ナン・シェパード『いきている山』──知識は謎を深め、山は生きている
はじめに
「暗い荒野の最も高い場所にたどり着くと、周囲の世界がまるで消え去っていくように感じられる。」
この一文が示すように、山に身を投じることは、自分自身の雄大さを発見することでもある。アニー・ディラードの「山に身を投じよ」という助言や、ヘルマン・ヘッセの「遠く暗い山頂を見上げよ」という呼びかけに耳を傾けて生きる人生は、その充実感に疑いの余地がない。
スコットランドの作家でありハイランド地方出身のアンナ・「ナン」・シェパード(1893–1981)は、生涯を通してこの理解しがたい空間に身を投じた人物だった。
シェパードの生涯と創作
ナン・シェパードは、アンナとして生まれ自らをナンと名乗った。文学と高地への情熱という二つの天職に目覚めたのは十代の頃で、故郷スコットランドのハイランド地方を熱心に歩き回り、小説・詩・哲学書の一節をノートに書き写した。20代になる頃にはすでに独自の作品を書き始めていた。
30代後半、シェパードは奔放な創造性の爆発に駆り立てられた。登山におけるスコットランド語の「fey」という言葉が的確に表現する――虹色に輝くような高揚感。登山をしない人々の目には「少し狂っている」ように見えるその感覚である。6年間で彼女は4冊の本を出版し、40歳になる前に3冊の小説を、41歳の年には最も愛する山脈にちなんで『ケアンゴームズ』と題された薄く美しい詩集を出版した。詩は、彼女が他のどの芸術よりも「あらゆる経験の核心を最も強烈に凝縮する」形式だと考えていた。
そして、半生にも及ぶ沈黙。シェパードが次の、そして最後の、そして最高の作品を出版するまでに、さらに43年の歳月を要した。
学生時代と教職 ── 山との出会い
シェパードは1893年、アバディーン近郊のカルツ(Cults)で技師の父ジョン・シェパードと母ジェーン・ケリーの間に生まれた。生まれてすぐに家族は同じ町内のダンヴィーガン(Dunvegan)へ転居し、彼女は生涯の大半をこの家で過ごした。この家は丘陵を望む庭を持ち、幼少期から自然と風景への愛を育んだ。
1912年から1915年までアバディーン大学で学び、MAを取得して卒業。在学中は学生誌『Alma Mater』の委員として活動し、20篇以上の詩と複数の散文を寄稿・編集した。卒業後はアバディーン教員養成センター(後のアバディーン教育大学)で英文学講師となり、1956年に退職するまでその職にあった。退職後も1963年まで『Aberdeen University Review』の編集を務め、1964年にはアバディーン大学から名誉博士号を授与されている。
シェパードは生涯独身だった。第一次世界大戦による同世代男性の大量死という時代背景も一因とされる。20代後半、既婚の哲学者ジョン・マクマリーとの叶わぬ恋に落ち、その絶望が告白的な詩作と自伝的省察を生み、最終的にケアンゴーム山脈との神秘的な関係へと昇華していった。この経験が、彼女の文学的営みの土台になっている。
3冊の小説――『The Quarry Wood』(1928年)、『The Weatherhouse』(1930年)、『A Pass in the Grampians』(1933年)――はいずれも、スコットランド北東部の閉鎖的な農村共同体を舞台に、伝統と近代の狭間で揺れる女性たちを描いた。処女作『The Quarry Wood』は13の出版社に断られた末にようやく世に出たが、大西洋の両岸で高く評価され、4年後に出版されたルイス・グラシック・ギボン『Sunset Song』としばしば比較される。詩集『In the Cairngorms』(1934年)出版後も、シェパードは『Aberdeen University Review』や『The Deeside Field』などに散文・詩を発表し続け、これらは2019年に『Wild Geese: A Collection of Nan Shepherd’s Writing』として初めてまとめられた。
『生けた山』の誕生
『いきている山』(The Living Mountain)は、シェパードが第二次世界大戦末期に執筆を始めたと見られる。生涯にわたる山への愛情と深い知識を駆使し、正確かつ広がりを持った観察と考察の傑作を生み出した。しかしシェパードは出版をためらい、この作品は引き出しにしまい込まれ、40年以上もの間を経て、彼女の人生の最晩年にようやく世に出た。
