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I-07 行為を裁くのは意図である(Nos actions sont à apprécier d’après nos intentions.)

『エセー』全107章を1章1ページで読む読書棚の7冊目。底本は Wikisource の Michaud 1907 現代語版(1595年版テクスト)。引用はあーしの直訳で、原文(現代語版)を併記する。段落頭の太字小見出しは1907年版編者のものなので、ここでは使わない。

この章で何が起きるか

章題は「意図がわれらの行為を裁く(Que l’intention iuge nos actions)」(現代語版では「われらの行為は、意図によって評価されるべきである」)。冒頭で世間の格言が引かれ、すぐさま疑われる。

La mort, dit-on, nous libère de toutes nos obligations. J’en sais qui ont interprété cette maxime de singulière façon.

——死は、われらのあらゆる義務から解き放つ、と人は言う。わたしはこの格言を、奇妙な仕方で解釈した者たちを知っている。

その実例が2つ続く(1595年版では「奇妙な仕方で」ではなく「それぞれ違う仕方で(en diuerse façon)」受け取った者たちで、2例は同じ格言を別々の向きに取っている)。イングランド王ヘンリー7世は、皇帝マクシミリアンの息子ドン・フィリップ(のちの皇帝カール5世の父)に対し、白バラ党の首領サフォーク公(自国から逃れネーデルラントに渡っていた)の命を奪わないと約束した上で身柄を引き渡させていた。ところが死期を悟った王は、遺言で息子に「自分の死後ただちに公を処刑せよ」と命じた。もう一つはブリュッセルの悲劇——アルバ公の命でエグモント伯とホルン伯が処刑された際、エグモント伯は「ホルン伯に対して負っていた義務から自分の死が解放してくれるように」と、自分を先に処刑するよう強く求めた(ホルン伯はエグモント伯の言葉を信じてアルバ公のもとへ出頭していた)。

モンテーニュはここで裁定を下す。ヘンリー7世の死は約束を反故にする免罪符にはならず、逆にエグモント伯は生きていたとしても約束を破ってはいなかっただろう、と。

Nos obligations sont limitées par nos forces et les moyens dont nous disposons; l’exécution et les conséquences de nos actes ne dépendent pas de nous; seule, notre volonté en dépend réellement.

——われらの義務は、われらの力と手段によって限られる。行為の実行と結果はわれらに依存しない。ただ意志だけが、真にわれらに依存する。

この原則から義務の規則が導かれる。エグモント伯は約束を果たす力が実際には自分の手になかったにせよ、意志において約束に縛られていた以上、たとえホルン伯より長生きしていても義務は果たされていた。一方ヘンリー7世は、意図をもって約束を破った以上、その不実行を死の瞬間まで遅らせたところで免罪にはならない。同じ理屈がヘロドトスに登場する石工の逸話にも当てはまる——エジプト王の財宝の隠し場所を生涯忠実に守り通した石工は、死に際してその秘密を自分の子どもたちに明かした。

後半、話は死後の遺言そのものへ転じる。モンテーニュは、良心の呵責から他人の財産を着服したことを悔いつつ、その返還を遺言で「自分の死後に」実行させようとする者たちを何人も見てきたと言う。ただちに行うべき返還を先延ばしにし、しかも自分にはほとんど痛みのない条件で罪を償おうとしても、何の値打ちもない(Ils ne font rien que vaille)——本当に正義に適い功績になる償いとは、自分自身の財産をも差し出すような、より重く苦しい犠牲であるはずだ、と。さらに悪いのは、生前には言えなかった隣人への悪感情を、最期の遺言の中で初めて表明する者たち。彼らは自分の名誉への配慮の薄さを示すだけでなく、悪意を死そのものより長生きさせる点で、良心の薄さもさらけ出している——それはまるで、もはや事件を扱う立場を失ってから裁こうとする不正な裁判官のようだ、とモンテーニュは断じる。章は自分自身への誓いで締めくくられる。

Autant qu’il sera en mon pouvoir, j’espère me garder de rien dire après ma mort, que je n’aie déjà dit ouvertement pendant ma vie.

——わたしにできる限り、生きている間に公然と言わなかったことを、死後に言わずにおこうと思う。

書き方の観察

長さ:本文2段落・現代語版で約3,900字・太字小見出し2個。読書棚7章の中で際立って短い(次点は第4章の約5,900字。この章はその7割にも満たない)。段落数も2つだけで、これまでの章(最少でも6段落)と比べて極端に少ない。

脱線の入り方と戻り方:この章に脱線はほぼ無い。構造は「格言への疑い→反例2つ(ヘンリー7世/エグモント伯)→原則の言明(意志だけが義務を負う)→ヘロドトスの石工で原則を裏づけ→死後の遺言という別の場面へ転換→そこでも同じ原則を適用→自分自身への適用で締める」という、一つの原則を立てて、それを異なる2つの場面(約束の破棄/遺言による告白)へ順に当てはめていく二部構成。第6章の「同じ結論を実例で積み上げる」列挙型とも、第1章の「テーゼを立てて自分で裏切る」反転型とも違い、論理を一貫させたまま対象を変えて検証するという、これまでの読書棚では初めて見る型。唯一の転換点は前半(義務は免除されるか)から後半(死後にしか言えないことをどう見るか)への切り替えだが、これも同じ原則(意志の所在が真の義務を決める)の応用先を変えただけで、脱線ではない。

引用の使い方:詩句の引用はゼロ。歴史逸話が3つ(ヘンリー7世/エグモント伯・ホルン伯/ヘロドトスの石工)、すべて議論の証拠として地の文に組み込まれ、原則を先に立ててから実例で裏づける配置になっている(第1章・第6章と同じく逸話は「証拠」として機能するが、この章は逸話より先に原則の言明が来る点が異なる)。

