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title: "I-49 古代の慣習について（Des coutumes des anciens.）"
tags: [montaigne, essais, livre-1, ch-49, 慣習と文化相対主義, 流行, 古代ローマ, 習俗]
date: 2026-10-12
updated: 2026-10-16
sources: [raw/books/2026-10-12-essais-I-49.md]
confidence: high
summary: "『エセー』第1巻第49章。自分の国の習わしを手本にするのは許せるが、月ごとに変わる服の流行に判断まで引きずられるのは困る、と同時代のフランス人を責めてから、判断を確かにするために古代の習わしを積み上げると言って、入浴・食卓・挨拶・用便などを並べ、途中で一度だけ「悪徳でも美徳でも古代人には届かない」と論じ、白い喪服は手放したくないという一票と「この題目には本がまるごとある」で切り上げる。1580年版でほぼできあがっていた章（A層89%）。約11,100字。読書棚の第49章。"
chapter: I-49
sidebar:
  hidden: true
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> 『エセー』全107章を1章1ページで読む[読書棚](/topics/books/essais/)の49冊目。底本は Wikisource の Michaud 1907 現代語版（1595年版テクスト）。引用はあーしの直訳で、原文（現代語版）を併記する。語を根拠にしたところは、対訳ページの1595年版の列で元の語を確かめている。ボルドー系の章番号でも第49章。

## この章で何が起きるか

章題は古代の慣習だが、章は古代からではなく、いまのフランス人から始まる。それも、まず許すところから。

> J’excuserais volontiers, chez mes compatriotes, de n’admettre comme modèle et de ne considérer comme étant la perfection, que leurs propres mœurs et usages, car c’est un défaut général, non seulement chez le vulgaire, mais chez presque tous les hommes, de ne voir et de ne suivre que ce qu’ils ont pratiqué depuis qu’ils sont nés.
>
> ——同国人が、自分たちの習俗と習わしだけを手本とし、完全なものと見なすのは、喜んで許したい。俗衆だけでなく、ほとんどすべての人間に共通する欠点で、生まれてこのかた慣れてきたものしか見ず、それにしか従わないのだから。〔A〕

ファブリキウスやラエリウスの身なりを野蛮だと思うのも、服が違うのだから構わない。許したうえで、モンテーニュは責める先を一点に絞る。

> mais je regrette en eux cette singulière inconséquence qui fait qu’ils s’en laissent si aveuglément imposer par les modes de l’époque actuelle, qui exercent sur eux un tel ascendant, qu’ils sont capables de changer d’opinion et d’avis sur ce point aussi souvent qu’elles changent elles-mêmes, voire même tous les mois, se forgeant chaque fois des raisons pour justifier à leurs propres yeux les jugements les plus divers qu’ils en émettent.
>
> ——でも残念なのは、彼らのあの奇妙なちぐはぐさだ。いまの流行にあまりに盲目的に従わされ、流行に支配されきって、流行が変わるたびに、それこそ毎月でも、この点について考えも意見も変えてしまう。そのつど、自分の目にもばらばらな判断を正当化する理屈をこしらえながら。〔A〕〔→7〕

責めているのは、自分の国の形にこだわることではなく、こだわる形が毎月変わるのに、そのたびに理屈がついてくることだ。胴着の胸当てを胸の高さに付けていたころは誰もがそれを正しいと言い、数年後に腰まで下がると前のやり方を笑う。変わり方が速すぎて、世界じゅうの仕立て屋の工夫も追いつかない。

> forcément il arrive que bien souvent des modes abandonnées réapparaissent au bout de peu de temps, tandis que d’autres, encore récentes, cessent d’être en faveur; et notre jugement en arrive à exprimer sur une même chose, dans l’espace de quinze ou vingt ans, deux ou trois opinions non seulement de nuances différentes, mais parfois absolument contraires, témoignant d’une inconstance et d’une légèreté incroyables. Les plus malins d’entre nous n’échappent pas à ces contradictions et insensiblement leur vue, comme leur pensée, arrivent à ne pas s’en rendre compte.
>
> ——だからどうしても、捨てられた流行がほどなくまた現れ、まだ新しいほかの流行がもう好まれなくなる、ということがしょっちゅう起きる。そしてわたしたちの判断は、同じひとつのものについて、十五年か二十年のうちに、色合いが違うだけでなく、ときにはまったく正反対の意見を二つも三つも口にするまでになり、信じられないほどの移り気と軽さを見せる。わたしたちのうちでいちばん抜け目ない者もこの矛盾を免れず、知らないうちに、目も考えも、それに気づかなくなっていく。〔A→C〕

