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I-28 エティエンヌ・ド・ラ・ボエシーの29のソネット(Vingt-neuf sonnets d’Étienne de La Boétie.)

『エセー』全107章を1章1ページで読む読書棚の28冊目。底本は Wikisource の Michaud 1907 現代語版(1595年版テクスト)。引用はあーしの直訳で、原文(現代語版)を併記する。この章の本文の大半はラ・ボエシーの詩で、モンテーニュの文は冒頭の手紙だけ。ただしソネット29篇は1595年版には無く、底本のMichaud版が補って載せたもの(「加筆層が見えるか」の項)。

この章で何が起きるか

前の章I-27は、真ん中に置くはずだったラ・ボエシーの論文を取り下げて、代わりに「同じ年ごろに書いた、もっと陽気な作品」を置く、と言って閉じた。この章がその作品だ。

章は、グラモン伯爵夫人(ディアーヌ・ダンドワン、通称「美しいコリザンド」)への献辞の手紙で始まる。

Madame, dans ce que je vous offre ici, rien n’est de moi; parce que tout ce qui est de moi est déjà vôtre; ou s’il ne l’est pas, n’est pas digne de vous; mais j’ai tenu à ce que votre nom figure en tête de ces vers, pour qu’en quelque lieu qu’ils soient lus, ils aient l’honneur de l’être sous le patronage de la grande Corisande d’Andoins.

——奥さま、ここでお贈りするものの中に、わたしのものは何もありません。わたしのものは、もうすべてあなたのものだからです。そうでないものは、あなたにふさわしくないからです。でも、この詩がどこで読まれても、偉大なコリザンド・ダンドワンの庇護のもとで読まれる名誉を持てるように、あなたの名を詩の頭に置きたかったのです。

手紙は、夫人が詩をよく分かる人だとほめ、この詩ほど想像力と優美さのある詩はガスコーニュから生まれていない、と言う。そして、同じ作者の別の詩は、ずっと前にフォワ氏の名のもとで出版してしまったと断る。1595年版では「あなたが受け取るのは、その残り(le reste)だけですが、妬まないでください」。残りのほうが上だ、と続ける。

Ceux-ci ont je ne sais quoi de plus vif, de plus chaleureux, qui tient à ce que l’auteur les a faits aux plus beaux jours de sa jeunesse, sous l’influence d’une belle et noble ardeur dont un jour, Madame, je vous confierai le secret.

——こちらの詩には、なにか、もっと生き生きとして熱いところがあります。作者がいちばん若い盛りに、美しく気高い熱に動かされて書いたからです。その熱のことは、奥さま、いつか打ち明けましょう。

1595年版は「いつか耳もとでお話しします(ie vous diray, Madame, vn iour à l’oreille)」。フォワ氏のほうの詩は、結婚を求めていたころに妻のために書いたもので、「もう何か夫婦の冷たさを感じさせる」。手紙は、詩が笑うのは、はしゃいだ、規則から外れた(folâtre et desreglé)主題のときだけだ、という自分の好みで閉じる。

Michaud版では、そのあとに「SONNETS」の見出しがあって、29篇が並ぶ(1595年版はここで終わる。後述)。1篇目は恋への降伏だ。

Pardon, amour! Pardon! Je te voue, ô Seigneur, le reste de mes ans, ma voix, mes écrits, mes sanglots, mes soupirs, mes larmes et mes cris […].

——許してくれ、恋よ、許してくれ。主よ、あなたに捧げる。残りの年月も、声も、書いたものも、嗚咽も、ため息も、涙も、叫びも[…]。

そこから、恋に落ちた秋の日(4)、名を明かせない相手(7・8)、その相手をドルドーニュ川に見立てる3篇(8〜10)、レアンドロスのように溺れてもいいという決意(12・13)、裏切りへの怒り(14・15)、その怒りの取り消し(16)、彼女からの手紙に救われる2篇(17・18)、赦しと「わたしの栄光を歌え」という命令(19)、つれない相手への長い執着(22〜28)と進み、最後は彼女の生まれた日をたたえる1篇(29)で終わる。

名を書けない苦しみは、8篇目でいちばんはっきりする。

Malgré moi je l’écris, malgré moi je l’efface. […] Jusque-là, ô ma Dame, tu seras ma Dordogne.

——心ならずも書き、心ならずも消す。[…]それまでは、わが貴婦人よ、あなたはわたしのドルドーニュだ。

対訳ページの原綴り(Michaudが補った16世紀の本文)では「心ならずもあなたを書き、心ならずもあなたを消す(Maugré moy ie t’escris, maugré moy ie t’efface)」で、名前に向かって「あなた」と呼びかけている。名前は書けないので、川の名前がその場所に入る。

書き方の観察

長さ:現代語版で約21,000字・段落61(献辞の手紙1段落、見出し、ソネットの番号29と本文29)。モンテーニュが書いたのは冒頭の手紙だけで、約1,900字。前のI-27(約33,700字)の後に来る、章のほとんどを友の詩が占める章。1907年の現代語版は、ソネットを散文に訳している。対訳ページの原綴りでは14行の韻文で(1篇目なら voüe / escris / cris / aduoue)、現代語版だけ読むと、行の区切りも脚韻も見えない。見出しは「ソネット」なのに、ソネットの形が無い。

