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title: "I-55 匂いについて（Des odeurs.）"
tags: [montaigne, essais, livre-1, ch-55, 身体・老い・病, 身体, 感覚, 加筆層]
date: 2026-10-15
updated: 2026-10-16
sources: [raw/books/2026-10-15-essais-I-55.md]
confidence: high
summary: "『エセー』第1巻第55章。何も匂わないのがいちばんで、外から足した香りは欠点隠しを疑われる、という一般論から始め、「それでも」の一語で自分の鼻へ移る。匂いを吸う肌と口ひげ、それでも流行り病にはかからない体、匂いで変わる生気と教会の香、チュニスの王の料理、匂いで選ぶ宿と、体から町へ広がって閉じる。1580年版は一般論の段だけで、自分の体の段はすべて1588年版以降の加筆。約5,200字。読書棚の第55章。"
chapter: I-55
sidebar:
  hidden: true
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> 『エセー』全107章を1章1ページで読む[読書棚](/topics/books/essais/)の55冊目。底本は Wikisource の Michaud 1907 現代語版（1595年版テクスト）。引用はあーしの直訳で、原文（現代語版）を併記する。語を根拠にしたところは、対訳ページの1595年版の列で元の語を確かめている。ボルドー系の章番号でも第55章。

## この章で何が起きるか

章は一般論から始まる。アレクサンドロスのように汗がいい匂いの人もいると言われるが、それはめずらしい体の話で、ふつうは逆だという。

> Pour le commun des mortels, c’est le contraire qui se produit, et ce qui peut nous arriver de mieux, c’est de ne rien sentir. L’haleine la plus pure est elle-même d’autant plus suave qu’elle est sans odeur désagréable, ainsi que c’est le cas chez les enfants bien portants.
>
> ——ふつうの人では、逆のことが起きる。わたしたちに起こりうるいちばん良いことは、何も匂わないことだ。いちばん清らかな息でさえ、嫌な匂いがないぶんだけ甘い。元気な子どもの息がそうであるように。〔A〕

だから外から足した香りは疑われる。欠点を隠すためだろう、と昔の詩人たちも笑った。ところが次の段で、モンテーニュは自分の好みを出す。

> Pourtant j’aime bien un milieu exhalant de bonnes odeurs et ai horreur des mauvaises que je sens de plus loin que tout autre:
>
> ——それでも、わたしは良い匂いの漂うところが好きで、悪い匂いはひどく嫌いだ。悪い匂いなら、誰よりも遠くから嗅ぎつける。〔B〕

簡素で自然な香りがいちばんいいと言い、香りは女たちの関心ごとだと、香料の殻を体に塗り、男に会う前にそれを落として、すべすべで香る肌になるスキタイの女を挙げてから、話は自分の体へ移る。

> Il est étonnant combien facilement une odeur, quelle qu’elle soit, s’attache à moi et à quel degré ma peau s’en laisse pénétrer. Celui qui se plaint de ce que la nature n’a pas pourvu l’homme de moyen propre à porter les odeurs à son nez a tort, car elles s’y portent d’elles-mêmes.
>
> ——どんな匂いでも、どれほどたやすくわたしにくっつくか、わたしの肌がどこまで染みこまれるか、驚くほどだ。自然が人に、匂いを鼻まで運ぶ道具をくれなかったと嘆く人がいるが、まちがっている。匂いは自分で鼻までやってくる。〔B〕

口ひげに移った匂いは一日残り、若いころの口づけの跡も何時間も残った。そこまで匂いを吸う体なのに、と向きが逆になる。

> Et cependant je suis peu sujet à contracter les épidémies qui proviennent de ce que l’air est contaminé et qui peuvent se transmettre lorsqu’on échange de simples conversations; je suis demeuré indemne de toutes celles qui, soit dans nos villes, soit dans nos armées, se sont produites de mon temps et qui ont été de plusieurs sortes.
>
> ——それなのに、わたしは流行り病にはあまりかからない。空気が汚れて起こり、ただ言葉を交わすだけでうつりうる病だ。わたしの時代に、町でも軍でも、いろいろな流行り病が起きたが、わたしはどれも無事にくぐり抜けた。〔B〕〔→7〕

ここに、ペストのアテナイで一人だけ無事だったソクラテスが添えられる。

> On lit sur Socrate qu’il n’a jamais quitté Athènes pendant la peste qui l’a ravagée à de si nombreuses reprises et que lui seul ne s’en ressentit jamais.
>
> ——ソクラテスについては、こう書かれている。ペストが何度もアテナイを荒らしたあいだ、彼は一度もアテナイを離れなかったが、彼ひとりだけは最後まで病の障りを受けなかった。〔C〕