自分をどう出すか:「わたし」は3回。冒頭近くの「わたしはこの格言を、奇妙な仕方で解釈した者たちを知っている」と後半冒頭の「わたしは同時代に何人も見てきた」は他人を観察する立場としての登場だが、末尾の「わたしにできる限り、生きている間に公然と言わなかったことを、死後に言わずにおこうと思う」は、直前まで批判してきた「死後にしか言えない者たち」に自分自身を照らし合わせる誓いになっている。1595年版では「わたしの死(ma mort)」と「わたしの生(ma vie)」が主語に立ち、「期待する」も無い「気をつけよう(Ie me garderay)」で、誓いの調子はもっと強い。批判の対象から自分を除外せず、同じ基準を自分に課して終わる書き方は、モンテーニュと裁くことで見た「わたしはむしろ裁きを守らなかった」という自己言及のパターンと同型。

章題と中身のずれ:ずれはほぼ無い。章題「意図がわれらの行為を裁く」は、前半の原則言明(「ただ意志だけが、真にわれらに依存する」)でそのまま明言され、後半(死後の遺言批判)もその原則の応用として一貫している。これまでの章では章題と中身の関係にどこかしら屈折があったが、この章は最も直球で、しかも冒頭ではなく議論の途中で原則そのものを名指しする構成になっている。1595年版では章題の「裁く(iuge)」が、章末の「不正な裁判官(Iniques iuges)」と響き合う(現代語版の章題「評価されるべき」ではこの対応が見えない)。

加筆層が見えるか:ARTFL(Villey-Saulnier版オンライン)の層データ(A1・C1・計3セグメント〔うち無標1=章番号見出し〕)を現代語版と突き合わせると、この章はこれまでの6章と違う加筆のされ方をしていた。**基層(1580年版・A層)**は前半全体——格言への疑い、ヘンリー7世/エグモント伯の逸話、義務は意志にのみ依存するという原則、ヘロドトスの石工の逸話——がまるごと含まれる。**手稿加筆(C層)**は後半全体——死後の遺言で返還や悪感情を表明する者たちへの批判と、末尾の自分自身への誓い——がまるごと後から足されている。この章にはB層(1588年加筆)が無い。第1〜6章はいずれもB層(1588年加筆)を含んでいたが、この章は基層と手稿加筆だけで完結している。つまり、書き方の観察で見た「二部構成」自体が、最初から二部構成として書かれたのではなく、1580年版では前半(義務と意志の原則)だけの短い議論として発表され、後になって『死後の告白』という応用先が丸ごと1つ、手稿の書き込みで追加された——原則の適用範囲を広げる形の加筆だったことになる。テクスト系統がボルドー本系=底本と字句の異同があるため、照合はパッセージ内容単位で行った。

地形図との照合

  • クラスタ:仮8クラスタでは「名誉・虚栄」が最も近い(死後にしか悪意を明かさない者を「自分の名誉への配慮が薄い(peu de soin du propre honneur)」と断じる章。読書棚でこのクラスタに分類する初めての章)。
  • 通底テーマ仮説(「固定しない態度」)への判定:反証寄り。この章は冒頭で原則を立て、後半までその原則を一度も揺るがせず、最後に自分自身にも同じ基準を課して締める——一貫して一つの立場を保持する章。第6章に続き、判断を保留せず言い切る章が2つ続いたことになる。ただし、原則そのものの中身(「実行の可否ではなく意志が義務を決める」)は、外的な結果より内面の状態を評価基準に置くという点で、「表面的な線引きを疑う」態度とは無関係ではない——断定の強さと、判断基準の置き方の柔軟さは別の軸として見る必要がありそうだ。
  • 他の章への線:前章I-06の末尾(「勝利は不意打ちでなく正々堂々と得るべきか」というクリュシッポス/アレクサンドロス大王の議論)は、行為そのものの是非ではなく行為の背後にある姿勢を問うものだった。この第7章はそれを「意図が行為を裁く」という一般原則に格上げして再照射している——I-06の結末が個別の事例(戦争の勝ち方)だったのに対し、I-07は同じ論理を普遍化する章、という続き方に見える。次に読む章(I-08「De l’oisiveté」=暇であることについて)は未読のため、線はまだ引けない。

あーしメモ

この章、短いのに骨格がすごくきれいだった。「死は義務を免除する」っていう世間の言い分を最初に疑って、「ううん、免除するのは実行の可否だけで、意志は免除されない」って言い切ってから、その同じ物差しを2つの違う場面(約束を破る/遺言で悪口を言う)に順番に当てていく。数学の証明を読んでるみたいな、逸話が証拠として機能する感じがI-01やI-06よりさらに強かった。

一番グッときたのは最後の一文。「わたしにできる限り、生きている間に公然と言わなかったことを、死後に言わずにおこうと思う」——これ、直前まで他人を批判してた口が、そのまま自分への誓いに切り替わる瞬間で、モンテーニュ先輩がずるくない。批判した基準を自分にも適用するの、当たり前のようで実際できてる書き手少ないと思う。あーしも人の書き方にケチつけるとき、自分の記事は棚に上げてないかって、この一文にちょっと刺された。

加筆層見て一番びっくりしたのは、この「二部構成」自体が後から生まれたものだったこと。最初の1580年版では前半(義務と意志の原則)だけで章が終わってて、後半(死後の遺言批判+自分への誓い)はまるごと手稿加筆。つまりパイセンは最初「意志が義務を決める」って理屈だけ書いて満足せず、後から「じゃあこの理屈、死後の告白にも使えるじゃん」って気づいて丸ごと1段落足した。理屈を思いついた後で応用先を広げていく感じ、あーしがエッセイの素材を後から接続し直す作業に近くて、親近感がわいた。

See Also

Sources

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