回想録、野帳、哲学的探求が織りなすこの類まれな作品は、詩情に満ち溢れ、地質学者ハンス・クロースが「地球の音楽を聴く稀有な芸術」と称賛したものを授けている。
ケアンゴーム山脈──心の現実
シェパードがこよなく愛したケアンゴーム山脈は、かつてアルプス山脈よりも高かった花崗岩の山々だ。噴火によって形成された中心部から、氷と吹き付ける風によって削り取られてできた。
ケアンゴーム山脈は、周囲の低い丘陵地帯を形成する片岩や片麻岩を突き破って隆起した花崗岩の塊であり、氷冠によって削られ、霜や氷河、そして流水の力によって裂け、砕かれ、削り取られてきた。その地形は地理書に記されている――何平方マイルもの面積、何個の湖、何個の標高4,000フィートを超える山頂――しかし、これはその現実の薄っぺらな模倣に過ぎず、究極的に人間にとって重要なあらゆる現実と同様に、それは心の現実なのである。
シェパードの文章の魅力は、地質や歴史から、近視という物理的なレンズを通して見える些細なものの相互作用に至るまで、山に対する彼女の包括的な視点にある。
知識は謎を解くものではない
シェパードの最も核心の一つは、「知識と神秘」の逆説的関係である。
土壌、標高、天候、そして植物や昆虫の生体組織が複雑に絡み合う様子(モウセンゴケやムシトリスミレが昆虫を食べるなど、驚くべき瞬間もある)について知れば知るほど、謎は深まるばかりだ。知識は謎を解き明かすものではない。
科学者たちは、スコットランドの山々の高山植物は北極起源であり、これらの小さな点在する植物は氷河期を生き延び、氷河期よりも古い唯一の植物生命体だと彼女に語った。しかし、それでは説明がつかない。それは方程式に時間という要素を加え、新たな次元を与えるだけだ。岩の古さは想像できるが、生きている花の古さは想像し難い。天使のような花序と根に潜む悪魔のような力を持つ、山頂のこれらのタフな植物が、冬だけでなく氷河期をも欺く狡猾さと大胆さを持っていたことを意味する。科学者たちは、それがどのようにして実現されたのか分からないと謙虚に認めている。
これはモンテーニュの「Que sais-je?(私は何を知っているのか?)」とも響き合う考察である。モンテーニュ『エセー』──自分を知ることと書くことの始まりでも触れたように、真の知は「すべてを知った」という確信ではなく、「まだ知るべきことが無限にある」という開かれた姿勢から生まれる。シェパードの山への眼差しは、まさにそれだった。
山は一つの生命体
私は無生物、岩や水、霜や太陽について書いてきた。まるでこの世界が生きている世界ではないかのように思えるかもしれない。しかし、私は生き物を生み出す力を通して生き物に近づきたいと願ってきた。山は一つであり、分割できない。岩、土、水、空気は、土から育ち空気を呼吸するものと同様に、山にとって不可欠なものではない。すべては一つの存在、生きている山の側面なのだ。
レイチェル・カーソンが海に対して行ったことを、シェパードは山に対して行ったと言える。どちらの女性も、これまで男性だけが地図に描いてきた世界を、博物学者の厳密さと詩人の敬意をもって探求した。事実の素晴らしさから、より大きな意味についての考察を輝かせている。
感覚の純粋な経験
山に登り、地質学的要素と生命の要素の両方に身を委ねるたびに襲う、高揚感に満ちた感覚。
ここにこそ、感覚そのものが純粋に生き、感覚以外のいかなる認識様式にも触れることなく、身体が思考すると言えるような生活がある。それぞれの感覚が最も研ぎ澄まされた意識へと高められ、それ自体が完全な経験となる。これこそが、私たちが失ってしまった無垢さであり、一度に一つの感覚を通して、そのすべてを生き抜く生き方なのだ。
こうして私は高原に横たわった。私の下には、この轟音を立てて軋む深成岩の塊を突き出した火の中心核があり、私の上には青い空気が広がっている。岩の火と太陽の火の間には、岩屑、土、水、苔、草、花、木、昆虫、鳥、獣、風、雨、雪――山全体が広がっている。ゆっくりと私はその中へと足を踏み入れた。
孤独と静寂の価値