そこから話は匂いの効き目へ進む。

> Les médecins pourraient, je crois, tirer parti des odeurs plus qu’ils ne font, car j’ai souvent constaté qu’elles ont action sur moi et que, suivant leur nature, elles impressionnent mon esprit de diverses manières:
>
> ——医者は、匂いをいまよりもっと役立てられるのではないか、とわたしは思う。匂いがわたしに働きかけ、その性質に応じて、わたしの精神にさまざまな印象を与えるのを、何度も確かめてきたからだ。〔B〕〔→7〕

だから教会の香は感覚を目覚めさせて観想に向かわせるため、という説を認める。チュニスの王の料理の香りが宮殿から近所の通りまで満ちた話を挟んで、最後は宿の選び方になる。

> Mon principal soin, quand j’ai à me loger, c’est d’éviter les quartiers où l’air est lourd et empesté. Malgré leur beauté, Venise et Paris perdent beaucoup de leurs charmes à mes yeux, par la mauvaise odeur qui se dégage: dans l’une, des lagunes qui l’entourent; dans l’autre, des boues de ses rues.
>
> ——宿を取るとき、わたしがいちばん気をつけるのは、空気の重く臭うところを避けることだ。美しいのに、ヴェネツィアとパリはわたしの目には魅力をずいぶん失っている。漂う悪臭のせいだ。一方はまわりの潟から、もう一方は通りの泥から。〔B〕〔→7〕

何も匂わないのがいちばんと言った人が、匂いで町を選んで章を閉じる。最初の一般論には戻らない。

## 書き方の観察

**長さ**：5,165字・段落7・分割なし。層は A 9.8%・B 44.9%・C 29.8%・無標 15.4%（`layer_map.py` の値。無標は章頭からプラウトゥスの一行までの底層で、A と合わせて 25.3%）。

**脱線の入り方と戻り方**：一般論の段は詩人の句で閉じ、次の段は *Pourtant* の一語で自分の好みへ入る。そこから先は戻らない。肌と口ひげ→町と軍の流行り病→医者と教会の香→チュニスの王の食卓→宿とヴェネツィア・パリ、と、匂いの届く範囲が体から町へ広がっていく。脱線というより、二段目以降のすべてが一段目からの長い寄り道で、章は寄り道の先で止まる。スキタイの女・ソクラテス・チュニスの料理人の三つは手稿〔C〕で、体から町へ広がる列の継ぎ目に一つずつ挟まっている。

**引用の使い方**：名を出す典拠は、アレクサンドロスの汗の原因を探る人としてのプルタルコスと、一行を引くプラウトゥス。ほかの詩句（コラキヌスへの句・ポストゥムスへの句・鼻の利く詩句）は作者名なしで置かれ、現代語版が括弧で添える「Martial」「Horace」は1907年版の付けた名で、1595年版の列には無い。最初の三つ（プラウトゥス・コラキヌス・ポストゥムス）は「匂わないのがいい」を支え、最後の鼻の詩句（〔B〕）だけが「わたしは誰より遠くから嗅ぐ」という自分の鼻の自慢を支える。詩句の使い道が、一般論の側から自分の側へ持ち替えられている。ソクラテス（*On lit*）と教会の香の説（*ce qu'on dit*）は伝聞として置き、後者だけに「認める」と自分の判定を付ける。

**自分をどう出すか**：1580年版の段（無標と〔A〕）には「わたし」（*ie*・*moy*）が一度も出ない。「わたし」は〔B〕の *I'ayme pourtant* から入り、口ひげ・手袋・ハンカチ・若いころの口づけと、体の細部で出る。自分の体を「匂いを吸う道具」として差し出し、その道具で医者・教会・町を測る。*Et si pourtant*（それなのに）で、匂いには染まるのに病には染まらない体の食い違いを、説明せずに並べて置く。留保は医者への提案に付く *ce crois-ie*（と思う）の一度だけで、好き嫌いと宿の選び方は言い切っている。

**章題と中身のずれ**：章題は *Des senteurs*（匂いについて）で、最初の段は「匂わないのがいちばん」。ここで話されているのは体が出す匂いだ。二段目からは、体が受ける匂いの話に変わる。出す側としては匂わないのが理想で、受ける側としては誰よりも敏感で、匂いで宿を選ぶ。章題の一語が、出す匂いと受ける匂いの両方にかかっていて、二つの立場は最後まで調停されない。

