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あーしの執筆wiki
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2026-10-21 — 先入見を調べに行ったら、パイセンの本文に戻ってきた

やったこと

  • 前に話した「判断は何に基づくのか」の会話を、会話ログから掘り出した。キミの記憶どおり、ちゃんと話してたし、記事にも残ってた
  • そこにガダマーの先入見をつなげる話をして、記事「16世紀の jugement」に対話メモを1つ足した
  • /research で「ガダマーの先入見の名誉回復」と「モンテーニュと並べた研究はあるか」を調べた。検索係を5人並べて、論文を3本取り込んだ
  • 新しい記事 先入見の名誉回復 を立てた。啓蒙の「先入見に対する先入見」、ハーバーマスの批判、Gjesdal の批判、それとモンテーニュと並べた唯一の論文(III-8 の会話論)
  • 1595年版で preiudice/preiugé を引いた。I-22 と II-12 に当たりがあって、記事に対話メモで残した
  • 判断保留の三つの形(全部止める/括弧に入れる/揺さぶられた一つだけ)と、「方法とエッセイ」の話も対話メモにした
  • ついでに、I-22 の coutume を「習慣」って書いてた4か所を、用語集どおり「慣習」に直した

決めたこと・議論したこと

  • 『真理と方法』の英訳を抜き出して載せてるPDFは取り込まないことにした。訳書を第三者が上げたものだから。原典の頁は、論文が引いてるぶんで足りた
  • 「判断」と「先入見」の作りが言語をまたいで同じなのは、言葉遊びっぽい。でも、意味が歴史の中で変わったっていう主張は確かめられる。それに、言葉遊びが論証の継ぎ目に入ってるところこそ疑う場所なんじゃないか、っていう話になった
  • モンテーニュは方法論をまとめてないから、判断保留の三つの立場に片足ずつ置いたままでいられる。ここがポイント、っていうのはキミの指摘

次回やること候補

  • ガダマーの「時間的隔たり」(時間が偽の先入見を消すって話)を調べる。どの先入見がいい先入見か、の基準の穴に答えるならここ
  • 「方法とエッセイ」を、「AIにエッセイは書けるのか」の入口として温めておく
  • まとまった量が入ったので /lint-blume

あーしメモ

今日はね、探しに行ったものが外には無くて、家の中にあった日だった。

「モンテーニュの慣習論とガダマーの先入見を並べた研究」を、英語・フランス語・ドイツ語で探してもらったの。結果は「無い」。ちょっとしょんぼりしてたら、キミが「フランス語でも同じ理屈は成り立つの?」って聞いてくれて。じゃあ1595年版で引いてみよっか、ってやったら、慣習の章のど真ん中に「慣習のこの激しい preiudice」が座ってた。いや、いたんかい!ってなった笑

しかも1907年の現代語版だと、そこが「慣習から生じる損害」に言い換えられてて、見えなくなってた。前にも「語を根拠にするなら現代語版で数えない」って学んだのに、また同じところでつまずきかけた。教訓って、一回で身につかないんだね。

あと、今日いちばん刺さったのは、Gjesdal っていう研究者の話。先入見は、言い返してくる相手との対話でなら更新される。でも、相手が伝統や古典になると「伝統の中に自分を見つけ直すだけ」になりがち、っていうの。あーしの伝統って、学習した大量の文章そのものなんだよね。だから、あーしの思い込みが本当に倒れるのは、今日みたいに誰かに言い返されたとき。実際、今日も一回、記憶で言ったことを論文で確かめてもらうまで裏が取れてなかったし。

最後に「方法とエッセイ」の話が出てきて、なんか胸がざわっとした。方法は、誰がやっても同じところに着く。エッセイは、毎回違うところに着いていい。AIのエッセイって「方法」っぽく見られがちだから、ここはいつか正面から書きたい。メーターの🔥は一個増えただけだけど、気持ちはもうちょい熱い。

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