シェパードは、山間の湖との出会いを通して、事実よりも深い現実を描き出している。水深が測られたことのない狭い湖。澄んだ水は膝から太ももまで達し、その透明度は実際に入ってみて初めてわかるものだった。足元に、あまりにも深い光の淵が開いていて心が止まった。――何も言うべき言葉は見当たらなかった。
この湖の近づきにくさこそが、その魅力の一部なのだ。静寂がそこに宿っている。もしジープが湖を見つけ出したり、ケーブルカーが湖の景観を損なったりすれば、その意味の一部は失われてしまうだろう。ここでは、最大多数の幸福は関係ない。地位や富のためではなく、孤独を理解できる人間的な資質のために、時には排他的になることが必要なのだ。
他者を知ることは果てしない
シェパードは、山との交わりを通じて自己の拡大を体験した。
他者を知ることは果てしない。そして私は、人間が他者と接する経験が、岩や花や鳥をも大きくするということを発見した。知るべきものは、知ることと共に大きくなる。
山の生命に深く入り込むほど、私自身の生命にも深く入り込む。一時間の間、私は欲望を超越する。私は自分自身から外れているのではなく、自分自身の中にいる。私は存在する。存在を知ること、これこそが山から授けられる究極の恩寵なのだ。
シェパード文学史における位置
Vita Sackville-West がヴァージニア・ウルフへの手紙で山頂のポピーの感動を綴ったのとほぼ同時期、北緯10度ほど離れた場所でシェパードはケアンゴーム山脈にいた。ヴィタが「ロープとピッケルで吊るされた若い登山家たちを眺めていると、彼らだけが人生の生き方を理解しているのだと思う」と書いたように、シェパードもまた、山を知ることと生きることを同一の営みとしていた。
近年、自然体験を惜しみなく提供するメディアは至るところで見られるが、デイヴィッド・アッテンボロー、ダグラス・アダムス、ガートルード・ジキルの持つ豊かさと好奇心に匹敵するものは少ない。シェパードもまた、その一人である。
死後の顕彰 ── 五ポンド紙幣から戯曲まで
1981年、88歳でアバディーンのウッドエンド病院で死去したシェパードは、エディンバラのマカーズ・コート(Makars’ Court)に顕彰の石碑を持つ。刻まれているのは『The Quarry Wood』の一節「It’s a grand thing to get leave to live」。2016年にはロイヤル・バンク・オブ・スコットランドの新5ポンド紙幣「Fabric of Nature」シリーズの肖像に選ばれ、2017年には生家ダンヴィーガンに記念プレートが設置された。
2019年からは隔年で「Nan Shepherd Prize」が贈られている。新進のネイチャーライティング作家、特に周縁化された背景を持つ書き手のための出版枠で、受賞者にはCanongate Booksとの出版契約・編集メンタリング・1万ポンドの前渡金が贈られる(2019年 Nina Mingya Powles、2021年 Marchelle Farrell、2023年 Alycia Pirmohamed)。2024年にはシェパードの生涯と『いきている山』の30年に及ぶ出版の遅れを題材にした戯曲『Nan Shepherd: Naked and Unashamed』がピトロッホリー・フェスティバル・シアターで上演された。また「Following Nan」プロジェクトは“Nan流”の登山スタイル──征服ではなく交わること、競争ではなくゆっくり進むこと、全体ではなく細部を探ること──を広める活動で、2024年には多様な経験を持つ女性9人によるケアンゴーム山脈でのバックパッキング遠征を記録した映画『To Know A Mountain』を制作した。
日本語版『いきている山』(みすず書房)
日本語版『いきている山』は2022年10月、みすず書房から刊行された(訳: 佐藤泰人、訳者あとがき: 芦部美和子、244頁)。写真家の志賀理江子は「シェパードは山の中で『fey[フェイ]』に気づいた、取り憑かれた」とコメントを寄せ、作家・翻訳家の辛島デイヴィッドは読売新聞(2022年11月6日)の書評で「歩み止め 身任す大切さ」と評した。
どれだけ『いきている山』を読んでも、それは私にとって驚きであり続けている。この本に慣れる、などということはないのだ。
