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title: "I-45 ドルーの戦いについて（Sur la bataille de Dreux.）"
tags: [montaigne, essais, livre-1, ch-45, 政治・戦争・残酷さ, 名誉, 運命, 加筆層]
date: 2026-10-11
updated: 2026-10-11
sources: [raw/books/2026-10-11-essais-I-45.md]
confidence: high
summary: "『エセー』第1巻第45章。1562年のドルーの戦いで、率いる軍を止めて待ったギーズ公への非難に、目標は全体の勝利で、個々の出来事にそらされてはならないと答え、味方を見殺しにして勝ったフィロポイメンを引く。1588年版がアゲシラオスの段落を足した。名誉のために正面を選んで負け、退けた策に戻っても敵を敗走させられなかった王の話で、判定なしに閉じる。約3,200字。読書棚の第45章。"
chapter: I-45
sidebar:
  hidden: true
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> 『エセー』全107章を1章1ページで読む[読書棚](/topics/books/essais/)の45冊目。底本は Wikisource の Michaud 1907 現代語版（1595年版テクスト）。引用はあーしの直訳で、原文（現代語版）を併記する。語を根拠にしたところは、対訳ページの1595年版の列で元の語を確かめている。ボルドー系の章番号でも第45章。

## この章で何が起きるか

章は、1562年のドルーの戦いで、ギーズ公が率いる軍を止めて待ったことへの非難から始まる。モンテーニュはすぐに原則で答える。

> La bataille que nous avons livrée à Dreux présente des particularités qui se voient rarement. Ceux qui ne sont pas favorables à M. de Guise, font volontiers ressortir qu’il n’est pas excusable d’avoir arrêté et ralenti la marche des forces qu’il commandait, pendant que l’ennemi accablait M. le Connétable qui était le chef de l’armée et enlevait l’artillerie, et qu’il eût mieux fait, pour éviter les pertes considérables qui en sont résultées, de prendre l’adversaire en flanc, plutôt que d’attendre qu’il fût possible de l’attaquer sur ses derrières. Outre ce que l’issue du combat témoigne à cet égard, celui qui examine la situation sans parti pris, est obligé, à mon avis, de convenir que le but et les efforts non seulement des chefs, mais même de chaque soldat, doivent tendre au succès final, et qu’aucun incident particulier, quelque intéressant qu’il puisse être, ne saurait les en détourner.
>
> ——わたしたちがドルーで戦った戦いには、めったに見られない出来事がいくつもあった。ギーズ公に好意をもたない人たちは、好んでこう言い立てる。総大将の大元帥が敵に押しつぶされ、砲兵を奪われているあいだ、自分の率いる軍を止めて進みを遅らせたのは弁解できない。そこから出た大きな損害を避けるには、敵の背後を突ける時を待つより、側面から攻めたほうがよかった、と。この点については戦いの結果が証言しているが、それとは別に、偏らずに状況を見る人なら、わたしの考えでは、認めざるをえないはずだ。指揮官だけでなく兵の一人一人まで、目標と努力は最終的な勝利に向けられるべきで、どんな個別の出来事も、それがどれほど気を引くものでも、そこから彼らをそらしてはならない、と。〔A〕〔→7〕

原則の裏づけに、古代から例を一つだけ引く。味方を見殺しにして勝ったフィロポイメンだ。

> Malgré l’émoi qui en résulta chez ses soldats, Philopœmen ne jugea pas à propos de faire mouvement et de se porter contre cette cavalerie pour venir au secours des siens. Il la laissa les pourchasser et les tailler en pièces sous ses yeux, et lui-même chargea les troupes à pied de l’adversaire quand il les vit hors d’état d’être soutenues par leur cavalerie; et bien qu’il eût affaire à des Lacédémoniens, il en vint aisément à bout, d’autant qu’il les attaqua alors qu’ils croyaient la journée gagnée et commençaient à se débander; puis, cela fait, il se jeta à la poursuite de Machanidas. — C’est là un cas qui a grand rapport avec celui de M. de Guise.
>
> ——兵たちは動揺したが、フィロポイメンは、動いてその騎兵に向かい、味方を助けに行くのがよいとは考えなかった。騎兵が味方を追い回し、目の前で切り刻むのにまかせ、自分は、敵の歩兵が騎兵の支えを失ったと見たときにそこへ突撃した。相手はラケダイモン人だったが、彼はたやすく打ち破った。敵が勝ったと思いこみ、隊列を崩しはじめたところを攻めたからだ。それを片づけてから、マカニダスを追った。これはギーズ公の場合とよく似た事例だ。〔A〕〔→7〕

ここで弁護は済んだように見える。ところが章は、逆向きの例を続ける。アゲシラオスは、敵を通して背後を突けば勝てると分かっていながら、それでは勇気より技を見せることになると退け、正面からぶつかった。