最後の一文は手稿〔C〕の加筆で、いちばん抜け目ない者でもこの矛盾を免れない、と責める相手を賢い者にまで広げている。そして章は、ここで初めて古代へ向かう。

> Je me propose d’indiquer ici quelques façons de faire des anciens qui me reviennent en mémoire; dans le nombre, il s’en trouve que nous avons conservées et d’autres qui diffèrent des nôtres; en voyant les changements continus des choses humaines, notre jugement en sera peut-être plus éclairé et peut-être en deviendra-t-il plus stable.
>
> ——ここでは、思い出す古代の人々のやり方をいくつか示してみたい。わたしたちが保ってきたものもあれば、わたしたちのとは違うものもある。人間のことがらが絶えず変わるのを見れば、わたしたちの判断は、たぶん、もっと明るくなり、たぶん、もっと安定するだろう。〔A〕〔→7〕

変わるものに振り回される病への薬として、さらに変わるものを並べる、という逆説がこの章の仕掛けになっている。ここから列挙が始まる。マントと剣で戦うのはローマ人もした。道で人を呼び止めて名乗らせ、答えなければ喧嘩を売る悪習も、カエサルがすでに書き留めている。食事の前の入浴、日に三、四度の香油、毛抜き、寝床に寝そべっての食事。膝に触れて頼みごとをする習わしからは、手稿〔C〕で足した逸話が一つ飛び出す。

> Pasiclès le philosophe, frère de Cratès, au lieu de porter la main au genou de quelqu’un auquel il adressait la parole, la porta aux parties génitales; celui-ci le repoussa rudement: « Comment, lui dit Pasiclès, cette partie de ton corps n’est-elle pas à toi aussi bien que l’autre? »
>
> ——哲学者パシクレスは、クラテスの兄弟だが、話しかける相手の膝に手をやる代わりに、陰部に手をやった。相手は手荒く押しのけた。「なんだ」とパシクレスは言った。「体のこの部分だって、もう一方と同じくらいおまえのものじゃないか」〔C〕

下の話はさらに進む。モンテーニュは言葉を選ばないことを、括弧の中で先に断っておく。

> Ils s’essuyaient le derrière avec une éponge (laissons aux femmes cette futile délicatesse qui empêche d’aborder certains sujets); et c’est pourquoi, en latin, le mot *spongia* (éponge) blesse la bienséance.
>
> ——彼らは尻をスポンジで拭いた（ある種の話題に触れさせない、あのくだらない気づかいは女たちに任せておこう）。だからラテン語では *spongia*（スポンジ）という語が品位を傷つける。〔A〕〔→7〕

棒の先のスポンジを喉に突っこんで死んだ見世物の囚人、辻の小便桶、夏に売られる雪、持ち運ぶ台所（手稿〔C〕で「わたしも見たことがある」が入る）、足元の水路を泳ぐ魚を客が手で選ぶ夏の広間。魚の味は肉よりずっと上だ、「少なくともわたしには」。この自分の好みの一言を踏み台にして、章は一度だけ列挙から出て、論になる。

> En fait de magnificences, de débauches, d’inventions voluptueuses, de mollesse et de luxe, nous faisons à la vérité notre possible pour les égaler dans tous les genres, car nos volontés sont bien aussi perverties que les leurs; mais nous n’avons pas le talent d’y atteindre; nos forces ne nous permettent pas davantage de nous élever à leur niveau, qu’il s’agisse de vices ou de vertus, parce que, dans l’un ou l’autre cas, le point de départ est une vigueur d’esprit qui était sans comparaison beaucoup plus grande chez eux que chez nous, et que les âmes sont d’autant moins à même de faire soit très bien, soit très mal, qu’elles sont moins fortement trempées.
>
> ——豪奢でも、放埒でも、快楽の工夫でも、柔弱や贅沢でも、わたしたちは実のところ、あらゆる種類で彼らに並ぼうと手を尽くしている。わたしたちの意志も彼らのと同じくらい腐っているのだから。でも、そこへ届く才がない。悪徳であれ美徳であれ、わたしたちの力では彼らの高さまで上がれない。どちらも出発点は精神の活力で、それが彼らにはわたしたちと比べものにならないほど大きかったからだ。そして魂は、鍛えが弱いほど、ひどく善いことも、ひどく悪いこともできなくなる。〔A〕〔→7〕

