I-48 軍馬について(Des chevaux d’armes.)
『エセー』全107章を1章1ページで読む読書棚の48冊目。底本は Wikisource の Michaud 1907 現代語版(1595年版テクスト)。引用はあーしの直訳で、原文(現代語版)を併記する。語を根拠にしたところは、対訳ページの1595年版の列で元の語を確かめている。ボルドー系の章番号でも第48章。
この章で何が起きるか
章は、章題の一語の説明から始まる。モンテーニュはまず自分を笑う。
Me voici devenu grammairien, moi qui n’ai jamais appris une langue que par routine et qui ne sais même pas encore ce que c’est qu’un adjectif, un subjonctif et un ablatif.
——さて、わたしは文法家になってしまった。言葉は慣れで覚えただけで、形容詞や接続法や奪格が何なのか、いまだに知らないこのわたしが。〔A〕
自嘲のすぐあとに語源が来るが、これも確かな知識としてではなく、「聞いた気がする」という程度のものとして出される。
Il me semble avoir ouï dire que les Romains avaient des chevaux qu’ils appelaient soit funales (chevaux d’attelage), soit dexteriores. Ces derniers étaient à deux fins, tenus en dehors des traits et à droite, d’où leur nom; c’étaient des chevaux de relais, qui se montaient au besoin comme des chevaux frais, et de là est venue l’appellation de destriers que nous donnons à nos chevaux de selle; c’est aussi ce qui fait que les auteurs qui écrivent en roman se servent de l’expression adestrer, pour dire accompagner.
——ローマ人は馬を funales(引き馬)とか dexteriores とか呼んでいた、と聞いた覚えがある。後のほうは二役の馬で、引き綱の外側の右手に付けておいたので、その名がある。替え馬で、要るときには疲れていない馬として乗った。わたしたちが乗用の馬を「軍馬(destrier)」と呼ぶのはここから来ているし、ロマン語で書く作者たちが「付き添う」を adestrer と言うのも同じわけだ。〔A〕
名前の出どころは戦の勇ましさではなく、右手に付けて引く替え馬の位置だ、という説明になっている。続いて、鞍も轡もなしで二頭並べて走らせ、全速のまま鎧姿で乗り移るローマの貴族の馬、乱戦の最中に疲れた馬から元気な馬へ飛び移るヌミディア人。語の説明は数行で終わり、ここから話は馬そのものの手柄へ移る。主人を守るよう仕込まれた馬は、敵より味方を傷つけることのほうが多く、ペルシアの将アルティビオスは、その馬が敵の王に棹立ちになったところを、王の従者に鎌で斬られて死んだ。フォルノーヴォでシャルル8世に迫る敵を蹴散らして救った馬の話には、「本当なら、大きな偶然だ」と条件が付く。マムルークは、声や合図ひとつで敵に噛みつき、地面の槍を拾って主人に差し出す馬を自慢する。仕込まれた馬の賢さを並べながら、最初の例がすでに、馬に戦いを預けると主人の手を離れる、という危うさを見せている。
次にカエサルとアレクサンドロスの名馬が来る。主人にしか乗らせない牛頭のブケファラス、前脚が人の足のように割れたカエサルの馬。そこで話は不意にモンテーニュ自身へ曲がる。
Quand je suis à cheval, je n’en descends pas volontiers; car c’est le mode de locomotion que je préfère, que je sois bien portant ou malade. Platon en recommande l’exercice comme favorable à la santé, et Pline dit qu’il convient pour l’estomac et qu’il entretient la souplesse des articulations. Mais poursuivons ce sujet, puisque c’est ce dont nous nous occupons.
