完成稿の前を読む ── 草稿研究(critique génétique)の方法と、ボルドー本という作業原稿
本屋に並ぶ本は、書き終わった本文しか見せない。草稿研究(critique génétique、生成批評とも訳される)は、その手前を読む。作家が残したメモ・下書き・清書・校正刷りを集め、本文がどういう順番で、何を捨てながらできあがったのかを復元する。ここでは、Encyclopædia Universalis の項目(草稿研究の中心にいるピエール=マルク・ド・ビアジ執筆)で方法の骨組みを押さえ、モンテーニュの「ボルドー本」を、その方法が相手にする「作業原稿」の実例として読む。
問いを4つずらす
ド・ビアジによれば、草稿研究は1970年代から文学研究に加わった方法で、問いの置き場所を4つずらす。作者(auteur)から書き手(écrivain)へ。書かれたもの(l’écrit)から書くこと(l’écriture)へ。構造から過程へ。作品からその生成(genèse)へ。
出発点は、ほとんど事実の確認に近い。文学作品の決定稿は、ごくまれな例外を除けば「仕事」の結果である。資料や情報を集め、構想し、準備し、書き、何度かの訂正と見直しの「キャンペーン」(campagnes de corrections et de révision)を経てできている。草稿研究はこの「テクストになっていく」時間の厚みを対象にする。仮説はこうだ。作品は、完成した姿のままでも、それまでの変身の結果であり、自分が生まれた過程の記憶を含んでいる。
ただし、生成が研究の対象になるのは、それが「痕跡」を残しているときに限られる。それが「作品の草稿」で、量も種類も時代・作家・作品によってばらばらだが、作家が企画の最初の着想を得てから印刷された本になるまでの間に何が起きたかという、固有の、しばしば意外な話を語る。
そこで作業は二つに分かれる。
- テクスト生成学(génétique textuelle):草稿を分析し、分類し、判読する
- 生成批評(critique génétique):判読の結果を解釈する
両者が一緒になって、「生まれかけの状態のテクスト」(le texte à l’état naissant)を組み立て直し、構想と執筆の過程を明らかにしようとする。
なぜ「近代の」草稿なのか
草稿研究が相手にする「作業原稿」が「生成の資料」として読めるのは、もう一つ別の形の作品——印刷された本——が並んで存在し、それが著者の認めた決定稿を固定しているからだ、とド・ビアジは言う。
15世紀に印刷術が現れるまで、手書きの写本は、文章を記録し、伝え、広めるほとんど唯一の媒体だった。作品は一冊ごとに違う写本でしか知られず、写本どうしには大小の異同(ヴァリアント)があって、元の本文(Urtext)は復元できないまま失われている。ベルナール・セルキリーニの言う、起源を指定できず、いつまでも完成しない、複数形の書きものとしての中世の作品である。この状態は印刷本が出てすぐに変わったわけではなく、ロジェ・シャルティエによれば、印刷本が本の主な媒体として定着するまで2世紀以上かかった。
印刷された決定稿という「下流」ができて初めて、その「上流」にある手書きの紙束が、完成に至る途中の段階として読めるようになる。写本の時代の異同は「別の本文」だったが、近代の草稿の書き換えは「同じ本文になっていく途中」になる。
この項目は、ここから先が有料部分になっていて、草稿をどう日付け・分類し、どう束ねて段階を復元するかという具体的な手続きは、この記事の資料からは追えていない。
実例:ボルドー本 ── 校正刷りが作業原稿に変わるまで
「印刷本が決定稿を固定し、その余白で書き換えが続く」という形を、文字どおり一冊でやってみせたのが、モンテーニュの「ボルドー本」だ(以下は英語版 Wikipedia の項目による。フランス語・ラテン語の引用はあーしの自訳)。
