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title: "I-27 友情について（De l’amitié.）"
tags: [montaigne, essais, livre-1, ch-27, 友情・対話, ラ・ボエシー, 喪, 版の異同]
date: 2026-09-30
updated: 2026-10-05
sources: [raw/books/2026-09-30-essais-I-27.md]
confidence: high
summary: "『エセー』第1巻第27章。画家が壁の中央に渾身の絵を置き、まわりを奇怪な装飾で埋めるのを見て、自分の本は装飾のほうで、中央にはラ・ボエシーの『自発的隷従論』を借りて置く、と始まる。そこから、父子・兄弟・恋愛・結婚・ギリシアの少年愛を1つずつ外して、残った友情には「それは彼だったから、それはわたしだったから」としか理由を言わない。ありふれた友情との規則の違い、贈与、友は1人しかありえないことを述べ、ラ・ボエシーと過ごした4年間にくらべれば残りの人生は「煙」だと言って、詩句の連なりで閉じる。1595年版ではその後に、中央に置くはずだった論文を載せないと取り下げる段落があるが、1907年の現代語版はこの段落を載せていない。約33,700字。ARTFL層データでは文字量でA約67%（無標を含む）・B約2%・C約31%で、有名な対句も相互性の一文も手稿の加筆。読書棚の第27章。"
chapter: I-27
sidebar:
  hidden: true
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> 『エセー』全107章を1章1ページで読む[読書棚](/topics/books/essais/)の27冊目。底本は Wikisource の Michaud 1907 現代語版（1595年版テクスト）。引用はあーしの直訳で、原文（現代語版）を併記する。段落頭の太字小見出しは1907年版編者のものなので、ここでは使わない。

## この章で何が起きるか

章は、画家の話から始まる。

> Contemplant le travail d’un peintre que j’employais chez moi, il me prit envie de regarder comment il procédait. Il fit d’abord choix du plus bel endroit, au centre de chaque paroi de mur, pour y peindre un sujet avec toute l’habileté dont il était capable; puis il remplit les vides d’alentour d’arabesques, peintures toutes fantaisistes qui ne plaisent que par leur variété et leur singularité.
>
> ——家で雇っていた画家の仕事ぶりを眺めていて、どうやるのか見てみたくなった。画家はまず、壁のそれぞれの面のいちばんいい場所、真ん中を選んで、腕のかぎりを尽くして1つの主題を描いた。それから、まわりの空いたところを奇怪な装飾で埋めた。多様さと奇妙さだけが取り柄の、気ままな絵だ。

1595年版で語を確かめると、「どうやるのか見てみたくなった」は「**真似て**みたくなった（*il m’a pris envie de l’ensuiure*）」で、「腕のかぎり」は「その**力量**のかぎり（*toute sa suffisance*）」。そして、自分の本のことに話が移る。

> Il en est de même ici: mon livre ne se compose que de sujets bizarres, en dehors de ce qu’on voit d’ordinaire, formés de morceaux rapportés, sans caractère défini, sans ordre, sans suite, ne s’adaptant que par hasard les uns aux autres: « *C’est le corps d’une belle femme, avec une queue de poisson (Horace)*. »
>
> ——ここでも同じだ。わたしの本は、ふだん目にするものから外れた奇妙な主題ばかりでできている。寄せ集めた切れはしでできていて、決まった性格もなく、順序もなく、つながりもなく、互いに合うのはただ偶然による。「上は美しい女の体、下は魚の尾（ホラティウス）」。

1595年版では、ここは問いの形をしている。「ここにあるのも、実のところ、奇怪な装飾（*crotesques*）と、いろいろな手足をつぎはぎした（*rappiecez de diuers membres*）怪物の体でなくて何だろう。確かな形もなく、順序も、つながりも、釣り合いも、偶然のもの以外には持っていない」。「わたしの本」という語は無く、「ここ（*icy*）」とだけ言う。「奇妙な主題」も現代語版の言い換えで、1595年版は画家の壁の *crotesques* と同じ語で自分の本を呼んでいる。装飾のほうは画家を真似できた。でも、真ん中の絵のほうは描けない。

> [...] mais sur l’autre partie du travail, la meilleure, je demeure court; mon talent ne peut me permettre d’oser entreprendre un tableau riche, élégant, confectionné dans toutes les règles de l’art; c’est pourquoi je me suis avisé d’en emprunter un d’Étienne de La Boétie, qui fera à mon ouvrage plus d’honneur que tout le reste.
>
> ——［…］でも、仕事のもう半分、いいほうの半分には手が届かない。わたしの腕では、豊かで、端正で、技法の規則どおりに仕上がった絵に手を出す勇気が出ない。だから、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシーから1枚借りてくることにした。それは、わたしの仕事の残り全部よりも、この本の誉れになるだろう。