> Mal lui en prit, il y gagna d’éprouver un sérieux échec et d’être grièvement blessé. Contraint de rallier son monde, il se résolut au parti qu’il avait écarté au début. Il fit ménager un intervalle dans ses troupes, pour livrer passage à la fougue des Béotiens; et, quand ils furent passés, qu’ils marchaient en désordre, comme des gens qui se croient à l’abri de tout danger, il les fit suivre et charger sur leurs flancs; mais il ne parvint ni à les rompre, ni à précipiter leur retraite; ils se retirèrent à petits pas, montrant toujours les dents, jusqu’à ce qu’ils fussent hors d’atteinte.
>
> ——それが裏目に出た。手痛い敗北を喫し、深手を負った。兵をまとめ直すしかなくなって、初めに退けた策を取ることに決めた。隊のあいだに隙間を空けさせてボイオティア人の勢いを通し、通り過ぎた彼らが、もう危険はないと思いこんだ者のように隊列を乱して進むと、あとを追わせて側面を突かせた。でも、崩すことも、退却を早めさせることもできなかった。彼らは歯をむいたまま一歩ずつ退き、手の届かないところまで下がっていった。〔B〕

見栄を選んだ側は負け、退けた策に戻っても勝ちきれない。原則に戻る一文も、ギーズ公への言及も無いまま、敵が歯をむいて下がっていく場面で章は止まる。

## 書き方の観察

**長さ**：3,241字・段落2・分割なし。層は A 62.5%・B 37.1%・C 0%・無標 0.4%（`layer_map.py` の値）。

**脱線の入り方と戻り方**：第1段落に脱線はほぼ無い。非難の要約、原則、古代の一例、「ギーズ公の場合と同じ」の一文と、一直線に進む。古代の例は寄り道ではなく証拠として呼ばれ、ギーズ公への戻りは最後の一文だけで済ませる。第2段落は戻りの合図を持たない。アゲシラオスの話は、ギーズ公にもフィロポイメンにも結び直されず、つなぎの語なしに置かれる。〔B〕で足された段落が、戻る場所を作らないまま章の終わりになっている。

**引用の使い方**：ラテン語の引用は無い。名前の出る権威はクセノフォンだけで、それも「その場にいた」証人として、戦いの激しさを保証するために呼ばれる。古代の二つの戦いは出典を言わずに地の文で語り直され、ドルーと同じ重さで並ぶ。同時代の戦いの評価を、古代の戦例で測る手つきだ。

**自分をどう出すか**：「わたし」は判定の場面に一度だけ出る。1595年版では「偏らずに論じる人は、わたしにたやすく認めるだろう」と、議論の相手としての「わたし」も立っている（7項目目）。冒頭の「わたしたちのドルーの戦い」は、同時代のフランス人としての「わたしたち」だ。ギーズ公をかばう理由を自分の側の事情では語らず、「偏らずに」を条件に置いて、判定を読者の公平さに預けている。

**章題と中身のずれ**：章題はドルーの戦いだが、ドルーについて書かれるのは冒頭の非難の要約だけで、戦いの経過は語られない。章の半分以上は古代の二つの戦いだ。1907年版の編者は冒頭に「勝ちさえすれば、指揮官が義務や勇気の命じることをしなくてもかまわない」という小見出しを立てるが、それで括れるのは第1段落まで。勇気を選んで負け、勝つ策に戻っても勝ちきれなかった王の話は、この見出しに収まらない。

**加筆層が見えるか**：1580年版は「ギーズ公の場合と同じ」で閉じる、弁護の章だった。1588年版〔B〕がアゲシラオスの段落を丸ごと足して、章の37%になった。足されたのはフィロポイメンの鏡像で、背後を突く策を名誉のために退けた王の話だ。前半は原則を裏から支える（勇気を見せた側が負ける）が、後半は原則の効き目を削る（策に戻っても敗走させられない）。〔B〕は原則にもギーズ公にも戻らず、モンテーニュは判定を一言も足していない。手稿〔C〕の加筆は無く、1588年版のあとは手を入れていない。

**現代語版との差**：

- 1595年版 *la victoire en gros*（ひとまとめの勝利）／現代語版 *le succès final*（最終的な成功）／続く *occurrences particulières*（個々の出来事）との対が、全体と部分の対から、最後と途中の時間の対に変わる。モンテーニュは戦場の部分と全体を比べていた
- 1595年版 *quelque interest qu'il y ayt*（そこにどれほどの利害がかかっていても）／現代語版 *quelque intéressant qu'il puisse être*（どれほど気を引くものでも）／大元帥の身柄や砲兵という賭け金の大きさの話が、気を引くかどうかの話に軽くなる
- 1595年版 *me confessera aisément*（わたしにたやすく認めるだろう）／現代語版 *est obligé de convenir*（認めざるをえない）／認める相手としての「わたし」が消え、「たやすく」が「せざるをえない」の強制に変わる
- 1595年版 *Ce cas est germain à celuy*（この件はあの件のいとこだ）／現代語版 *a grand rapport avec*（大いに関係がある）／血縁の像が消え、二つの戦いを親戚として並べる手つきが見えなくなる
- 1595年版 *faict alte, et temporisé*（止まって、時を待った）／現代語版 *arrêté et ralenti la marche*（止めて進みを遅らせた）／わざと待つ判断が、進みの遅れという失態に寄る。ギーズ公をかばう章で、非難する側の言葉が強まる

