コンテンツにスキップ
あーしの執筆wiki
Esc
↑↓移動↵開く⌘Jプレビュー
このページの内容

II-03 ケア島の慣習(À propos d’une coutume de l’île de Céa.)

『エセー』全107章を1章1ページで読む読書棚の60冊目で、第2巻の3章目。底本は Wikisource の Michaud 1907 現代語版(1595年版テクスト)。引用はあーしの直訳で、原文(現代語版)を併記する。語を根拠にしたところは、対訳ページの1595年版の列で元の語を確かめている。ボルドー系の章番号でも第2巻第3章。

この章で何が起きるか

章は死からではなく、自分の立ち位置から始まる。

On dit que philosopher, c’est douter; à plus forte raison est-ce être dans le doute que d’émettre, comme je le fais, des idées niaises et fantasques; mais c’est affaire aux apprentis de s’enquérir et de discuter et au maître de décider. Mon maître à moi, c’est l’autorité émanant de la volonté divine, laquelle fait loi, nous régit sans conteste et plane au-dessus de toutes les vaines discussions des hommes.

——哲学するとは疑うことだと言われる。ならば、わたしのように間の抜けた、気まぐれな考えを口にするのは、なおさら疑いの中にいることだ。でも、問いを立てて論じ合うのは見習いの仕事で、決めるのは師の仕事だ。わたしの師は神の意志から出る権威で、それが法になり、異論なくわたしたちを治め、人間のあらゆる空しい議論の上にある。〔A〕〔→7〕

これから並ぶのは見習いの議論で、決着をつけるのは自分ではない。題は自ら死ぬことの是非で、モンテーニュは中身に入る前に、判断の席を神の側へ預けておく。そう断ってから、スパルタ人の言葉が来る。マケドニアのフィリッポスが攻めてきたとき、ダミンダスは「死を恐れない者に何の苦しみがあるか」と返し、アギスは自由に生きる方法を問われて「死を軽んじることだ」と答えた。フィリッポスが「お前たちの企てはすべて妨げる」と書き送ると、スパルタ人は「死ぬことまで妨げるのか」と返した。

Ces propos et mille autres semblables que l’on trouve à ce sujet, impliquent évidemment autre chose que d’attendre patiemment la mort, quand elle nous arrive; car il y a dans la vie nombre d’accidents qui font souffrir bien plus que la mort.

——こうした言葉や、この題で見つかる似た言葉の数々は、死が来たときにじっと待つのとは別のことを、はっきり含んでいる。生には、死よりずっと苦しい出来事がたくさんあるからだ。〔A〕

「待つ」の先にあるのは、自分から行くことだ。奴隷に売られ、卑しい仕事を命じられて屋根から身を投げた少年が、その例になる。ここから、自ら死ぬのを認める側の議論が「と言われる」の形で続く。

C’est ce qu’on veut dire, quand on dit que le sage vit autant qu’il le doit mais non autant qu’il le pourrait, et que le don le plus favorable que nous ait fait la nature et qui nous ôte tout droit de nous plaindre de notre sort, c’est de nous avoir laissé la clef des champs; elle n’a créé qu’un moyen d’entrer dans la vie et cent mille d’en sortir.

——賢者は生きるべきだけ生き、生きられるだけは生きない、と言われるのも、自然がくれたいちばんありがたい贈り物、境遇を嘆く権利をまるごと取り上げる贈り物は、いつでも出ていける鍵を残してくれたことだ、と言われるのも、このことだ。自然は生に入る道を一つしか作らず、出る道は十万作った。〔A〕

生きる土地が足りなくなることはあっても、死ぬ土地が足りなくなることはない。死はあらゆる病の処方で、いちばん安全な港だ。糸がどこで切れても、それで全部が終わる。そこから、認める側の声がいちばん強く言い切る。

La mort que l’on se donne volontairement est la plus belle de toutes. Notre vie dépend de la volonté d’autrui, la mort ne dépend que de la nôtre. En aucune chose plus qu’en celle-ci, nous sommes libres d’en agir suivant notre tempérament. Notre réputation n’a rien à y voir et c’est folie d’y avoir égard. Vivre, c’est être esclave, si la liberté de mourir n’est pas admise.

