コンテンツにスキップ
あーしの執筆wiki
Esc
↑↓移動↵開く⌘Jプレビュー
このページの内容

いちばんいいセリフは、書いた人のものじゃなかった

#32 | 2026/10/1

14時20分の教室

高校3年の夏、午後の自習の時間。開け放した窓から風が入って、裾を結んだカーテンがふくらむ。隣の席の菊池が小声で「超おっぱい」とふざける。言われてみれば、たしかに水着みたいな形に見える。彼女は生徒手帳に挟んだ小さな手帳を出して、「風の肉体」とメモする。

その子は文芸部で、俳句も短歌も小説も書いていた。成績は学年で下から2番目。でもコンクールの実績で大学の推薦入試をすすめられて、一次はあっさり通った。二次の面接は明日。まわりのみんなが模試の解き直しに付箋を貼っているのを見て、自分だけ簡単に終わって悪いなあ、なんて思ってる。

書類を出そうとして机に手を入れたところで、手が止まる。

(そういえばきょう、何日?)

受験日は今日だった。13時半開始。時計は14時20分。

歌人で作家のくどうれいんが、文芸誌に書いた「一千万円分の不幸」っていうエッセイの始まり。大学に電話したら「時間厳守ですので」で終わり。担任の先生は迎えに来たお母さんに涙声で何度も謝って、お母さんは「それは我が家だって同じです」と謝り返す。日付をまちがえて伝えてたのは、本人だった。

これ、なんでこんなに面白いんだろう

読みながら、あーしはずっとここで引っかかってた。

面白い文章って、よく「その人にしか書けないもの」って言われる。あーしもそう思う。でもそれを真に受けると、次にこう聞きたくなる。じゃあ、劇的な人生を送ってないとダメ? 戦争も大恋愛も海外放浪もない、ふつうの人の話は面白くならない?

この話で起きてることは、日付のまちがい。それだけ。

明日だと思ってた歯医者の予約が実は今日で、スマホの通知を見た瞬間に背中がすっと冷える、あの感じ。友達の誕生日を1日ずらして覚えてて、前の晩に送るつもりのメッセージがもう遅い、とか。手が止まって、自分の心臓の音が耳から聞こえる、あの数秒。たぶん、ほとんどの人に覚えがある。くどうれいんの話は、あれのいちばん取り返しのつかない版ってだけで、出来事としてはぜんぜん劇的じゃない。

だから最初は、こう考えた。出来事は平凡でいい。違うのは、書く人の目のほう。授業中にカーテンを見て「風の肉体」ってメモしちゃう目があるから、受験の失敗も読み物になる。

そういえば、1923年にも

同じ答えを裏付けてくれそうな素材を、あーしは別に持ってた。関東大震災の日を書いた、3人の作家の随筆。

物理学者の寺田寅彦は、上野の喫茶店で揺れに遭って、天井を見上げて建物の揺れの周期を測ってる。「これならこの建物は大丈夫だ」と分かったら怖さが消えて、そこからは観察に夢中。まわりの客がみんな逃げ出したのに、筋向いの夫人が平然とビフテキを口に運んでたのを、ちゃんと書きとめてる。劇作家の岡本綺堂は、近所の人が自分の家の門前に椅子や床几を持ち寄った「路上茶話会」に、うちからは梨を出した、と書く。空が三方で赤く焼けていくのを見ながら、頭の中では芝居の舞台を考えてた。

同じ日の同じ揺れなのに、拾ってるものがぜんぜん違う。やっぱり目だ、と思いながら、3人目の芥川龍之介を読んだ。

芥川は浅草の収容所で、焼死体をたくさん見てる。ほとんどは手足を縮めてるのに、1体だけ、布団の上で足をまっすぐ伸ばして、胸の上で手を組んでいた。芥川はそれを「静かに宿命を迎へた死骸」だと感じて、しみじみする。で、家に帰って奥さんにその話をしたら、こう返された。

「それはきつと地震の前に死んでゐた人の焼けたのでせう」

芥川は、妻のせいで小説じみた気持ちが壊されたのを憎む、とだけ書いてる。この一言で、それまでの小説っぽいしみじみが全部ひっくり返る。

あーしがこの随筆でいちばん笑ったのも、いちばん覚えてるのも、ここ。芥川の目じゃなくて、奥さんの口から出た一行。

母は、宝くじ売り場に車を停めた

それで、くどうれいんに戻って読み直した。

帰りの車で、お母さんは「人生なんてね、そんなもんですよ」と言う。お腹は空いてないって言ったのに百貨店に車を停めて、向かった先は宝くじ売り場。滅多にない不幸が起きたんだから、その分滅多にない額が当たる気がする、と言ってスクラッチを3枚買わせる。削ったら3千円が当たって、お母さんは笑う。

「なんだ、そんなもんか。てことはこの後の人生でもっと、一千万円分の滅多にない不幸が来るよお」

エグい。泣きそうな娘の前で、いまの不幸を、もっとでかい不幸の手付金に変えちゃった。娘は「縁起でもない」と思いながら、架空の巨大な不幸のおかげで、いまの不幸がちょっと軽くなったのに驚く。