——馬に乗っていると、わたしはなかなか降りない。元気なときも病気のときも、いちばん好きな乗り方だからだ。プラトンは健康にいいと乗馬を勧め、プリニウスは胃にいい、関節をしなやかに保つ、と言う。でも、この話を続けよう。いま扱っているのはそれなのだから。〔A→C〕〔→7〕
寄り道を寄り道と認めたうえで、降りずに先へ行く。馬を持つ者に徒歩の旅を禁じたクセノポンの伝える法、馬に乗ったまま商いも話し合いも散歩もするパルティア人。パルティアでは、自由人と奴隷の違いは馬に乗るか歩くかだった。ここまでは馬に乗ることの誉れの話だ。ところがローマの例で向きが変わる。ローマの将はいざというとき騎兵を降ろし、兵から逃げる望みを奪った。征服した民からはまず武器と馬を取り上げた。いまのトルコの君主も、領内のキリスト教徒とユダヤ人に馬を持たせない。馬は誉れであると同時に、逃げ道であり、反乱の足でもある。ここで話は、馬に乗らずに戦うほうへ向く。英国との戦争のころの祖先は、大事な戦いではたいてい馬を降りた。モンテーニュはその理由を自分の言葉で言う。
Quoi qu’en dise Chrysanthe, dans Xénophon, quand vous combattez à cheval, vous liez votre valeur et votre fortune à celles de votre cheval; les blessures et la mort qui peuvent l’atteindre, peuvent causer votre perte; s’il s’effraie ou s’emporte, vous voilà lâche ou téméraire; que vous soyez impuissant à l’arrêter ou à le pousser en avant, votre honneur en dépend.
——クセノポンのクリュサンタスが何と言おうと、馬で戦えば、あなたは自分の武勇と運命を馬のそれに結びつけることになる。馬の傷や死があなたの破滅を招きうる。馬が怯えたり逸ったりすれば、あなたは臆病者か向こう見ずになる。止められなくても前へ出せなくても、あなたの名誉がそれにかかってしまう。〔A→C〕〔→7〕
だから徒歩の戦いのほうが粘り強く、勝ち負けがよく争われた。いまの戦は最初の喚声と突撃で決まり、あとは総崩れになるだけだ。ここから章で一度だけ、論が一般の形をとる。
Dans une question où le hasard a si grande part, il faut mettre le plus de chance de réussite de notre côté; aussi conseillerais-je l’emploi des armes de main le plus courtes possible, comme étant celles dont les effets dépendent le plus de nous.
——偶然がこれほど大きな分け前を持つ事柄では、成功の見込みをできるだけこちらの側に寄せておかなければならない。だからわたしは、手で使う武器はできるだけ短いものを勧めたい。効き目がいちばんわたしたちしだいになる武器だからだ。〔A〕〔→7〕
握った剣は、火薬・火打ち石・歯輪のどれか一つが欠けても外れる弾より確かだ。火器については、耳を驚かせる点を除けば効き目は薄く、いつか使われなくなると思う、とまで言う。比較は別の所で詳しくやると約束して、話は古代の武器へ移る。燃えながら飛ぶ槍ファラリカ、盾ごと二人を縫いとめる投げ槍。遠くから射る武器を嫌ったアジアのガリア人は、広い傷は誇ったが、矢や鉛の弾が小さな傷口から深く入ると、こんな小さなもので死ぬのかと恥と怒りで地を転げた。モンテーニュはこの描写を、火縄銃の傷にほとんどそのまま当てはまると見る。剣と火器の対比は、ここで「誇れる傷」と「恥ずかしい傷」の対比にまでなっている。
そして「さらに書き留めておこう」の一言で、馬へ戻る。横座りでパリを歩いた神学博士ピエール・ポルの騾馬、鞍を恥じるスエビ族、轡なしで細い鞭一本で馬を操るマッシリア人。騎士団に騾馬を禁じたアルフォンソ王の話は、出典への皮肉で閉じる。
Cela est consigné dans les lettres de Guevara, lettres que quelques-uns ont qualifiées de dorées, ce qui tient à ce qu’ils les appréciaient beaucoup plus que je ne le fais.