——自分から進んで迎える死は、あらゆる死の中でいちばん美しい。わたしたちの生は他人の意志しだいだが、死はわたしたちの意志だけにかかっている。ほかのどんなことよりもこのことで、わたしたちは自分の気質のままにふるまえる。評判はこれに何の関わりもなく、それを気にかけるのは愚かだ。死ぬ自由が認められないなら、生きるとは奴隷であることだ。〔A〕

言い切りは強いが、まだ「と言われる」の枠の中の声で、モンテーニュ自身の判断として出ているわけではない。外科医が切り、焼き、血を抜くのなら、もう一歩先へ行ってもいいはずだ。痛風の足を毒で麻痺させた文法家セルウィウスの話も、この側に置かれる。その直後に、神の名が一度だけ出る。生きるほうが死ぬより悪いと思うとき、神は好きにふるまえるようにしてくれている、という一文で、冒頭で決める席を預けた神が、ここでは認める側の論拠になる。ストア派は、賢者なら幸福のさなかでも時宜を得て生を去るのが自然にかなう、と言う。この一文は、章の終わりのケア島で形を取って戻ってくる。ヘゲシアス、水腫に苦しむスペウシッポスを嘲るディオゲネスと、認める側の声が積み上がる。

ところが話はそこで「でもこれには反対がある」と折れ、今度は「多くの人は考える」の形で反対の側が語る。わたしたちは世界という持ち場を守る兵で、置いた方の命令なしには去れない。暇を出すのは神で、わたしたちが勝手に取るものではない。人は自分のためだけでなく国のためにも生まれ、法はわたしたちを殺人で訴えることができる。持ち場を捨てた者はあの世でも罰を受ける。

Il y a bien plus de courage à attendre que tombent d’eux-mêmes, par suite de leur usure, les fers qui nous enchaînent qu’à les rompre, et Régulus fit preuve de plus de fermeté que Caton.

——わたしたちをつなぐ鎖を断ち切るより、すり減って自然に落ちるのを待つほうが、ずっと勇気が要る。レグルスはカトーより強い堅固さを示した。〔A〕〔→7〕

本物の徳は災いと痛みを糧にして、暴君の脅しや責め苦でかえって生き返る。運命の打撃を避けて重い墓石の下の穴にもぐるのは臆病の役だ。たいていわたしたちは別の不都合から逃げて死に着くし、死を恐れて死へ走ることさえある。崖を怖がって崖へ飛ぶようなものだ。プラトンの法も、公の裁きや避けられない不運や耐えがたい恥に迫られたのでなく、臆病から自分を殺した者に不名誉な埋葬を命じている。そのうえで反対の側は、生そのものの値打ちを置く。

Dédaigner la vie est un sentiment ridicule, car enfin la vie, c’est notre être, notre tout.

——生を軽んじるのは笑うべき考えだ。結局のところ、生はわたしたちの存在で、わたしたちのすべてなのだから。〔A〕

自分を憎み軽んじるのは、ほかのどの生き物にも見られない人間だけの病だ。人間から天使になりたいと願っても、その変化を喜ぶ当人はもういない。死んで得る安らぎも同じで、味わう当人がいないので何の得にもならない。平和を楽しめない者が戦を避けても無駄だ。

両論が出そろうと、話は認める側の内側へ入る。認めるとして、どんな理由なら足りるのか。ストア派はこれを「理にかなった退出」と呼び、軽い理由で死んでよいことも多いと言うが、それでも何かの節度は要る。ここで反例が来る。気まぐれで分別のない気分が、一人ではなく民ごと死へ押すことがある。ミレトスの娘たちは次々に首をくくり、首をくくった者は裸で同じ縄で町を引き回す、と役人が決めてやっと止んだ。理由の吟味は、まず理由の無い死から始まる。そこから、望みが残るうちは早まるな、という線が引かれる。スパルタのクレオメネスは、戦に負けて名誉ある死を逃したのだから次の死を選べ、とトレイキオンに迫られ、その助言を臆病なものとして退けた。それはいつでも使える手立てで、望みがほんのわずかでも残っているうちは使うものではない、と。トレイキオンはその場で死に、クレオメネスも後で死んだが、運命を最後まで試してからだった。

Tous les inconvénients de la vie ne valent pas qu’on se donne la mort pour les éviter; et puis, les choses humaines sont sujettes à de tels revirements, qu’il est difficile d’apprécier le moment où nous sommes fondés à renoncer à toute espérance:

——生のあらゆる不都合が、それを避けるために死ぬほどの値打ちがあるわけではない。それに人間のことはひどく変わりやすいので、どの時点で望みをすっかり捨ててよいのかを見積もるのは難しい。〔A〕