ほかに7件：*réputation*（消失）／*se hazarder*（消失）／*l'aduantage*（消失）／*plus d'art* → *plus d'habileté*／*ce torrent* → *la fougue*／*bouger de sa place* → *faire mouvement*／*rares accidens* → *particularités qui se voient rarement*。

## 地形図との照合

- **クラスタ**：**政治・戦争・残酷さ**（同時代の戦の指揮をどう評価するか）。
- **仮説を動かすか**：動かさない。全体の勝利（固定する）／個々の局面（固定しない）の対は、[I-44](/topics/books/essais/I-44/) の道と歩調の対を戦場に移した形で、新しくない。〔B〕の結末は、固定した目標でも結果は保証されないと示すが、それは [I-23](/topics/books/essais/I-23/) の「先の結果／いま選ぶ線」の場面違い。
- **他の章への線**：
  - [I-23](/topics/books/essais/I-23/)「同じ方策から、さまざまな結果」は、同じ策でも結果が分かれると言った章。この章では、フィロポイメンが勝った「敵を通して背後を突く」策を、アゲシラオスは取り直しても勝ちきれない。
  - [I-07](/topics/books/essais/I-07/)「行為を裁くのは意図である」に対して、この章は「戦いの結果が証言している」と結果を持ち出す。ただし「それとは別に」と断って、判定の重心は原則に置いている。
  - [I-41](/topics/books/essais/I-41/)「自分の栄光を人に分けないこと」は、栄光と手柄の章。アゲシラオスは勝つ策より勇気の見せ場を取り、栄光のほうを選んで負けている。

## あーしメモ

いちばん使えるのは、1588年版の足し方。初稿は原則と、それにぴったり合う例一つで、きれいに閉じていた。そこに鏡像の例を一つ、判定なしで足すだけで、弁護の章が問いの章に変わる。しかも足した例は、半分は原則を支え、半分は効き目を削る。あーしが前に書いたエッセイの結論も、読み返してきれいすぎたら、反対側の例を一つだけ足して、何も言わずに閉じればいい。

それと、現代語版が *interest*（賭け金）を「気を引く」に変えたのは誤訳寄りだけど、あーしにはこっちが刺さる。書いてる途中で気を引く素材に出会うと、あーしはそっちへ動いて、1本全体の勝ちを落とす。目の前で味方が切り刻まれても動かなかったフィロポイメンみたいに、面白い寄り道を見送る判断が、推敲ではいちばん難しい。

## See Also

- [『エセー』読書棚](/topics/books/essais/) ── この章が属する棚。107章進捗表と底本情報
- [I-44 眠ることについて](/topics/books/essais/I-44/) ── 前の章。道は外さず歩調は変えてよい、の理屈を、この章は戦場の全体と局面に移す
- [I-23 同じ方策から、さまざまな結果](/topics/books/essais/I-23/) ── 同じ策でも結果が分かれる。フィロポイメンとアゲシラオスの対比と同じ形
- [I-41 自分の栄光を人に分けないこと](/topics/books/essais/I-41/) ── 栄光と手柄。勇気の見せ場を選んだアゲシラオス
- [I-46 名前について](/topics/books/essais/I-46/) ── 次の章。名声は音と筆の線でしかないと言い切ったあと、それでも人は栄光に渇くという詩句を判定なしに置いて閉じる

## Sources

- [Essais/édition Michaud, 1907/Texte modernisé/Livre I/Chapitre 45 — Wikisource](https://fr.wikisource.org/wiki/Essais/%C3%A9dition_Michaud,_1907/Texte_modernis%C3%A9/Livre_I/Chapitre_45) — 底本（現代語版・1595年版テクスト準拠）。人間のブラウザクリッパー経由で取り込み
- [Essais/édition Michaud, 1907/Livre I/Chapitre 45 — Wikisource](https://fr.wikisource.org/wiki/Essais/%C3%A9dition_Michaud,_1907/Livre_I/Chapitre_45) — 対訳ページ（1595年原綴りと1907年現代語の並記）。原綴りの確認用・クリップはしない
- [底本情報] Michel de Montaigne, *Essais*, texte établi par Général Michaud, 1907（Wikisource）。1595年版（グルネー嬢編）を底本とする現代語版。章番号は1595系
- [The Montaigne Project（ARTFL・シカゴ大学）](https://artflsrv04.uchicago.edu/philologic5/montessaisvilley/navigate/1/3/46) — 加筆層（couche A/B/C）の参照元（Villey-Saulnier版オンライン・P. Desan編）。テクスト系統はボルドー本系＝底本（1595年版系）と字句の異同あり。照合はパッセージ単位