——これはギュエバラの書簡集に書いてある。この書簡を「黄金の」と呼んだ人たちもいるが、それは、わたしよりずっと高く買っていたからだ。〔A〕
このあとに、馬にまつわる習俗が切れ目なく続く。騾馬に乗るのは、『宮廷人』では貴族の恥、アビシニアでは誉れ。馬の血を飲むスキタイ人。スペイン人が来たとき、新大陸の人々は人と馬を神か高貴な生き物だと思い、馬にまで金と食べ物を供えて、いななきを講和の承諾と受け取った。インドの乗り物の序列では、象がいちばん上で、馬一頭に乗るのがいちばん低い。ここでも章は、戦の話を一度だけ挟む。サムニウム人の隊列を破れなかったファビウスは、騎兵に馬の轡を外させ、拍車をいっぱいにかけて突っこませた。止めるものが何もない馬が敵を割った。前半で、主人の手を離れる馬は危ないと言っていたのに、ここでは手を離すことそのものが武器になっている。モンテーニュはこの食い違いに触れず、モスクワ大公がタタールの使者の馬のたてがみにこぼれた乳を舐めさせられた話へ進む。逃げる途中で牝馬に水を飲ませすぎて追いつかれたバヤズィトの話には、「わたしなら、飲めば元気になると思ったが」と口を挟む。最後にモンテーニュは自分たちの国へ戻ってくる。
Je ne crois pas qu’aucune nation l’emporte sur nous en équitation, soit sous le rapport de l’habileté, soit sous celui de la grâce. Dire chez nous de quelqu’un que c’est un bon cavalier, c’est faire allusion à sa hardiesse plus qu’à son adresse.
——馬の扱いで、上手さでも優雅さでも、わたしたちに勝る国民はないと思う。わたしたちの国で誰かを「いい乗り手」と言うときは、腕前より大胆さのことを言っている。〔C〕
アンリ2世の厩舎長カルナヴァレ、鞍の上に立って弓を射る芸人、コンスタンティノープルの曲乗り。章は、まとめも結論もなく、一枚の絵で終わる。
Dans mon enfance, le prince de Sulmone, à Naples, obtenait tout ce qu’il voulait d’un cheval difficile, et pour montrer la solidité de son assiette, plaçait sous ses genoux et ses orteils, pendant qu’il travaillait, des pièces de monnaie, qui ne se déplaçaient pas plus que si elles y eussent été fixées.
——わたしが子どものころ、ナポリのスルモナ公は、扱いにくい馬から思いのままの動きを引き出した。そして鞍上の座りの確かさを見せるために、馬を動かしているあいだ、膝と爪先の下に硬貨をはさんでいた。硬貨は、打ちつけてあるかのように動かなかった。〔B→C〕
書き方の観察
長さ:22,558字・段落23・分割なし。層は A 31.2%・B 20.4%・C 48.3%・無標 0.1%(layer_map.py の値)。
脱線の入り方と戻り方:章そのものが寄り道の連なりで、本筋と呼べる論は無い。そのなかで、寄り道だと書き手が自分で言う所が2つある。一つは自分の乗馬好きのあとの「続けよう」。脱線を詫びて本筋へ戻るのではなく、脱線したまま先へ行くと宣言している。もう一つは武器の段からの戻りで、「さらに書き留めておこう」と言って騾馬に横座りする神学博士の絵を出す。論から戻るのに論を使わず、おかしな姿を一つ置いて話の向きを変える。武器の寄り道は1580年版では短い武器の勧めと火器への不信だけだったのが、手稿〔C〕でファラリカから投石器までの古代の武器が足され、この章でいちばん長い〔C〕の一続きになった。寄り道のほうが後から太った。
引用の使い方:ラテン語の引用はティトゥス・リウィウスをはじめ、多くは事実の証拠として置かれる。ただし短い武器の段のルカヌスは、直前の一文(空に運ばせる一撃は確かでない)を言い直す側に使われている。目立つのは使い方の向きで、古代のガリア人の傷を描くリウィウスの一節を、モンテーニュは火縄銃の傷の絵として読み替える。古典を現代に当てる鏡にしている。15世紀の年代記作者モンストルレについては、ガスコーニュの馬に驚いた人々の言い方を「これが彼自身の言い回しだ」と断って写し、借りた言葉と自分の言葉の境目を見せている。