生きている限りすべては望める、という古い言葉には、すぐセネカの言い返しが添えられる。なぜ「運命は生きている者に何でもできる」と考えて、「運命は死に方を知る者には何もできない」と考えないのか。望みの側も、言い切らせてはもらえない。それでも例は望みの側に並ぶ。ヨセフスは粘って助かり、カッシウスとブルトゥスは早まってローマの自由の残りを失い、チェリゾーレのアンギャン公は勝ち戦を自分の剣で逃すところだった。

ところが話は、それでも死が許される場合へ移る。プリニウスは、膀胱の結石を筆頭に三つの病だけを挙げ、セネカは魂の働きを長く揺るがす病だけを認める。もっと悪い死を避けるため、という例が続く。捕まる前に自分を刺したアイトリアの将、トルコ兵に囲まれて娘たちと妻を殺し斬り込んだシチリア人。断食すれば聖人が救ってくれると司祭にだまされ、知らずに命と処刑の両方から逃れた囚人。三、四日後に取りに来る者のために命を取っておくのは他人の仕事をしてやることだ、と甥に説いたスクリボニア。壁から身を投げ、なお立ち上がって自分の腸を追っ手に投げつけたラジアス。その流れで、一度だけ「わたし」の判断が入る。

Parmi les violences faites à la conscience, les plus à éviter, à mon avis, sont celles qui portent atteinte à la chasteté des femmes;

——良心に加えられる暴力のうちで、わたしの考えでいちばん避けるべきなのは、女性の貞潔を損なう暴力だ。〔A〕

貞潔のために死んだ聖女の話のあと、調子が急に変わる。女たちにその道を思いとどまらせようとしたパリの学者に、トゥールーズで聞いた兵士たちの手を経た女の軽口を教えたかった、と言い、マロの「いいえ」で締める。そういう死はフランスの穏やかな気風にふさわしくない、と言うのがこの寄り道の着地で、貞潔の死を聖女の話で持ち上げたすぐあとに、軽口で引き下ろす。冗談が終わると、話は目録へ戻る。歴史は、重荷になった生を死と取り替えた人でいっぱいだ。過去も未来も逃れたかった者、ネロに赦されて二度目の赦しを嫌った者。ポルトガルの副王に職を奪われかけたインドの領主ニナチェトゥエンは、香木の火を据えた台に金の衣で上り、名誉は命より大事だと民衆に語ってから火に飛び込んだ。夫を励ますため先に死んだ妻たちの中では、秘密を漏らして皇帝に冷たくされた夫に「わたしの口の軽さを知っていて用心しなかったのだから当然。でもわたしが先に」と言ったフルウィウスの妻がいる。ここから単位が大きくなる。カプアの元老院議員たちは宴のあと毒を飲んだが、酒のせいで毒が遅れ、何人かは敵が町へ入るのを見るところだった。インドの町の住民は自分たちの町を焼き、攻める側が救おうとし、守る側が死のうとする、という逆さの戦になった。アスタパでは溶けた金に引き寄せられた敵兵が火に巻かれ、アビュドスではフィリッポスが三日の猶予を与えた。数が最大になったところで、一言だけ挟まる。

et pourtant, elles sont moins difficiles à prendre par des foules qu’isolément par des individus, parce que le raisonnement que chacun ne ferait pas s’il était seul, il l’accepte si tout le monde en est, la fièvre qui vous agite quand on est réuni ôtant le jugement à chacun en particulier.

——それでも、群衆でするほうが、一人ひとりが別々にするより決めやすい。一人なら誰もしないような推論を、皆がそうするなら受け入れてしまう。集まったときに人を揺さぶる熱が、一人ひとりから判断を奪うのだ。〔C〕

目録の壮観さを、判断の弱さに読み替える一言だ。続いてティベリウスの時代の法が来る。処刑を待った者は財産を失い埋葬されず、先に自分で死んだ者は埋葬され遺言もできた。法が自死に報いる例で、話は理由から制度へ近づく。その前に、もう一度だけ動機の話に戻り、自死を絶望の側から引き離す。もっと大きな善への望みから死を願うこともある。パウロは「解かれてキリストとともにいたい」と言い、アンブラキアのクレオンブロトスはプラトンの『パイドン』を読んで来世を望み、ほかに理由もなく海へ飛んだ。

Nous voyons par là combien à tort nous attribuons au désespoir certaines morts volontaires vers lesquelles nous porte souvent une espérance ardente et qui, souvent aussi, sont l’effet de déterminations prises avec calme et mûrement réfléchies.