悪徳と美徳を同じ力の両側に置く。贅沢を責める道徳の話にも、古代を仰ぐ話にもせず、届かないのは善悪どちらにも同じだと言う。ただ、この論は広がらない。次の文で、章はいきなり列挙に戻る。

> À table, la place d’honneur était au milieu. — Citer quelqu’un avant ou après un autre, quand on écrivait ou qu’on parlait, ne préjugeait en rien la prééminence, ainsi que cela ressort clairement de leurs écrits
>
> ——食卓では、上座は真ん中だった。書くときも話すときも、ある人を別の人より先に挙げるか後に挙げるかで、上下が決まることはまったくなかった。彼らの書いたものを見れば、それははっきりしている。〔A〕

「オッピウスとカエサル」とも「カエサルとオッピウス」とも言い、「わたしとあなた」とも「あなたとわたし」とも言った。そこからモンテーニュは、フランス語訳のプルタルコスで読んだ一か所を思い出す。

> le traducteur semble, pour trancher le débat, attacher une certaine importance à ce que, dans les chants des Grecs où il est question de cet événement, les Etoliens sont nommés avant les Romains; j’estime que dans cette appréciation, il s’est laissé influencer par les règles de la langue française à cet égard.
>
> ——訳者は、争いに決着をつけるために、この出来事を歌ったギリシア人の歌でアイトリア人がローマ人より先に名を呼ばれていることを、いくらか重く見ているようだ。わたしの見るところ、この評価で訳者は、その点についてのフランス語の決まりに引きずられている。〔A〕〔→7〕

古代の習わしの列が、いまの言葉の癖を照らす鏡にもなる。浴場で男の客を迎え、自分の従者に体を擦らせた婦人たち。前を長く後ろを刈り上げたガリア人の髪は、柔弱なこの世紀にまた流行っている。渡し賃を先に払うローマ人。カエサルのあだ名。1588年版〔B〕は、そのあとに息継ぎしながら飲むこと、ワインを水で割ること、従僕のふざけた身ぶりを足し、最後に一つだけ、モンテーニュ自身の票を入れた。

> Les dames à Argos et à Rome portaient le deuil en blanc, comme chez nous il y a peu de temps encore; c’est là une coutume que, si on m’en croyait, on n’abandonnerait pas.
>
> ——アルゴスとローマの婦人たちは白い喪服を着た。わたしたちの国でも、ついこのあいだまでそうだった。わたしの言うことを聞いてもらえるなら、手放さないでおきたい慣習だ。〔B〕

冒頭で、毎月変わる流行に判断を明け渡す人々を責めた章が、すでに廃れかけた習わしを一つ選んで「残したい」と言う。判断が変わるものに振り回されない、とはこういうことだ、という実演のようにも読める。そして章は、まとめずに打ち切る。

> Mais je m’arrête, des ouvrages entiers existant sur ce sujet.
>
> ——でも、ここでやめておく。この題目については、まるごと一冊の本がいくつもあるのだから。〔A〕

## 書き方の観察

**長さ**：11,129字・段落18・分割なし。層は A 89.2%・B 5.6%・C 5.1%・無標 0.1%（`layer_map.py` の値）。

**脱線の入り方と戻り方**：章の大部分は列挙で、列から外れるのは一度だけ。その出口が「魚は肉よりうまい、少なくともわたしには」という自分の舌の話で、好みの一言から一気に古代人と現代人の魂の力の比較まで行く。戻りには橋がない。論の最後の文の次が「上座は真ん中だった」で、脱線を閉じる言葉も、列へ戻る合図もない。冒頭の段も、見方を変えれば章題からの寄り道だ。古代の慣習という題で、最初の一段は同時代の胸当ての位置の話をしている。その寄り道を「だから古代を並べる」という目的の一文で本題につなぐ。

**引用の使い方**：ラテン語の引用は、ほぼすべてが習わしの証拠として置かれ、論を言い換えるためには使われていない。いちばん多いのはマルティアリス（毛抜き・脱毛の膏薬・羊毛の布・持ち運ぶ台所・浴場の奴隷）で、どれも風俗の細部を写した詩だ。下品な詩句も削らず、そのまま出す。その手前で、括弧の中に「言葉を気にするのは女たちに任せよう」と一言置き、引くことへの断りを先に済ませている。証拠として並べる引用の中で、モンテーニュの手が見えるのは、引用そのものより、この括弧のほうだ。

