、魂が生む子=自分の本のほうが自分のものだ、で閉じる
Sources
- Essais/édition Michaud, 1907/Texte modernisé/Livre II/Chapitre 7 — Wikisource — 底本(現代語版・1595年版テクスト準拠)。人間のブラウザクリッパー経由で取り込み
- Essais/édition Michaud, 1907/Livre II/Chapitre 7 — Wikisource — 対訳ページ(1595年原綴りと1907年現代語の並記)。原綴りの確認用・クリップはしない
- [底本情報] Michel de Montaigne, Essais, texte établi par Général Michaud, 1907(Wikisource)。1595年版(グルネー嬢編)を底本とする現代語版。章番号は1595系
- The Montaigne Project(ARTFL・シカゴ大学) — 加筆層(couche A/B/C)の参照元(Villey-Saulnier版オンライン・P. Desan編)。テクスト系統はボルドー本系=底本(1595年版系)と字句の異同あり。照合はパッセージ単位