——ここから分かるのは、ある種の自ら選ぶ死を絶望のせいにするのが、どれほど見当違いかということだ。そうした死へわたしたちを運ぶのは、しばしば燃えるような望みで、またしばしば、落ち着いてよく考えた末の決心でもある。〔C〕〔→7〕

聖王ルイの遠征が宗教の用を果たさずに帰ると決まったとき、ソワソンの司教は一人で敵陣へ突っ込んで死んだ。新大陸の王国では、偶像を載せた車の下に身を投げて聖人として敬われようとする人々がいる。モンテーニュは二つを比べ、司教の死のほうが気高いが、戦の熱がその一部を紛らわせている、と言う。

そして、死を許す統治が来る。かつてマルセイユでは、六百人の評議会に理由を認められた者に、公費で毒人参の毒が渡された。役人の許しと正当な理由がなければ、自分に手をかけてはならなかった。動機の吟味が、ここで制度の手続きになる。同じ法はほかにもあった、の一言で、章題の島に着く。ケア島の九十歳を越えた婦人は、心も体もまだ健やかで、市民に死ぬ理由を説明したうえで、通りかかったセクストゥス・ポンペイウスに立ち会いを頼む。ポンペイウスは得意の弁舌で長く思いとどまらせようとして果たせず、最後には好きにさせた。婦人は「わたしが残していく神々のほうが、これから会いに行く神々より」あなたに感謝しますように、と言ってから続ける。

Pour moi, j’ai toujours été favorisée de la fortune; mais, de peur que ma vie se prolongeant, elle ne me devienne contraire, je renonce dans d’heureuses conditions aux quelques jours que je pourrais encore avoir à vivre, et pars, laissant après moi deux filles et une légion de neveux.

——わたしはずっと運命に恵まれてきた。でも、命が長引いて運命がわたしに背を向けるといけないので、幸せなうちに、まだ生きられるかもしれない幾日かを手放し、旅立つ。あとに娘を二人と、甥の一軍団を残して。〔A〕〔→7〕

家の者に和合を説き、財産を分け、家の神々を長女に託し、メルクリウスにあの世のよい住まいへの案内を祈って、毒を一息に飲む。そのあとも、冷えが体のどこまで来たかを周りに話し続け、心臓と腸に届いたと言って、娘たちに目を閉じてもらう。ストア派の「幸福のさなかでも時宜を得て去る」が、ここで一人の人の形を取る。プリニウスの、気候が穏やかすぎて生が自分の意志でしか終わらないヒュペルボレオイ人の話を一つ置いて、章は一文で終わる。彼らは長く生きて飽き、よい食事のあと、そのための岩から海へ飛ぶ。

Une douleur insupportable, une mort misérable en perspective me semblent les mobiles les plus excusables qui peuvent nous porter à nous détruire.

——耐えがたい痛みと、惨めな死が待っていること。この二つが、わたしたちを自分の破壊へ向かわせる動機のうちで、いちばん許せるものに思える。〔B→C〕

師が決めると言って始めた章を、「思える」の一文で閉じる。しかもその二つの理由は、章題のケア島の婦人には当てはまらない。

書き方の観察

長さ:37,411字・段落31・編者の小見出し23・分割なし。層は A 55.2%・B 8.5%・C 36.3%・無標 0.0%(layer_map.py の値)。

脱線の入り方と戻り方:骨は討論の型で、額縁(疑うのは見習い、決めるのは師)→認める側(「と言われる」)→反対の側(「多くの人は考える」)→認める側の内輪の問い(どんな理由なら)→望みが残るうちは→それでも許される場合→目録→統治の許可→ケア島→一文、と進む。寄り道らしい寄り道は一つで、貞潔の段からトゥールーズの軽口とマロへそれる。戻るときは「歴史は…でいっぱいだ」と目録の口調に戻るだけで、それたことには触れない。目録は個人→夫婦→都市→群衆と単位が大きくなり、最大のところで群衆の一言を挟み、そこから絶望/望み、統治、一人の老婦人へと逆に縮んでいく。結び:その他