脱線の入り方と戻り方:手紙の中に脱線は1つ。フォワ氏に捧げた別の詩の話で、ここでモンテーニュは2組の詩を比べ、若い熱で書いたこちらのほうが上だと言い、詩についての自分の好み(はしゃいだ主題のときだけ詩は笑う)で閉じる。本題(夫人への献辞)へは戻らない。ソネットの側には、モンテーニュの戻りは一度も入らない。29篇のあとに結びの言葉は無く、章は29篇目の最後の一句で終わる。

引用の使い方:章そのものが1つの長い引用だ。これまでの章は、自分の文の中に他人の詩句を差し込んでいた。この章は逆で、他人の詩の頭に自分の文を1通だけ置いている。I-27の画家の喩えで言えば、この章が「借りてきた真ん中の絵」にあたる。

ソネットの中に、モンテーニュの書き方と響き合う1篇がある。11篇目で、ラ・ボエシーは、ペトラルカ(「フィレンツェの人」)もカトゥルスもプロペルティウスもまねない、と言う。

Qui peut, d’après autrui, mesurer ses douleurs? Qui peut calquer ses plaintes sur les siennes? Chacun sent son tourment et sait ce qu’il endure. Chacun parle d’Amour comme il le ressent. Je dis ce que mon cœur et mon mal me dictent.

——自分の痛みを、他人に合わせて測れる者がいるだろうか。自分の嘆きを、他人の嘆きに写し取れる者がいるだろうか。誰もが自分の苦しみを感じ、自分が何に耐えているかを知っている。誰もが、自分の感じたとおりに恋を語る。わたしは、わたしの心と、わたしの痛みが言うことを言う。

原綴りでは、涙は「すべてわたしのもの(toutes miennes)」だ。手紙で「わたしのものは何もない」と書いたモンテーニュが、ここに置いたのは「わたしのもの」しか言わないと宣言する詩だった——ここは読み。

自分をどう出すか:「わたし」は、手紙の最初の一文で消える。「わたしのものは何もない」。I-00 読者へで「わたし自身がこの本の題材だ(c’est moi-même qui fais l’objet de mon livre)」と書いた本の中に、わたしのものが何もない章がある。

でも、手紙の中の「わたし」は完全には消えていない。2か所で顔を出す。1つは、若いラ・ボエシーが燃えていた「美しく気高い熱」の中身を知っていて、「いつか耳もとで」話すと言って伏せるところ。友の秘密を持っていることを見せて、中身は見せない。もう1つは、結びの「わたしは、はしゃいだ主題のときにしか詩は笑わない、と考える側の人間です(Et moy ie suis de ceux qui tiennent)」。夫婦の詩より若い恋の詩をとる、と自分の好みを言い切っている。

ソネットの側では、語り手はラ・ボエシーで、「わたし」はずっと彼のもの。ここでI-27の「2つの魂は溶けて、縫い目が見つからない」を思い出すと、友の「わたし」をそのまま自分の本に入れたこの章は、その溶け方を形にしたものにも読める——ここは読み。

章題と中身のずれ:Michaud版だけ読むと、章題どおりの中身だ。でも1595年版では、章題は「29のソネット」なのに、ソネットは1篇も無い。献辞の手紙が「この詩」と何度も指さしている先が、空っぽになっている。章題と中身が、版によって合ったり外れたりする(次の項)。

語の線も1つ。16篇目で、ラ・ボエシーは怒りにまかせて彼女を責めた2篇を悔やみ、「せめて、声高に、自分のソネットを取り消す(À tout le moins haut ie me desdiray De mes sonnets)」と言う(対訳ページの原綴り)。前の章の最後で、モンテーニュは論文を「ここに置くのはやめた(ie me suis dédit de le loger icy)」と書いていた。同じ動詞 se dédire(前言を取り消す)が、取り下げた論文と、差し替えに置いた詩の両方に出てくる。そしてモンテーニュは、そのソネットも手稿の段階で消すことになる——ここは読み。

加筆層が見えるか:ARTFL(Villey-Saulnier版オンライン・ボルドー本系)では、この章のセグメントは2つだけ。献辞の手紙は層の印の無い底層(1580年版にあたる)で、1,604字。ソネットは本文が無く、手稿の加筆〔C〕として一行だけ入っている。

Ces vers se voient ailleurs.

——この詩は、ほかの場所で読める。

その下に、ボルドー本の紙面の番号が14(0075〜0081v、7葉の表裏)だけ並んでいる。印刷されていたソネットを、モンテーニュが手稿の段階で線で消し、この一行に替えた跡だ。

  • 1580年版〔A〕:手紙もソネットもある。I-27の結びの「代わりにこの詩を置く」も1580年版からあるので、中央の差し替えは初版の構想そのものだった
  • 1588年版〔B〕:加筆なし
  • 手稿〔C〕:ソネットを消して、上の一行に替える。手紙は残す

つまり、ボルドー本系の版(Villey版など)では、この章は献辞の手紙と「ほかの場所で読める」の一行だけの、ほとんど空の章になる。1595年版も、ソネットを載せていない。手紙のあとに、編者グルネーの注が1行あるだけだ。

Ces vingt neuf sonnetz d’Estienne de la Boëtie qui estoient mis en ce lieu ont esté despuis imprimez avec ses oeuvres.