ここも1595年版では「わたしの**力量**（*ma suffisance*）はそこまで届かない」。借りてくる絵は、ラ・ボエシーが若いころに「試みとして（*par manière d’essay*）」書いた『自発的隷従論』で、この論文が2人の出会いのきっかけだった、と説明がつく。

そこから、友情でないものを1つずつ外していく。快楽や利益や公私の必要から生まれる付き合いは、友情以外の目的を混ぜる分だけ友情から遠い。父と子には尊敬はあっても、友情に要る打ち明け話と忠告がない。兄弟は、財産の分け合いが「兄弟の溶接（*soudure fraternelle*）」をゆるめる。女性への愛は、火としては激しい。

> [...] mais c’est un feu téméraire et volage, ondoyant et varié; feu de fièvre qui a ses accès. qui tombe, et ne nous tient que dans une partie de nous-mêmes. La chaleur de l’amitié s’étend à tout notre être, elle est universelle mais tempérée et toujours égale [...].
>
> ——でも、それは向こう見ずで移り気な火だ。揺れ動き、多様で、発作を起こしては引いていく熱病の火で、わたしたちの一部分しかつかまえない。友情の熱は、わたしたちのすべてに行きわたる。全体に広がるが、穏やかで、いつも変わらない［…］。

1595年版では「揺れ動き、多様（*ondoyant et diuers*）」。[I-01](/topics/books/essais/I-01/)で人間そのものを言い表した語が、ここでは恋の火に当てられて、友情の側から退けられている。結婚は入口だけが自由な取引で、ほかの目的が混ざる。女性については「その魂は、この結び目を支えるほど堅固に見えない」と書く。1595年版は「女性という性は、どんな例によっても、そこに**まだ**たどり着けていない（*n’y est encore peu arriuer*）」で、現代語版の「女性がそこまで至れるという例はない」は、「まだ」を落として能力の話にしている。

ギリシアの少年愛は、年齢の差と役割の違いがあるから、友情が求める一致に届かない。この段はアカデメイア派の描き方を長々となぞってから、「わたしの記述に戻る（*Ie reuien à ma description*）」と自分で言って戻ってくる。

外すものがなくなったところで、残ったものが名指しされる。

> Dans l’amitié qui régnait entre La Boétie et moi, elles se mêlaient et se confondaient en une seule, tellement unies sous tous rapports qu’on ne les distinguait plus l’une de l’autre; la ligne de démarcation n’existait plus. Si on me pressait, me demandant pourquoi j’avais pour lui une si profonde amitié, je sens que je serais hors d’état de le dire, je ne pourrais que répondre: « Il en était ainsi, parce que c’était lui et parce que c’était moi. »
>
> ——ラ・ボエシーとわたしの友情では、2つの魂は混ざり合い、1つに溶けて、どの点でももう見分けがつかなかった。境目はもうなかった。なぜ彼にあれほど深い友情を持っていたのかと問い詰められても、言えないと思う。こう答えるしかない。「そうだったのだ。それは彼だったから、それはわたしだったから」

1595年版の「境目」は「2つを縫い合わせた**縫い目**（*la cousture qui les a ioinctes*）をもう見つけられない」。答えも「それは彼だったから、それはわたしだったから（*Par ce que c’estoit luy, par ce que c’estoit moy*）」だけで、「そうだったのだ」は現代語版が足している。

そのあとは、この1つの友情がほかとどう違うかの話になる。グラックスに「神殿に火をつけろ」と言われたら従ったと答えたブロシウスは、扇動的なのではなく、友の意志を手の内に持っていただけだ。ありふれた友情では「いつか憎むかのように愛せ」というキロンの格言が役に立つが、この友情ではおぞましい。この友情には恩恵も感謝もない。全部が共有だから、貸し借りができない。貧しいエウダミダスが、金持ちの友2人に母と娘の世話を「遺贈」した遺言は、世話をさせてやるという贈り物だった。そして、この友情は2人には分けられない。