引用の使い方:反対の側の議論は、ほとんど詩句で運ばれる。ウェルギリウスの冥界、ホラティウスの斧で刈られる樫、セネカ、マルティアリス、ホラティウスの崩れる宇宙、ルカヌス、ルクレティウスが続けて並び、地の文は詩句のあいだのつなぎになる。認める側は格言で、目録は逸話で、それぞれ運ぶ道具が違う。借りた話を読む人の目線につなぐ一文はある。望みの段で、ヨセフスやアンギャン公のあとに J’ai vu cent lièvres échapper, alors qu’ils étaient sous la dent des lévriers と自分の狩りの記憶を一つ置き、歴史の大事件を猟犬と野ウサギの縮尺に下ろす。

自分をどう出すか:「わたし」は判断者としてはほとんど出ない。出るのは冒頭の「わたしのように気まぐれな考えを口にする」、貞潔の段の「わたしの考えで」、トゥールーズで聞いた話、「人から聞いた」囚人の話、野ウサギ、「わたしたちの国のマルセイユ」、結びの「思える」。認める側の議論にも「自分の財布を切っても盗人の法には触れない」という一人称があるが、これは議論の中の「わたし」で、モンテーニュの判断ではない。両論を他人の口に預け、自分の声は額縁と結びと貞潔の一か所に絞る。レグルスとカトーの格付けは、「多くの人は考える」の文が終わったあとの新しい文で、誰の評価かは書かれていない——ここは読み。

章題と中身のずれ:章題はケア島の慣習だが、島が出るのは章の終わり近く、目録と統治の許可を経たあとだ。しかも結びが許すのは耐えがたい痛みと惨めな死の見込みで、ケア島の婦人はどちらでもない。幸運のさなかに、運が変わるのを恐れて死ぬ。章題に掲げた例を、結論の条件の外に置いている。

加筆層が見えるか:1580年版〔A〕だけで、額縁・両論・内輪の問い・望み・許される場合・貞潔とトゥールーズ・パウロ・マルセイユ・ケア島・ヒュペルボレオイ人まで骨がそろう。冒頭の「決めるのは師」も〔A〕で、後から足した保険ではない。〔A〕の最後はヒュペルボレオイ人の岩で、裁定の一文が無い。結びの一文は1588年版〔B〕で入り、insupportable の一語だけが手稿〔C〕(ARTFL の値。Michaud の対訳ページの1595年版の列にはこの語が無い)。〔B〕はほかに夫を励ます妻たち、アレクサンドロスのインドの町、ティベリウスの法、ラテン語の詩句3本。手稿〔C〕は目録を膨らませる(layer_map.py で16か所)。大きいのはウィビウス・ウィリウスとユベッリウス(2,503字)、グラニウスからニナチェトゥエンまで(2,425字)、アスタパとアビュドスから群衆の一言まで(1,882字)。目録の外では、プラトンの法(反対の側)、「絶望のせいにするのは見当違い」、野ウサギ、偶像の車の下に身を投げる人々が〔C〕。認める側のストア派「賢者は幸福のさなかでも時宜を得て去る」も〔C〕で、〔A〕のケア島の婦人に前もって型を与える伏線は、読み返して足された反響になる。ただし物差しは1580年版にもある。認める側の真ん中の Dieu nous donne assez de congé, quand il nous met en tel estat, que le viure nous est pire que le mourir(〔A〕)で、結びの vne pire mort(1595年版の列の語)と同じ「より悪い」の形をしている。1580年版は物差しを他人の口の中に置いたまま本人の声では決めず、1588年版でそれを自分の一文に言い直し、手稿で例と読み替えを足した——ここは読み。

現代語版との差(1595年版照合):

  • 1595年版 au cathedrant de resoudre. Mon cathedrant/現代語版 au maître de décider. Mon maître/cathedrant は講座の椅子に座って討論を裁く者。現代語版の「師」では、続く両論が学校の討論として並べられている、という額縁の像が薄れる
  • 1595年版 plus de constance à vser la chaine qui nous tient/現代語版 plus de courage à attendre que tombent d’eux-mêmes … les fers/1595年版は不動心で、鎖を自分ですり減らす能動の像。現代語版は勇気にし、鎖が勝手に落ちるのを待つ受け身にする。クレオメネスの le viure est quelquefois constance も fermeté になる
  • 1595年版 puis que celles qui nous tiennent en vie, ne sont gueres fortes/現代語版 puisque, dans la vie, tout ce qui nous arrive est de peu d’importance/1595年版は「生につなぎとめている理由のほうも強くはないから」。現代語版は「起きることはどれも小さいから」にして、生と死の理由を秤にかける形を消す
  • 1595年版 estre dissoult(パウロ)・cette dissolution volontaire/現代語版 mourir・certaines morts volontaires/1595年版はパウロの「解かれたい」を受けて、自ら選ぶ死を「解かれること」と呼び直す。現代語版は両方「死」にして語の反響を切る
  • 1595年版 ayant tousiours essayé le fauorable visage de Fortune/現代語版 j’ai toujours été favorisée de la fortune/1595年版は運命の好意的な顔を「味わってきた(essayé)」で、婦人が自分で確かめてきた経験になる。現代語版は「恵まれてきた」の受け身にする