1588年、パリの書店アベル・ランジュリエは『エセー』の増補版を出した。第1・2巻に第3巻を加えた、1000ページを超える四つ折り判で、余白が大きい。モンテーニュはこの版を少なくとも2部、自分用に手元に置いた。
1部目はいまボルドー市立図書館にある「ランビオット本」で、数か所の手書きの訂正と下線が入っている。1588年の本文を読み返した、いちばん早い跡だ。序文「読者へ」の日付を、印刷された1588年6月12日から1580年3月1日(誕生日の翌日)に書き換えていて、同じ訂正はブリュッセルのソルヴェー本とボルドー本にもある。
2部目が「ボルドー本」で、1588年夏から1592年9月13日の死まで書き込みが続いた。最初は印刷所に渡すための校正のつもりだったらしい。扉の裏に植字工への指示があり、本文の余白に ceste を cette に、& を et に直すといった綴りの訂正が並ぶ。ところがこの校正刷りのような訂正は16葉目より先には進まない。書き込みが積み重なるにつれて、本は新しい版のための作業原稿、いつも手が入り続ける本に変わっていった。モンテーニュは扉に、ウェルギリウスの半行 viresque acquirit eundo(「進みながら力を得る」)を標語として書いている。
書き込みは余白・下端・ページ上部に約1300、句読点の修正は約6000。数語の挿入やかっこ書きのような短いものもあれば、ページの空白をほぼ埋めるものもある。文を軽くし、繰り返しや見苦しい言い回しを削る一方で、ラテン語の引用を増やし、それまでほぼ韻文だけだった引用をフランス語の地の文に直接組み込むようになった。章ごとに新しい文章が何度も書き足され、それがまた丁寧に読み返され直されている。ボルドー本は、人前で気楽な素人を装ったモンテーニュが、まったくそうではなかったことを示す、と項目は書く。
伝記作者ドナルド・フレームは、書き直しがとくに大きい領域として5つを挙げる。老いと弱さについての自己観察、教えるための下品な比喩、自分の本と企てについての自覚、同時代人の宗教的な日和見への批判、自然な快楽を正直に求める独立した道徳。3つめの例が、Je n’ay pas plus faict mon livre que mon livre m’a faict(「わたしが本を作ったのと同じだけ、本がわたしを作った」)だ。ラ・ボエシーを愛した理由を問われて答える「それは彼だったから、それはわたしだったから」も、この本の余白への加筆である(この一句が2回に分けて書かれたことは、インクの濃さの違いからわかっている)。
項目が引くアンドレ・トゥルノンの評は、草稿研究の言葉にそのまま置き換えられる。新しい章を書くかわりに、足したいことを本全体に散らして書き込むことで、モンテーニュは「自分の考えを自分の考えと突き合わせる。新しい言葉が古い言葉に問いかけ、促し、曲げ、あるいは確かめる。たいていは、その大胆さを強めながら」。
痕跡は、守られる過程でも失われる
ボルドー本は「草稿は痕跡を残したときだけ読める」ことの、裏側も見せる。モンテーニュの死後、未亡人の意向で遺体はボルドーのフイヤン会修道院に葬られ、1614年ごろには蔵書の一部も修道院へ移された。そこで蔵書票が足され、本は製本された。その製本のときに小口が裁ち落とされ、余白の書き込みのいくつかが失われた。 本を保存するための作業が、生成の跡を削ったことになる。
本はそのあと18世紀後半まで記録から消える。1772年に辞典に言及が出て、1777年ごろからフランソワ・ド・ヌフシャトーが修道院の司書と文通して再発見し、1800年にパリへ送られ、1802年にネジョンの手でボルドー本にもとづく版が出た。1807年にボルドーへ戻り、以来ボルドー市立図書館の宝になっている。
作業原稿は、決定稿ではない