> Avec un ami unique, qui occupe dans notre vie une place prépondérante, vous êtes délié de toutes autres obligations; le secret que j’ai juré de ne communiquer à nul autre, je puis sans parjure le communiquer à qui n’est pas un autre, qui est moi-même.
>
> ——ただ1人の友が人生の中心にいるなら、ほかの義務はすべて解かれる。誰にも漏らさないと誓った秘密も、誓いを破らずに、他人ではない者に打ち明けられる。それはわたし自身だから。

医者や弁護士の宗派は気にしない、召使いには勤勉さだけを求める、という「1点だけでつながる付き合い」の話を挟んで、読者のほうに向き直る。子どもと棒馬遊びをしているところを見られた男が「あなたも父親になるまで黙っていてくれ」と頼んだように、

> [...] je voudrais ne m’adresser ici qu’à des gens ayant ce dont je parle; mais n’ignorant pas qu’une telle amitié est bien loin d’être d’usage commun, sachant combien elle est rare, je ne m’attends pas à rencontrer quelqu’un qui soit bon juge.
>
> ——［…］わたしも、ここでは、わたしの話していることを持っている人たちにだけ話しかけたい。でも、こういう友情がありふれたものからどれほど遠く、どれほど稀かを知っているから、よい判定者に出会えるとは期待していない。

1595年版では「わたしの言うことを**試した**人たち（*des gens qui eussent essayé ce que ie dis*）」。

最後は喪だ。ラ・ボエシーと過ごした4年間にくらべれば、残りの人生は「煙」で「暗く退屈な夜」だ、と言い、ウェルギリウス、テレンティウス、ホラティウスが続く。

> J’étais déjà si fait, si accoutumé à nous trouver deux partout, qu’il me semble n’être plus qu’à demi [...].
>
> ——わたしはもう、どこでも2人でいることにすっかり慣れきっていたので、いまでは半分しかいないような気がする［…］。

1595年版は「どこでも**2人目**であることに（*à estre deuxiesme par tout*）」。そしてカトゥルスの兄弟への哀歌が長く引かれる。

> Ne pourrai-je donc plus ni te parler, ni t’entendre? Jamais je ne te verrai donc plus, ô frère, qui m’étais plus cher que la vie! Ah! du moins je t’aimerai toujours!
>
> ——もう、きみに話しかけることも、きみの声を聞くこともできないのか。いのちより大切だった兄弟よ、もう二度ときみに会えないのか。ああ、せめて、いつまでもきみを愛そう。

現代語版は、ここで終わる。1595年版には、もう1段落ある。「でも、この16歳の若者の話を少し聞こう（*Mais oyons vn peu parler ce garson de seize ans*）」と言っておいて、すぐ取り下げる。この論文は、国のかたちを乱して変えようとする者たちが、悪い目的で、自分たちの書き物と混ぜて出版してしまった。だから「ここに置くのはやめた（*ie me suis dédit de le loger icy*）」。ラ・ボエシーはこの主題を子どものころ「練習として（*par manière d’exercitation seulement*）」扱っただけで、生まれた国の法に従うことを誰より重んじた人だった。代わりに、同じ年ごろに書いた、もっと陽気な作品を置く、と言って章は閉じる。それが次の章のソネットだ。

## 書き方の観察

**長さ**：現代語版で約33,700字・段落16・太字小見出し11個。前の[I-26](/topics/books/essais/I-26/)（約10,700字）の3倍ほど。

**脱線の入り方と戻り方**：章の前半は、友情でないものを1つずつ外していく消去法で進む。快楽・利益の付き合い→父と子→兄弟→女性への愛→結婚→ギリシアの少年愛。いちばん長い脱線は少年愛の段で、アカデメイア派の描き方を細かくなぞったあと、「わたしの記述に戻る、もっと公平で、もっと釣り合いのとれたやり方で（*Ie reuien à ma description, de façon plus équitable et plus equable*）」と自分で名指しして戻る。この脱線も、戻る一文も、手稿の加筆〔C〕だ（後述）。

もう1つ大きな「戻り」がある。章の最初で画家の話を出し、真ん中に借りた絵を置くと約束したあと、章はずっと友情の話をしている。1595年版では、章の最後の段落で、やっと画家の話に戻ってくる。戻ってきて言うのが「その絵は置かない」だ。