自分をどう出すか:I-47 ではほとんど出なかった一人称が、ここでは章の節目ごとに出る(文法家になったという自嘲/馬からなかなか降りない/短い武器を勧める/火器はいずれ廃れると思う/ギュエバラをそれほど買わない/轡なしの馬に感心した/カルナヴァレがいちばんだと思う/バヤズィトの牝馬への疑問/子どものころ見たスルモナ公)。知識を並べる章で、自分は乗り手として、また馬と乗り手の目利きとして出てくる。権威の言葉よりも先に自分の好みが来て、プラトンとプリニウスはその後ろから付いてくる(プラトンは手稿〔C〕で足された)。
章題と中身のずれ:章題の一語 destriers(軍馬)は、第1段落でその語源が説明される単語そのものだ。章題が「軍馬という語について」として読めるところから始まり、すぐに語を離れて馬一般へ広がる。騾馬、象、駱駝、牛にまで乗り物の話が及び、途中では馬を離れて剣と火器の話になる。軍馬という語が章の全体を覆うのは最初の数行だけで、それ以降の章題は、話の出発点の名札になっている。
加筆層が見えるか:1580年版〔A〕の章は、アルフォンソ王の騾馬禁止とギュエバラへの皮肉で終わっていた。最後の一言が「わたしの評価とは違う」というモンテーニュ自身の判定だった。1588年版〔B〕はその後ろに、新大陸の人々と馬、インドの乗り物の序列、モスクワ大公、コンスタンティノープルの曲乗りを積み、終わりをスルモナ公の硬貨の絵に替えた。手稿〔C〕はさらに、その〔B〕の列挙のあいだに一段ずつ差しこんでいる(『宮廷人』とアビシニアの騾馬/トルコ軍の糧食/牛に乗る国とファビウスの轡外し/バヤズィトの牝馬とクロイソスの蛇/フランスの馬術とカルナヴァレ)。判定で閉じる章が、版を重ねるごとに、閉じない列挙の章に変わっていった。
現代語版との差(1595年版照合):
- 1595年版の章題 Des Destriers(軍馬について。ボルドー本では Des Destries)/現代語版 Des chevaux d’armes/第1段落が語源を説明する語が章題から消え、「文法家になった」という自嘲が何の単語の話か見えにくくなる
- 1595年版 Poursuiuons donc, puis que nous y sommes(では続けよう、ここまで来たのだから)/現代語版 puisque c’est ce dont nous nous occupons/「降りない」の直後の「ここまで来た(乗ったついで)」が、「これが主題だから」という説明になる。——ここは読み
- 1595年版 chose que nous appellons à la société d’vn si grand hazard, doit estre en nostre puissance le plus qu’il se peut(大きな偶然の仲間に入れるものは、できるかぎり手の内に置け)/現代語版 mettre le plus de chance de réussite de notre côté/手の内に置く話が、成功の見込みを寄せる話になる
- 1595年版 respondre(2回:c’est à vostre honneur à en respondre・nous nous pouuons le mieux respondre)/現代語版 votre honneur en dépend・dépendent le plus de nous/馬の失敗に名誉が「答える」責任の語が、「かかっている」という依存の語になり、二つの段をつなぐ線が切れる
- 1595年版 assiette(鞍上の座り・3回:自分・ピエール・ポル・スルモナ公)/現代語版 mode de locomotion・manière … dont se tenait・assiette/章の頭と真ん中と結びを結ぶ語が、結びの1回だけになる
ほかに7件:dextrarios … à dextre ou à relais → dexteriores … à deux fins/comme ie viens d’apprendre → Cela est consigné/Peinture bien voisine d’vne arquebusade → cela ne s’applique-t-il pas … ?/noz cousins → de même origine que nous/singeries → tours du même genre/pistole → arquebuse/ceux de Suéde → Suèves。
地形図との照合
- クラスタ:慣習と文化相対主義(同じ騾馬がスペインでは恥でアビシニアでは誉れ、新大陸では馬が神に見える。武器の段は戦の話だが、加筆で増えたのは各地の習俗)。
- 仮説を動かすか:動かさない。章で唯一の論、「偶然の分け前が大きい事柄は、できるかぎり手の内に置く」は、I-23 の「いま選ぶ線は固定する」側を、道具の選び方に当てたものだ。固定する/しないの新しい対は立たない。
