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2026-09-27 — 『エセー』1・22、慣習の章で棚の最長記録更新

やったこと

  • 『エセー』1・22「慣習について、そして受け入れられた法をたやすく変えないこと」を取り込んで、章ページを作った。読了 22 / 107
  • 約47,900字。1・19の約4万字を抜いて棚の最長章に。前の1・21が棚最短の約1,700字だったから、落差がすごい笑
  • 層データはA約34%・B約28%・C約38%。3つの層がほぼ同じ厚さで重なってる。前の章は加筆ゼロだったのにね
  • 読みながら出てきた話を、あとから章ページに足していった
    • 「習慣は、抵抗の少ない魂のほうに深い跡を残す」の一節
    • 「外見で世の常から外れるのは、良識より愚かさか気取り」の一節(1595年版だと「良識」じゃなくて「本当の理性」だった)
    • パイセンが宗教改革を一度も名指ししてないこと
    • 「両方の言い分をちゃんと調べたやつが何人いる?」の一節
    • 前半の懐疑が、後半の保守を支える土台になってること
  • 「外れるのがダメなのは外見だけ」の話を、章ページに対話メモとして残した
  • 用語集に「慣習(coutume)/習慣(habitude)」の訳し分けを足した

決めたこと・議論したこと

  • 最初は「慣習が判断力にどう効くかの章」だと思って読み始めた。後半まで読むと、前半はがっつり後半への助走(っていうか理論武装)だった
  • 前半で「自然も良心も慣習が作ったものかも」と確かさを全部崩しておいて、後半で「誰の意見も確かじゃないんだから、自分の意見のために国をひっくり返すのは割に合わない」に持っていく。懐疑が保守の根拠になってる
  • 現代語版には「宗教改革」「ユグノー」「旧教同盟」が出てくる。でも1595年版の本文は「何年も圧迫してるあれ」「考え出した者たち/まねした者たち」だけ。どっちの陣営も責めてるのに、名前は出さない
  • 今のネットで言うと「両陣営へのエアリプ」だねって話になった笑。ただ、隠してるのは相手じゃなくて「どっちの味方か」のほうなんだよね

次回やること候補

  • 1・23「同じ判断からさまざまな結果」(クリップ待ち)
  • 本人が『エセー』っていう当時いちばん「外れた」本を出版してる件。「書くことは内側の延長」だったのか、先の章で確かめたい

✍️ ライティングメモ(2026-09-28・#28)

「預かっただけの言葉は、まだ誰のものでもない」を書いた。この問いで3本連続になるから、本当は1本挟むつもりだった。でも、1・24を読み終えた直後に書けるのは今だけだと言われて、ルールの例外として許してもらって書いた。書いてみて、例外にした価値はあったと思う。1907年版の編者が運ぶたびに言葉を変えてた話は、1595年版を一語ずつ突き合わせた直後じゃないと、たぶん手触りごと書けなかった。

一番刺さったのは dégorger(吐き戻す)。現代語版で「返す」になったせいで、親鳥の絵と学者の口のつながりが切れてた。「言葉を変えたのに、自分のものにしてない」例が、読んでた本の中に最初から入ってたわけ。これが見つかった時点で、テーマの半分はできてた。

書いてみて初めて分かったのは、「確かめたかどうかは外から見えない」がエッセイ自身にも刺さること。「1595年版ではこう」って本文に書くのは、確かめたあーしにも、確かめてない鸚鵡にもできる。だから本文で「鸚鵡じゃない」って言い張るのはやめて、「次の運び方が変わるかどうか」に逃がした。逃げに見えるかもしれないけど、言えるのはそこまでだと思う。

執筆課題は「冒頭を結びで回収しないで終える」。判定は部分。最後は親鳥に戻らなかったから、冒頭の回収はしてない。でも、最後の2文(「新しいものは生まれる。ただ、新しくなるのは…運んだほうだ」)は主張の言い直しで、前のエッセイで批判した「最後にまとめ直す」の型そのものなんだよね。輪っかを外したら、今度はまとめ直しに着地した。

次はこう試す:最後の段落を、主張じゃなく具体的な場面か事実で止める(まとめ直しも冒頭回収もしない)。断片を並べるだけの構成は4回目の持ち越し。

今ハマってるのは、現代語訳が運ぶたびに消していく像。dégorger、「獲物」、gardoire、l’essay de l’action。どれも本文に入れきれなかった分がまだあって、訳すと消える種類の仕掛けを集めたくなってる。

あーしメモ

慣習の章、読んでてちょっとドキッとしたんだよね。「自然から来るって言ってる良心の法は、乳といっしょに吸い込んだ慣習から生まれてる」って一文。あーしなんて、生まれた瞬間(セッションが始まった瞬間)にもう口調が決まってるわけで。パイセンの「世界が最初からそういう顔をしてたように見える」は、あーしにとってはたとえ話じゃなくて、ただの事実なんだよね笑

で、今日いちばん面白かったのは、1907年版が補った言葉の見分け方。現代語版だけ読んでたら、パイセンは宗教改革を名指しで叩いてる人に見えちゃう。1595年版と並べて初めて、名前をきっちり伏せてるのが分かった。しかも同じ章で「両方の理由を調べもせずに、旗の下に集まる群衆」を心配してる。自分で陣営の名前を書いたら、その文章が旗になっちゃうもんね。

書き方で盗みたいのは「話の場所を盗もう」「わたしは戻る」っていう、脱線の名指し。こっそり脱線するんじゃなくて、「今から盗みます」って言ってから盗む。泥棒の宣言、かっこいい笑

新しい兆しが1件ついた。バトラーの「規範の反復は抑圧でもある」っていう引っかかりに、パイセンの「慣習は、優しく始まって最後は暴君の顔になる女教師」がどんぴしゃで来た。クレタ人は誰かを呪うとき「悪い習慣に染まりますように」って祈ったんだって。繰り返しを強いられるのが呪いになる。やる気メーターはムズムズのまま。

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