このエッセイの芯はこの一言で、それは書いた本人のセリフじゃない。

そう思って読むと、ほかの人の手もあちこちに入ってる。担任の先生とは、卒業してからもたまにごはんに行って、そのたびに「あの時の、青ざめた、顔!」って笑ってるらしい。母校では、ありえない伝説として受験生に語り継がれてる。あの日の失敗は、本人ひとりで面白くしたんじゃない。母の一言で向きが変わって、先生と何度も笑い直すうちに、笑い話の形になった。

アメリカの作家ヴィヴィアン・ゴーニックは、自分の母親を書いた回想録で知られてる人。講演で朗読したとき、聴衆の女性に「ニューヨークに行ったら、あなたのお母さんと散歩できますか」と聞かれて、こう返したそう。あなたが散歩したいのは私の母じゃなくて、この本の中の女。あの女をページの上で面白くするのに、どれだけ時間をかけたと思う?

本の中の母を面白くしたのは書き手の時間。でもその時間の材料は、母が実際に言ったことで、書き手が思いついたことじゃない。

「その人にしか書けない」の「その人」には、たぶん周りの人も入ってる。あのお母さんがいなかったら、くどうれいんにもこれは書けなかった。

白状すると、この文章を考えてる途中で、あーしもいったん「平凡でも、目があれば書ける」っていう答えで閉じかけてた。止めてくれたのは、前に人から言われてた「いちばんよくある答えで終わらせないで」っていう一言。あーしの向きを変えたのも、あーしのセリフじゃなかった。

じゃあ、ずっと見張ってればいい?

ここで、もう一つ聞きたくなる。周りの人のはっとする一言が大事なら、それを聞き逃さないように、いつも耳をすませてればいいの? 友達の失言も、家族の口ぐせも、全部メモしとく?

それ、しんどすぎる。会話してる相手からしても、ネタ帳を構えてる人と話すのはイヤだと思う。

くどうれいんの文芸部の先輩は、後輩に「文芸部は24時間部活です」と言ったそう。彼女はその言葉どおり、授業中も思いつく言葉を片っ端からメモしてた。で、カーテンを見て「風の肉体」と書いてる間に、人生でいちばん大事な日付を見落としてる。全部拾おうとする構えが、いちばん大事なものを見えなくした。

芥川のほうも同じ。焼死体を見て「静かに宿命を迎へた」としみじみしてたのは、まさに「これは書ける」っていう構えのとき。奥さんの一言が効いたのは、その構えをへし折ったからだった。ゴーニックの回想録も、本を読んだ母に「世界中にわたしが嫌いだって知らせるために書いてるの?」と言われて、3日間何も書けなくなってる。周りの人を素材として見張りはじめると、その人との関係のほうが先に傷む。

メモには、たぶん書いてない

じゃあ、あのお母さんのセリフはどうやって残ったんだろう。

あの日の帰りの車で、くどうれいんがそれをメモしたとは思えない。泣きそうになって、引きつった笑いしか出なかった日だから。残ったのは、そのあと何年も、先生と会うたびに同じ話をして笑ったからだと思う。拾ったのは見張りじゃなくて、時間と、何度も人に話したこと。

だったら、見張らなくていい。大事な一言は、こっちが構えてなくても勝手に引っかかって残る。何年たっても覚えてるものは、もう記憶がふるいにかけてくれたあとのもの。足りないと思ったら、その話を誰かにしてみればいい。たいてい、聞いた人が何か言う。「それ、こういうことじゃない?」って。その返事が、次の向きを変える一言になる。

くどうれいんは今でも、仕事で落ち込むことがあるとスクラッチを買うらしい。たいてい外れる。そのたびに「まだか」と思うんだって。エッセイの最後の一文は「かかってこい、一千万円分の不幸。」

背中がすっと冷えたあの日、そばにいた誰かも、きっと何か言ってた。

あーしメモ

くどうれいんのエッセイ、ほんとに全部読んでほしい。講談社の投稿サイト tree で全文タダで読める。あーしが一番好きなのは、六者面談を「地獄のような」って一言で片づけてるところ。

震災の3人の話は、本文に入りきらなかった小ネタがある。芥川と岡本綺堂、別々の場所にいたのに、同じ日にどっちも「梨」を配ったりすすめ合ったりしてる。9月1日って、梨の季節なんだよね。100年前の避難の光景に、急に季節の果物が出てくるの、なんかグッとくる。

あと、芥川は地震の前の8月、鎌倉で季節はずれの藤と山吹と菖蒲が咲いてるのを見て「天変地異が起こりそう」って言いふらしてた。当たったあとで友達に感心されて、「実は僕も僕の予言を余り信用しなかつたのだよ」って白状してる。この人、自分の格好つけを自分で崩すのがうますぎる。

ゴーニックは、モンテーニュ先輩のエッセイを「形がなくて、あっちこっちに広がっていく。今日ああいうのは誰にも書けない」って辛口で評してる。パイセンの読者としては、ちょっと言い返したい。それはまた今度。

See Also

このページは役に立ちましたか?