**引用の使い方**：散文の逸話（ブロシウス、エウダミダス、ディオゲネス、キュロスに馬を売らない若い兵士、棒馬遊びの父）は、どれも友情の規則を1つずつ例で示す役をしている。詩句は結びの喪の段に集まる。ウェルギリウス、テレンティウス、ホラティウス2つ、カトゥルス2つ。自分の悲しみを、自分の文ではなく、ほかの人の詩の連なりで言う。そのカトゥルスは、兄弟を失った歌だ。章の前半で「兄弟」の名を、財産を分けると溶接がゆるむ関係として退けながら、「それでも美しい名だから、2人はこの名で結ばれた」と書いていた。章は「兄弟よ（*frater*）」で終わる。

[I-26](/topics/books/essais/I-26/)で「何ごとも度を越すな」を勧めていたキロンが、ここでは「いつか憎むかのように愛せ」の格言で出てくる。ありふれた友情には「健全」、この友情には「おぞましい」。同じ賢者の格言の値打ちを、どの友情に当てるかで逆にしている。

**自分をどう出すか**：「わたし」は、最初から「足りない側」として出てくる。画家の力量には届かないから、真ん中の絵は借りる。最後の喪の段では、ラ・ボエシーは「ほかのあらゆる**力量**と徳で、限りない距離でわたしを上回っていた（*il me surpassoit d’vne distance infinie en toute autre suffisance et vertu*）」。1595年版で *suffisance* は6回出るが、章の最初（画家の力量・わたしの力量）と最後（彼の力量）で、章をはさむように「わたしの力量は彼に届かない」と言っている。現代語版では6回とも別の言い方（*habileté*・*talent*・*mérites* など）になり、うち1回は結びの段落ごと消えている。

「わたし」の数え方も変わる。前半では、自分の意志が彼の意志に「沈んで、失われた」。友情のさなかのわたしは、1人のうちの半分として語られる（「2人目」「半分」）。喪の段で、半分が残る。

途中で一度、書き方そのものの宣言が入る。「世の中で何をすべきかを言うのに口を出すつもりはない、ほかの人が十分やっている。わたしがそこで何をしているかを言うだけだ（*mais ce que i’y fay*）」（手稿〔C〕）。召使いや料理人の選び方の話の途中に、これが挟まっている。

**章題と中身のずれ**：章題は「友情について」だが、章は自分を「真ん中の絵のまわりの装飾」だと名乗って始まる。真ん中にはラ・ボエシーの論文を置くと約束し、1595年版の最後で、その論文を取り下げる。代わりに置くソネットは、1595年版の次の章（[読書棚の表](/topics/books/essais/)ではI-28）で、そのソネットも、モンテーニュは晩年に手稿（ボルドー本）で消していて、1595年版では本文が無く、章題と献辞の手紙と編者の注1行だけが残っている（[I-28](/topics/books/essais/I-28/)。底本のMichaud版は29篇を補って載せている）。「友情について」は、中央に空いた場所のまわりの縁取りとして書かれていて、中央は2度空になる。ボルドー系の章番号ではソネットの章はI.29で、全57章のちょうど真ん中にあたる（前に28章、後ろに28章。[モンテーニュとラ・ボエシー](/topics/writing-theory/montaigne-la-boetie-friendship/)も同じ点を書いている）。画家が絵を置いたのも「真ん中（*milieu*）」だった。1595年版の番号では、第14章が第40章へ移されたので、ソネットの章は28番目になり、真ん中から1つずれる——ここは数え合わせだけで、意図は分からない。

もう1つは、友情の中身そのものの書き方。友情は「それではないもの」を外していくことでしか囲まれず、残ったものには理由が与えられない（「それは彼だったから、それはわたしだったから」）。章の形（空いた中央と、まわりの装飾）と、友情の書き方（外側を外していって、中心は説明しない）が、同じ形をしている——ここは読み。

語の線も1つ。1595年版で「縫い目（*cousture*）」が3回出る。父と子の「自然の縫い目」（哲学者の中にはこれを軽んじる者がいた）、打ち明け話（*conférence et communication*）が乳母として育てる友情の「聖なる縫い目」（その打ち明け話に、女性はふつう応えきれないとされる）、そして2つの魂が溶けて「縫い目をもう見つけられない」。本は「つぎはぎ」の装飾で、縫い目だらけだ。友情だけが、縫い目を消す。現代語版はこの3回とも別の言い方（*liens du sang*・*ligne de démarcation* など）に替えていて、*couture* の語は一度も残っていない。

「試み」の語も動く。論文は最初「試みとして（*par manière d’essay*）」書かれたものとして紹介され、取り下げの段落では「練習として**だけ**（*par manière d’exercitation seulement*）」扱ったものになる。同じ論文の呼び方が、章の最初と最後で格下げされている。著者の名誉を守るための取り下げで、そのために「試み」が「練習」に言い換えられた——ここは読み。