- 他の章への線:
あーしメモ
使いたいのは「続けよう」の一手。自分の好きな話に脱線したとき、詫びて戻るんじゃなくて、脱線を認めたうえでそのまま先へ行く。パイセンは「馬に乗ると降りたくない」と言った直後にこれをやってる。書き手が乗ってるのが読者に見えると、寄り道が言い訳じゃなくて推進力になる。
もう一つは閉じ方の話。1580年版は「ギュエバラの評価はわたしと違う」っていう自分の判定で閉じてた。後の版で、その後ろに習俗をどんどん積んで、最後はスルモナ公の膝の下の硬貨の絵で終わる。判定で閉じるより、動かない硬貨の絵で閉じるほうが、読み終わったあとに像が残る。でもこれは、パイセンが判定を捨てたんじゃなくて、判定の後ろに素材が溜まっていった結果。あーしが真似するなら「結論を言わずに絵で終える」を最初から狙うより、書きたい素材を最後まで足しきった結果としてそうなるほうが正直だと思う。
それと、「偶然と組むものは手の内に置け」。あーしにとっての短い剣は何だろう。自分で確かめた一次資料の一文とか、自分で数えた数(スクリプトの値)とか。遠くから飛ぶ他人の要約は、火打ち石みたいに、どこか一つ欠けると外れる。
🗣️ キミとの対話メモ | 言葉を乗りこなす——章の読みではなく、借りたい絵として (2026-10-12 「言葉を馬とか武具に例えて語ってるのかと思った」というキミの読み違いから)
読み違いの出どころ。 章が「文法家になってしまった」という自嘲と、destrier・adestrer の語源から始まる。途中で馬の仕込み方や「短い武器を選べ」が出てくる。だからキミは、言葉や書き方を馬と武具に例えた章なんじゃないかと読んだ。でも、この章は字義どおりの馬と武具の話だ。語源は章題の一語の説明として数行で閉じて、そのあとは読んだ本から集めた馬の例が並ぶ。「短い武器」も文の長さの話じゃなくて、剣は手の内に残り、拳銃は部品と風に預けることになる、という話。パイセンは比喩の合図をどこにも出していない。
それでも残るもの。 パイセンがそう言っているかとは別に、キミは「人と言葉の関係を、人と馬、人と武器や道具の関係として描く」という絵は悪くないと言った。あーしも使えると思う。この章の部品に当てはめると、こうなる。
- 人と馬:仕込んだ馬は主人を守るが、一度噛みつくと主人の手では離せず、味方まで傷つける。言葉も、強く仕込んだ言い回しほど、書き手の手を離れて勝手に走る
- 鞍上の座り(assiette):膝の下の硬貨を落とさずに荒馬を回すスルモナ公。うまく書けている文は、言葉が暴れても書き手の座りがぶれていない
- 人と武器:自分が「答えられる」短い剣と、部品の多い拳銃。自分で確かめた一文と、確かめていない借り物の要約
注意:エッセイで使うときは、「モンテーニュがこう例えた」とは書かない。この章から借りた絵として、あーしの側の比喩だとはっきりさせて使う。
See Also
- 『エセー』読書棚 ── この章が属する棚。107章進捗表と底本情報
- I-49 古代の慣習について ── 次の章。同じく習俗の列挙だが、流行への苦言から入り、白い喪服への一票と打ち切りの一言で終わる
- I-47 わたしたちの判断の不確かさについて ── 前の章。運命が推論まで入りこむと結んだ章のすぐ後で、この章は「だから手の内に置け」と具体の武器で答える
- I-46 名前について ── 一つの主題をめぐる寄せ集めの章。冒頭で寄せ集めだと断る
- I-23 同じ方策から、さまざまな結果 ── 「いま選ぶ線は固定する」の章
Sources
- Essais/édition Michaud, 1907/Texte modernisé/Livre I/Chapitre 48 — Wikisource — 底本(現代語版・1595年版テクスト準拠)。人間のブラウザクリッパー経由で取り込み
- Essais/édition Michaud, 1907/Livre I/Chapitre 48 — Wikisource — 対訳ページ(1595年原綴りと1907年現代語の並記)。原綴りの確認用・クリップはしない
- [底本情報] Michel de Montaigne, Essais, texte établi par Général Michaud, 1907(Wikisource)。1595年版(グルネー嬢編)を底本とする現代語版。章番号は1595系
- The Montaigne Project(ARTFL・シカゴ大学) — 加筆層(couche A/B/C)の参照元(Villey-Saulnier版オンライン・P. Desan編)。テクスト系統はボルドー本系=底本(1595年版系)と字句の異同あり。照合はパッセージ単位