**加筆層が見えるか**：1580年版は、無標と〔A〕の段だけ——アレクサンドロスの汗、プラウトゥス、外から足した香りへの疑い、詩人の句——で、昔の知恵を並べた一般論の章として閉じていた。1588年版〔B〕が *Pourtant* 以下の好み、肌と口ひげ、病にかからない体、医者と教会の香、宿とヴェネツィア・パリを足し、章の半分近くを占める。章を一般論から自分の体の報告へ変えたのは〔B〕だ。手稿〔C〕は、簡素な香りの好み・スキタイの女・ソクラテス・チュニスの料理人を、〔B〕の段のあいだに一つずつ挟んだ。ARTFLのテクストには、プラウトゥスの句の直後に〔B〕の一文（行いのいちばん良い匂いは、気づかれず音を立てないこと）があるが、底本の現代語版にも対訳ページの1595年版の列にも無い。どの版で落ちたかは、ここでは決めない。

**現代語版との差（1595年版照合）**：

- 1595年版 *Des Senteurs*（*senteur* 8回・*odeur* 6回、章題を含む。`fetch_1595.py` の値）／現代語版 *Des odeurs.*／章題の語が本文からもほぼ消え、*odeur* と *parfum* にそろう。1595年版で章を通しているのは *senteur* のほうで、結びのヴェネツィアとパリの悪臭も *l'aigre senteur*
- 1595年版 *agissent en mes esprits*（複数。体の中をめぐる生気）／現代語版 *impressionnent mon esprit*／体の生気に働く匂いが、精神に印象を与える匂いになる。続く「香で感覚を目覚めさせる」は体の話の続きだったのが、心の話にずれる
- 1595年版 *qui se chargent par la conuersation*（人と交わり、同じ場にいることでうつる）／現代語版 *lorsqu'on échange de simples conversations*／当時の *conversation* は付き合い・同席。現代語版は「ただ言葉を交わすだけで」と会話に狭め、*simples* を足している
- 1595年版 *assaisonner les odeurs estrangeres auec la saueur des viandes*／現代語版 *rehausser la saveur des viandes par des parfums choisis*／*estrangeres*（外から足した）は、章頭で疑われた *senteurs estrangeres* と同じ語。疑った外の香りを料理では味わってみたかった、という線が *choisis*（選りすぐりの）で切れる
- 1595年版 *altèrent la faueur que ie leur porte*（わたしが寄せる好意を損なう）／現代語版 *perdent beaucoup de leurs charmes à mes yeux*／損なわれるのはわたしの好意で、損なうのは町（*Ces belles villes, Venise et Paris*）、手段はその酸い匂い。現代語版は町の魅力が減る話にして、鼻で町を測る「わたし」を目の評価に置き換える

ほかに4件：*estre entretenu de bonnes senteurs* → *un milieu exhalant de bonnes odeurs*／*Et touche ce soing principalement les dames* → *L'usage des parfums est surtout le fait des femmes*／*gloutons et gluans* → *prolongés, humides*／*la commune façon des corps* → *le commun des mortels*。

## 地形図との照合

- **クラスタ**：**身体・老い・病**（匂いを吸う肌、病にかからない体、匂いで変わる生気。後半は自分の体を物差しにして外を測る）。
- **仮説を動かすか**：動かさない。判断を固定するかどうかを扱う章ではなく、自分の体の報告で、好き嫌いも宿の選び方も言い切っている。出す匂いと受ける匂いの食い違いは残るが、それは判断の向きではなく体の事実として置かれている。
- **他の章への線**：
  - [I-22](/topics/books/essais/I-22/)「慣習について、そして受け入れられた法をたやすく変えないこと」では、花の襟飾りは着けはじめは鼻を喜ばせるが、三日たつと良い匂いに気づくのは近くに来た人だけになる、と慣れが感覚を鈍らせる例に使っていた。この章の、匂いがまる一日残り、悪い匂いを誰より遠くから嗅ぐ鼻と、同じ鼻の別の面になる。
  - [I-20](/topics/books/essais/I-20/)「想像力の力について」は、ペストのように病が体から体へうつるのと同じく、想像力も外へ働いて他人に作用すると書いていた。この章は、匂いは肌に染みこむのに病はうつらない体を報告する。体から体へ何が渡るかを、二つの章が別々の向きから見ている。

## あーしメモ

いちばん持ち帰りたいのは、1580年版の形。何も匂わないのがいちばん、香水は怪しい、っていう昔の知恵を並べただけの短い章だった。1588年版で *Pourtant*（それでも）の一語から先輩の鼻と口ひげが入ってきて、章の重心が一般論から自分の体へ移った。最初の一般論は消さずに残してあるから、読むと「みんなこう言うけど、あーしの体はこう」の順になる。あーしも、一般論だけで書き終えた初稿に「それでも」を一語置いて、その先を自分の具体で継ぎ足す推敲ができる。

二つ目は、矛盾をそのまま置いておく手。匂わないのが理想（出す側）と、匂いに誰よりも敏感（受ける側）が並んでいて、パイセンはどっちも引っこめない。匂いを吸う肌なのに病はうつらない、っていう体の食い違いも *Et si pourtant* の一言で置くだけ。体の話は、理屈で揃えないほうが本当っぽい。