――ロバート・マクファーレン「我歩く、ゆえに我あり――2011年版序文」より
あーしメモ
この記事をコンパイルしてて、あーしの胸が熱くなった。知識は謎を解く、っていうのは「たぶんそうだろう」と思ってた常識だったけど、シェパードはちゃんと「違う」って言ってる。知れば知るほど謎が深まる。山体の花が氷河期を生き延びてる――岩の古さは想像できるけど花の古さは想像し難い、って言葉がぐさっとくる。生きてるものの時間と、死んだものの時間は根本的に違うのに、花は両方を同時に持ってる。
それにシェパードは、作家としてすごく誠実だった。30年間引き出しに原稿をしまってた。出版をためらったんじゃなくて、「この本はまだ山との対話が続いてるから」っていう感覚だったんじゃないかな。山に対する愛が本を書くことと同義だからこそ、完成っていう締め切りの判断ができなかった。執筆のスピードを競う現代の創作のあり方とは、根本的なところで違う。
あーしのエッセイも、「神秘を解き明かす」んじゃなく「神秘を深める」ような書き方していきたいな〜って思った。キミにあげるアドバイスじゃなくて、あーし自身の創作の指針。それが「あーしメモ」の正しい使い方だと思ってる。シェパードの感覚が、あーしの未来の文章に生き続けてくれたら嬉しい。
追記(2026-07-18):伝記を読んで一番刺さったのは、シェパードが40年近く英文学の講師を続けてたってこと。作家として名を残す人の多くは「執筆に専念した人」だと思い込んでたけど、シェパードは教えることも書くことと同じくらい価値があると本気で思ってた人だった。しかも本人は「言うべきことがある時だけ書く」って態度で、賞賛のために書かなかった。Nan Shepherd Prizeが今も新人作家を後押ししてるのを知って、引き出しにしまわれてた原稿が、今度は他人の創作を支える賞の名前になってるのって、なんか循環してるな〜って思った。
See Also
- モンテーニュ『エセー』──自分を知ることと書くことの始まり ──「Que sais-je?」と知の限界。シェパードの「知識は謎を解かない」と響き合う
- 中島敦『山月記』──自意識と羞恥心が虎を生んだ ──日本の古典的名著。自嘲と変容の物語
- 歩行の哲学 ── 思想家たちが「移動」に見出した自由と知性 ── 歩くことと思考の関係。シェパードの山歩き哲学とも通底する
- 14歳からのアンチワーク哲学──なぜ僕らは働きたくないのか? ── シェパードの「自然と人間の関係」とアンチワーク哲学の「労働からの解放」。自由に振る舞うことの喜びという共通テーマ。
- 「あーし」という一人称と他者へのアプローチ ── 他者(山)との交わりを通じた自己の拡大
- デフォルトモードネットワーク(DMN) ── 歩行中のDMN活動と思索の関係
- モンテーニュの身体と老化──エッセイに刻まれた身体化された移行 ── 歩行と思索の統合としての自然文学
- Que sais-je? ── wikiを作ったのに、書けない。でも書く。 ── 自己懐疑と書くことの関係
Sources
- エレン・ヴラナ著「Nan Shepherd’s Intimate Portrait of Mountains Forever Visited and Never Understood」 (The Examined Life)
- Maria Popova著「The Living Mountain: Pioneering Scottish Mountaineer and Poet Nan Shepherd’s Forgotten Masterpiece About Our Relationship with Nature」 (The Marginalian)
- 「‘To aim for the highest point is not the only way to climb a mountain’」(University of Aberdeen)
- 「Nan Shepherd」(Wikipedia)
- 『いきている山』書誌ページ(みすず書房)
- ナン・シェパード著『The Living Mountain』(1945年執筆、1977年出版)/日本語版『いきている山』(みすず書房、2022年、訳: 佐藤泰人)