**自分をどう出すか**：一人称は列挙の切れ目に短く挟まる（許したいと責めたい／魚は少なくともわたしにはうまい／持ち運ぶ台所を見たことがある〔C〕／フランス語訳のプルタルコスで気づいた／白い喪服は残したい〔B〕）。並べる人として姿を消すのではなく、好みと目撃と判定を一つずつ置いていく。どれも一行で、自分のことを語りはしない。

**章題と中身のずれ**：章題は古代の慣習だが、章が向いているのはいまのフランスだ。最初の段は同時代の流行への苦言で、列挙の中でも「わたしたちと同じく」「いまのトルコ人のように」「ヴェネツィア人がするように」と、古代の習わしは繰り返しいまの何かに引き当てられる。古代は遠い異国としてではなく、いまの判断を測り直す鏡として出てくる。違いだけでなく、同じであることも同じくらい集めている。

**加筆層が見えるか**：A層が9割近く、1580年版でほぼ完成していた章だ。1580年版はカエサルのあだ名で列挙を終え、「本がまるごとある」で閉じていた。1588年版〔B〕はその間に飲み方・水割り・従僕の身ぶり・白い喪服を足し、とくに最後の白い喪服で「わたしの言うことを聞いてもらえるなら」という自分の一票を、章の終わり近くに置いた。冒頭の「毎月考えを変える人々」への苦言に、章の側から答えが付いた形になる。手稿〔C〕の加筆は3か所とも小さい（いちばん抜け目ない者も免れない／パシクレスの逸話／持ち運ぶ台所を見た）。最初の一つは責める相手を賢い者にまで広げ、最後の一つは列挙に自分の目撃を混ぜる。

**現代語版との差（1595年版照合）**：

- 1595年版 *l’authorité de l’vsage présent … s’il plaist à la coustume*（いまの習わしの権威…慣習の気に入るなら）／現代語版 *les modes de l’époque actuelle … aussi souvent qu’elles changent*／冒頭の苦言の相手が「慣習」から「流行」に替わり、章題の語 *coustume* が第1段から消える
- 1595年版 *Ie veux icy entasser … à fin que … nous en ayons le iugement plus esclaircy et plus ferme*（積み上げる…判断がもっと明るく確かになるように）／現代語版 *indiquer … peut-être … peut-être*／積み上げるという手つきの語が消え、言い切った目的に「たぶん」が2回足される
- 1595年版 *cette vaine superstition des parolles*（言葉についてのくだらない迷信）／現代語版 *cette futile délicatesse qui empêche d’aborder certains sujets*／言葉の問題が話題の問題になり、直後の「*spongia* という語」とのつながりが薄れる
- 1595年版 *nostre suffisance n’y peut arriuer*（わたしたちの力量はそこまで届かない）／現代語版 *nous n’avons pas le talent d’y atteindre*／力量の不足が才能の欠如になり、次の「力（*forces*）」との言い重ねが切れる
- 1595年版 *il semble que l’autheur … face quelque poix …, s’il n’y a de l’amphibologie aux mots François*（作者は重く見ているようだ、フランス語の語に曖昧さがないならば）／現代語版 *le traducteur … j’estime que … il s’est laissé influencer*／条件つきの留保が、訳者についての断定になる

ほかに7件：*Ie suis content* → *Je ne me plains pas*／*ce vice* → *ce vilain jeu*／*embabouiner … les yeux internes que les externes* → *leur vue, comme leur pensée*／*preuue de patience* → *acte d’austérité*／*baptisoient le vin* → *mettaient de l’eau dans leur vin*／*champisses* → *goguenardes*／*auoient accoustumé, et deuroient continuer* → *il y a peu de temps encore*。