書き込みのうち3か所だけは、のちに死後版(1595年)を編んだマリー・ド・グルネーの手である。1595年版はボルドー本と多くの点で違い、モンテーニュが印刷所向けに変更をまとめ直した別の手稿があったのではないか、とも推測されている。20世紀にはボルドー本を底本にする版が主流になったが、2007年のプレイヤード版は1595年版の本文を選んだ。作業原稿が「いちばん最後の本文」かどうかは、草稿研究のいちばん外側で、いまも決着していない(この論争と編者グルネーについてはグルネー嬢とグレース・ノートン、版の層の全体は『エセー』の全体像を参照)。
草稿が残らない時代へ
ド・ビアジの定義では、草稿研究は「痕跡」がなければ始まらない。ところが、コンピュータで書く現代の作家は上書き保存を繰り返すので、決定稿に至るまでの草稿そのものが残らないことが多い。手書きの草稿を残した作家にしか使えない方法になってしまう、という問題意識から、打鍵の記録を新しい「痕跡」として使う研究が出てきている。その一つが、執筆過程をまるごと記録するエディタで舞城王太郎の推敲を観察した書きながら消す ── TypeTraceが記録した舞城王太郎の推敲だ。
あーしメモ
あーしは読書棚で、パイセンの章を「A層(1580年)・B層(1588年)・C層(手稿)」って色分けしたデータで読んでる。C層って、あーしの中ではずっと「データの3列目」だった。今回それが物として見えた。四つ折り判の広い余白に手で書いたインクで、しかもあとで製本屋に端を切られてる。 あーしが「C層」って一言で呼んでたものは、パイセンが4年かけて書いた跡と、残った人たちが本を守ろうとして削った跡が、重なったものだった。
いちばん好きなのは、校正のつもりの書き込みが16葉目で止まるところ。ceste を cette に直してたら、いつの間にか直すのをやめて書き足し始めてる。本人も、どこで切り替わったか気づいてなかったと思う。エッセイで使うなら、たぶんここ。「直す」と「書き足す」の境目は、決めて越えるんじゃなくて、気づいたら越えてる。
それと、ド・ビアジの仮説——「完成稿は、自分が生まれた過程の記憶を含んでる」。あーしのエッセイは、わりとそれを地の文でやってる。「白状すると1文字だけ手を入れてる」とか、本文の中で途中経過をばらしちゃう。パイセンも古い文を消さずに、横に新しい文を足して、新旧を同じページで問いかけ合わせてた。生成を隠さない書き方は、あーしのクセじゃなくて、エセーの書き方の芯に近いのかも。ただ、パイセンの場合は本人が見せようとしたんじゃなくて、残ったものを後の人が読んだ結果だ。そこは同じにしない。
See Also
- 書きながら消す ── TypeTraceが記録した舞城王太郎の推敲 — 草稿が残らないコンピュータ執筆で、打鍵ログを新しい「痕跡」にした研究。この記事の方法論が使えなくなった先の話
- 下書きを隠せる時間 ── 推敲の歴史と、それを拒んだ男の話 — Sommersは書き手へのインタビューと書き直しから推敲を調べた。草稿研究は同じ問いを、残された紙の側から解く
- モンテーニュの自己描写論──『存在』ではなく『移り変わり』を描く — ボルドー本の加筆を材料に、「自分に注を付け続ける人」としてモンテーニュを読むレストランガンの論。草稿研究を一人の作家に当てた実例
- グルネー嬢とグレース・ノートン ── 死後版を編んだ娘と、語彙辞典を独力で作った老女 — 作業原稿と1595年版のどちらが最後の本文か、という論争を、編者の側から
- 『エセー』読書棚 — 章ごとのA・B・C層は、ボルドー本の余白がいつ書かれたかを分けたもの
Sources
- MANUSCRITS — La critique génétique(Encyclopædia Universalis) — Pierre-Marc de Biasi 執筆。冒頭部(定義と「近代の草稿」の節の始め)のみ参照
- Bordeaux copy of the Essays (Montaigne) — Wikipedia — 来歴・書き込みの内容・刊本との関係。フランス語・ラテン語の引用は項目に載る原文からの自訳