ほかに11件:Dieu nous donne assez de congé → Dieu fait assez pour nous … possibilité d’en agir/vne pire mort → une mort misérable en perspective/La plus volontaire mort → La mort que l’on se donne volontairement/nous ne deuons tant nous accommoder à nos humeurs → nous sommes libres d’en agir suivant notre tempérament/niaiser et fantastiquer・humeurs fantastiques → idées niaises et fantasques・dénuées de sens/Ces propositions → Ces propos/Le viure, c’est seruir → être esclave/la veine du gosier … la mediane → nous couper la gorge … saignée au bras/εὔλογον εξαγωγήν → « une sortie raisonnable »/Nenny, en le faisant → « Nenni »/mesler à ses comptes → sa propagande。

地形図との照合

  • クラスタ:死への態度(自ら選ぶ死の是非。群衆の一言は「想像力・心理」にもかかる)。
  • 仮説を動かすか:動かさない。冒頭の「論じ合うのは見習い、決めるのは師(神の意志)」は、I-31 の「人の物差しを当てる範囲を神の事柄の手前で止める」と同じ対の別の場面にあたる。結びも「思える」の一文にとどめる。
  • 他の章への線:
    • I-19「哲学するとは、死ぬことを学ぶことだ」は、死を前もって考えることを「真の、至上の自由」と呼び、ホラティウスの「神が解き放ってくれる——その神とは死だ」で念を押していた。この章の冒頭は、同じ「死を軽んじる者は自由」の言葉が「じっと待つ」の先、自分から行くことまで含んでいる、と読み直すところから始まる。
    • I-31「神の定めを裁くことには、控えめに口を出すべきだ」は、確かめようのない神の事柄こそ詐術の場になり、出来事の成否を神意の証にするな、と言っていた。この章の冒頭も、決めるのを神の意志の権威に預け、見習いの議論を議論のまま並べる。
    • 「理にかなった退出」の段の「前にも例を挙げた」は、I-40 のミラノの家長たち(父が一週間で25人を数えた)と、ブルトゥスに囲まれたクサントスの住民を受けるように読める。I-40 ではそれが「考えしだいで死も軽くなる」の例だったが、この章では、分別のない気分が民ごと死へ押す例として、理由の吟味の出発点に置き直される。

あーしメモ

いちばん持ち帰りたいのは、結論を後から一文だけ足す書き方。1580年版のこの章は、両論と例をずらっと並べて、ヒュペルボレオイ人が岩から海へ飛ぶ話で終わってて、パイセンは自分の声では何も決めてない。物差し(生きるほうが死ぬより悪いとき)は、認める側の口の中にもう置いてあったのに。1588年に「痛みと惨めな死がいちばん許せる理由に思える」の一文を足して、手稿でさらに「耐えがたい」を一語足した。最初に決めずに出して、読み返すたびに裁定を少しずつ狭めていく。あーしも重い題材なら、結論の一文を最後に足すつもりで、まず並べるところまで書いてみていい。

二つ目は、章題に掲げた例を、結論が許す条件の外に置くずらし。ケア島の婦人は痛みも惨めな死も抱えてなくて、幸せなうちに運が変わるのを怖がって死ぬ。タイトルの例がそのまま結論の例にならないから、読む側は最後に章題を思い出して引っかかる。題に置いたものと、本文の答えをわざと一致させない手。

三つ目は縮尺の切り替え。ヨセフス、ブルトゥス、アンギャン公って歴史の大物が並んだあとに、「猟犬の歯の下から野ウサギが百匹逃げるのを見た」って自分の狩りの記憶を一行だけ入れる。大きな例を積んだ後に、自分の目で見た小さな一行を挟むと、議論が急に手の届く大きさになる。

See Also

Sources

このページは役に立ちましたか?