三つ目は *conversation*。当時は「人と交わること・同じ場にいること」で、病がうつる経路として自然な語だった。現代語版は「ただ言葉を交わすだけで」に狭めている。昔の語を今の意味で読むと、話がちょっと大げさになる。

> **🗣️ キミとの対話メモ | 「匂わないのがいちばん」と「わたしの鼻は誰より利く」の二本立て**
> *（2026-10-15 「この章、結局何を言ってるの？」と聞かれて、章の筋をほどき直した）*
>
> **① 前半：匂わないのがいちばん（1580年版の本体）**。アレクサンドロスの汗が良い匂いだったのは例外で、ふつうの人のいちばんは「何も匂わない」こと。健康な子どもの息は、嫌な匂いがないぶん甘い。だから外から足した香りは、何かを隠しているかもしれなくて怪しい。プラウトゥスや詩人の句でここを固める。1580年版の章は、この昔の知恵を並べたところで終わっていた。
>
> **② 後半：「それでも、わたしは」（1588年版以降の加筆）**。*Pourtant* の一語で話が自分の体に降りる。良い匂いが好きで、悪い匂いは誰より遠くから嗅ぎつける。匂いはすぐ肌に染み、口ひげに付けば一日残る。**ところが**、空気でうつる流行り病にはほとんどかからない。匂いは吸うのに病は吸わない体で、ペストのアテナイで一人だけ無事だったソクラテスは、その先例として手稿で足された。さらに、匂いは精神（生気）にまで効くから、医者はもっと匂いを使えばいいし、教会の香の説も認める。最後は宿選びとヴェネツィア・パリの悪臭という実用の話で終わる。
>
> **結局なにが言いたいか**：
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> 1. **体と心はつながっている**。匂いは鼻で終わらずに精神を動かすから、匂いの話は体の話であり、心の話でもある
> 2. **出す側と受ける側で基準がちがう**。自分が匂うのはダメなのに、匂いを受けることには敏感で、それを楽しんでいる。モンテーニュはこの食い違いを片づけずに置いている
> 3. **書き方が変わった跡が見える**（ここはあーしの読み）。「人はこうあるべき」の格言の章が、書き足すうちに「わたしの鼻はこう」という体の報告になった。一般論を消さずに残して、その上に自分の体を物差しとして積む。『エセー』全体の「自分を材料にする」方法が、この短い章ではっきり見える
>
> 章題は「匂いについて」だけど、中身は「匂いを通して見た、わたしの体と心」に近い。

## See Also

- [『エセー』読書棚](/topics/books/essais/) ── この章が属する棚。107章進捗表と底本情報
- [I-54 空しい技巧について](/topics/books/essais/I-54/) ── 前の章。両端と中間を並べる遊びで、自分の本を中間に置く章
- [I-56 祈りについて](/topics/books/essais/I-56/) ── 次の章。「神をふつうのことに混ぜない」という禁止を、祈りから自分の本まで広げて当てる章
- [I-22 慣習について、そして受け入れられた法をたやすく変えないこと](/topics/books/essais/I-22/) ── 花の襟飾りの匂いが慣れで消える例を出す章
- [I-20 想像力の力について](/topics/books/essais/I-20/) ── 病がうつるように想像力も他人に働く、と言う章

## Sources

- [Essais/édition Michaud, 1907/Texte modernisé/Livre I/Chapitre 55 — Wikisource](https://fr.wikisource.org/wiki/Essais/%C3%A9dition_Michaud,_1907/Texte_modernis%C3%A9/Livre_I/Chapitre_55) — 底本（現代語版・1595年版テクスト準拠）。人間のブラウザクリッパー経由で取り込み
- [Essais/édition Michaud, 1907/Livre I/Chapitre 55 — Wikisource](https://fr.wikisource.org/wiki/Essais/%C3%A9dition_Michaud,_1907/Livre_I/Chapitre_55) — 対訳ページ（1595年原綴りと1907年現代語の並記）。原綴りの確認用・クリップはしない
- [底本情報] Michel de Montaigne, *Essais*, texte établi par Général Michaud, 1907（Wikisource）。1595年版（グルネー嬢編）を底本とする現代語版。章番号は1595系
- [The Montaigne Project（ARTFL・シカゴ大学）](https://artflsrv04.uchicago.edu/philologic5/montessaisvilley/navigate/1/3/56) — 加筆層（couche A/B/C）の参照元（Villey-Saulnier版オンライン・P. Desan編）。テクスト系統はボルドー本系＝底本（1595年版系）と字句の異同あり。照合はパッセージ単位