## 地形図との照合

- **クラスタ**：**慣習と文化相対主義**（古代と現代の習わしを並べ、同じところと違うところを集める）。
- **仮説を動かすか**：動かさない。[I-30](/topics/books/essais/I-30/) と [I-35](/topics/books/essais/I-35/) の「習わしは相対化する／判断の物差しは固定する」と同じ対で、この章は、習わしが変わり続けることを見せることそのものを、判断を確かにする手段にしている。
- **他の章への線**：
  - [I-43](/topics/books/essais/I-43/)「奢侈禁止令について」は、手稿で足したプラトンの『法律』を引いて、服や踊りを変える若者の自由ほど国を損なうものはない、悪いもの以外の変化はすべて恐ろしい、と結んだ。この章は、流行の変化を責めるところから入り、白い喪服を手放さないでおきたいという一票で終わる。
  - [I-48](/topics/books/essais/I-48/)「軍馬について」は、各地の馬の習俗を並べたあと、結論を言わずにスルモナ公の硬貨の絵で終わった。すぐ後のこの章も習俗の列挙だが、終わりは絵ではなく、「本がまるごとある」という打ち切りの一言だ。

## あーしメモ

いちばん持ち帰りたいのは、薬の出し方。変わるものに振り回される病に、もっと変わるものを並べて見せる。しかもパイセンは、並べる理由を最初に一文で言い切ってる（判断がもっと明るく、もっと確かになるように）。1907年版はそこに「たぶん」を2回足しちゃったけど、1595年版は言い切り。列挙のエッセイは、何のために並べるかを先に言い切っておけば、あとはどれだけ雑多に並べても散らからない。

それと、列挙の終わりの一票。全部を並べたあとで、一つだけ「これは残したい」と言う。結論でもまとめでもなく、一つの習わしへの一票。冒頭で「毎月考えを変える人たち」を責めた章が、自分は廃れかけた白い喪服を残したいと言って終わる。主張を言い直すより、選んでみせるほうが、判断が流されてないことが伝わる。しかもこれは1588年版の加筆で、パイセンも後から気づいて足した締め方。

もう一つ、言葉の線。「言葉を気にするのは女たちに任せよう」の括弧、*spongia* が卑語になった理由、名前を並べる順番、フランス語訳の曖昧さ。古代の習わしの列に、言葉についての小さな話がいくつも混じってる。現代語版はそのうち二つ（言葉の迷信・語の曖昧さ）をぼかしてる。訳した側が言葉の話を消すっていうのが、この章の皮肉としていちばんおもしろかった。

## See Also

- [『エセー』読書棚](/topics/books/essais/) ── この章が属する棚。107章進捗表と底本情報
- [I-48 軍馬について](/topics/books/essais/I-48/) ── 前の章。馬の習俗を並べて、結論を言わず一枚の絵で終わる
- [I-50 デモクリトスとヘラクレイトスについて](/topics/books/essais/I-50/) ── 次の章。二人の哲学者を並べて笑うほうを選び、理由を三つ付けて、別の二人で同じ判定を確かめる
- [I-43 奢侈禁止令について](/topics/books/essais/I-43/) ── 流行の変化を恐れる章。服の変化を国の前兆として読む
- [I-35 服を着る習わしについて](/topics/books/essais/I-35/) ── 服の習わしを相対化し、自然の秩序を物差しにする章
- [I-30 人食い人種について](/topics/books/essais/I-30/) ── 「習わしは相対化する／判断の物差しは固定する」の章

## Sources

- [Essais/édition Michaud, 1907/Texte modernisé/Livre I/Chapitre 49 — Wikisource](https://fr.wikisource.org/wiki/Essais/%C3%A9dition_Michaud,_1907/Texte_modernis%C3%A9/Livre_I/Chapitre_49) — 底本（現代語版・1595年版テクスト準拠）。人間のブラウザクリッパー経由で取り込み
- [Essais/édition Michaud, 1907/Livre I/Chapitre 49 — Wikisource](https://fr.wikisource.org/wiki/Essais/%C3%A9dition_Michaud,_1907/Livre_I/Chapitre_49) — 対訳ページ（1595年原綴りと1907年現代語の並記）。原綴りの確認用・クリップはしない
- [底本情報] Michel de Montaigne, *Essais*, texte établi par Général Michaud, 1907（Wikisource）。1595年版（グルネー嬢編）を底本とする現代語版。章番号は1595系
- [The Montaigne Project（ARTFL・シカゴ大学）](https://artflsrv04.uchicago.edu/philologic5/montessaisvilley/navigate/1/3/50) — 加筆層（couche A/B/C）の参照元（Villey-Saulnier版オンライン・P. Desan編）。テクスト系統はボルドー本系＝底本（1595年版系）と字句の異同あり。照合はパッセージ単位