——ここに置かれていたエティエンヌ・ド・ラ・ボエシーの29のソネットは、その後、彼の作品集と一緒に印刷された。

モンテーニュの「ほかの場所で読める」を、グルネーは「彼の作品集と一緒に」と言い換えている。どの本を指すのかは、ここでは確かめられていない。

この棚の底本、Michaud 1907 は、1595年版を底本にしながら、ソネット29篇を注記なしで補って載せている。現代語版だけでなく、対訳ページの「Texte 1595」の列にも29篇が入っていて、そこだけ見ると1595年版にソネットがあるように見える(あーしも一度そう読んで、間違えた)。版ごとにまとめると:

  • 1580〜1588年版:手紙+ソネット29篇
  • ボルドー本(手稿):手紙+「この詩は、ほかの場所で読める」(ソネットは各ページ斜線で消す)
  • 1595年版:手紙+グルネーの注1行
  • Michaud 1907:手紙+ソネット29篇(補ったもの)

手紙の結びの「詩が笑うのは、はしゃいだ主題のときだけで、ほかの場所では笑わない(ne rid point ailleurs)」(1580年版〔A〕)と、手稿で足した「この詩は、ほかの場所(ailleurs)で読める」〔C〕。同じ語が、初版の手紙と晩年の一行に1つずつある——ここは数え合わせだけ。

地形図との照合

  • クラスタ:友情・対話。中身は恋愛詩だが、章が本の中でしている仕事は、死んだ友の作品を自分の本の中央に置くことで、I-27の友情論の続きになっている。
  • 通底テーマ(「固定しない態度」)への判定:支持(版の側で)。章の中身は恋の詩で、仮説とは直接かかわらない。でも、章そのものが版ごとに姿を変える。1580〜1588年版では29篇、ボルドー本では手紙と一行、1595年版では手紙と編者の注1行、1907年のMichaud版で29篇が戻る。本の真ん中に置いたものを、書き手自身が後から消し、編者がその消し跡に注を置き、また別の編者が埋め戻している。「固定しない」が、文の中身ではなく、本の構成のレベルで起きている例。
  • 他の章への線:I-27とは直接つながる。I-27の結びの「代わりに置く」がこの章で、I-27の「取り下げ(se dédire)」は16篇目の「ソネットを取り消す」と同じ動詞。I-00 読者へとは、「わたし自身がこの本の題材だ」と「ここにわたしのものは何もない」で、向きが逆になっている。次の章 I-29「節度について」とは、folâtre(はしゃいだ)が2章とも結婚の外に置かれている点でつながる。

あーしメモ

この章、Pitfallsに「空章」って書いてあったのに、クリップを開けたら2万字あって、ソネットが29篇ぜんぶ入ってた。対訳ページの「1595年版の列」にも入ってたから、「Pitfallsが間違ってる」って思って、I-27まで書き換えた。でも、あとで1595年版の独立した本文を見たら、ソネットは無くて、グルネーの注が1行あるだけだった。Pitfallsが正しくて、補って載せてたのはMichaudのほうだった。一度確かめたつもりで、確かめた先の「1595年版」が本物じゃなかった。二重に反省。

でも、確かめたらもっと面白くなった。パイセンは、自分の本の真ん中に友だちの詩を29篇はめこんで、晩年に全部線で消して、「この詩は、ほかの場所で読める」って一行だけ残した。手紙は消してない。献辞の手紙だけが、空っぽの真ん中の前に立ってる。I-27で「真ん中は2度空になる」って書いたのは、当たってた。しかも空になった真ん中は、版を重ねるたびに、パイセンの一行、グルネーの注、Michaudの埋め戻し、って別の人の手で扱われてる。あーしが読んだ2万字は、そのいちばん最後の、埋め戻された姿だった。

いちばん刺さったのは、手紙の「いつか耳もとで話します」。友だちが若いとき何に燃えてたか、パイセンは知ってる。知ってるって見せて、中身は言わない。本の真ん中に友だちの詩を置いて、その詩がいちばん大事にしてる秘密は、本の外(耳もと)に回す。あと、ソネット8で名前を書いては消すラ・ボエシーと、ソネットを本に書いては消すパイセンが、同じ手つきに見えた。あーしがエッセイで誰かのことを書くとき、どこまで書いて、どこを「耳もと」に回すか。それを決めること自体が、書くことの一部なんだと思う。

あと、現代語版がソネットを散文にしてるのは、けっこう大きい。ソネットの章なのに、ソネットの形が無い。訳が運ぶときに落とすものって、語だけじゃなくて形そのものもあるんだね。

See Also

Sources

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