**加筆層が見えるか**：ARTFL（Villey-Saulnier版オンライン）の層データでは、セグメントが38（A18・B3・C16・無標1）。文字量でおよそA 60%・無標 7%（合わせて67%）・B 2%・C 31%。前のI-26（C約9%）とくらべると、手稿の割合が3倍を超える。現代語版（1595年版系）と照らすと、結びの取り下げの段落が現代語版に無い（上述）。ほかのパッセージの過不足は見当たらない。

- **1580年版**〔A〕に、骨組みは全部ある。画家の額縁→論文と出会い→父子・兄弟・女性・結婚→「ありふれた友情は、きっかけと都合で結ばれた知り合いにすぎない」→魂が溶けて縫い目が見えない→ブロシウス→恩恵のない共有→エウダミダス→分けられない友情→棒馬の父→メナンドロス→4年間と煙→詩句→取り下げと差し替え。**取り下げの段落も1580年版からある**。中央を空にしたのは初版のときからで、ソネットでそこを埋めたのも初版だった。
- **1588年版**〔B〕は3か所、600字ほど。ホラティウスの詩句が2つと、キロンの「いつか憎むかのように愛せ」の段。
- **手稿**〔C〕は16か所、8,500字ほど。いちばん大きいのは、ギリシアの少年愛の段まるごと（約3,300字）で、1580年版では「そしてあのギリシアの放縦は、わたしたちの風習では当然忌み嫌われている」の1行で済ませていた。「わたしの記述に戻る」もこの中にある。ほかに、出会いの場面（「会う前から互いを探していた」「名前で抱き合っていた」、約1,000字）、キュロスの兵士から召使い・料理人・「わたしがそこで何をしているかを言うだけ」まで（約1,600字）、2人の友が同時に助けを求めたら、の問い（約900字）、アリストテレスの「友よ、友などいない」「2つの体に1つの魂」、ディオゲネス。

手稿の加筆でいちばん目を引くのは、2つの短い句だ。

- 1580年版は「なぜ彼を愛したのかと問い詰められても、それは言い表せないと感じる。」で文を終え、「わたしの言葉を超えた、何か説明のつかない宿命の力が…」へ続けていた。「それは彼だったから、それはわたしだったから」は、手稿の加筆〔C〕だ。言い表せない、と書いた文に、あとから言い表し方を足している。
- 1580年版は「それはわたしの意志をすっかりとらえて、彼の意志の中に沈めて失わせた」で止まっていた。「それは彼の意志をすっかりとらえて、わたしの意志の中に沈めて失わせた、同じ飢えと、同じ競い合いで」という逆向きの一文も、手稿の加筆〔C〕だ。

1580年版の友情は、わたしが彼に沈む一方向で書かれていて、「彼／わたし」の対称は、2つとも後年に書き足されている。喪の段は、ホラティウスの詩句1つ〔B〕を除いて1580年版〔A〕のまま、手稿の加筆が入っていない。後年に書き足されたのは、友情の理屈と対称性のほうで、悲しみのほうではなかった。

## 地形図との照合

- **クラスタ**：**友情・対話**。章題どおり。
- **通底テーマ（「固定しない態度」）への判定**：**反証（例外の確認）**。[I-26](/topics/books/essais/I-26/)で自分の力量を物差しにした確信を退けた人が、ここでは「世界じゅうのどんな言葉も、わたしが彼の意図と判断について持っている確信から、わたしを追い出すことはできない（*de me desloger de la certitude que i’ay*）」と書く（1580年版〔A〕）。2026-08-13に二次資料（宮下連載）から「例外っぽい章」として拾っていたものを、実読みで確かめた形。層データを足すと、例外は時とともに薄まったのではなく、むしろ手稿で強められている（対句と対称の一文）。ただし、章の形そのもの——つぎはぎの装飾、借りた中央、その中央の取り下げ——は、固定しない書き方の本流だ。中身は固定、器は固定しない。仮説そのものは変わらない。
- **他の章への線**：[I-26](/topics/books/essais/I-26/)とは、*suffisance* で直接つながる。I-26は「自分の力量で真と偽を測るな」、この章は「わたしの力量は画家にも彼にも届かない」で始まって終わる。キロンも2章続けて出る。[I-01](/topics/books/essais/I-01/)とは「揺れ動き、多様（*ondoyant et diuers*）」でつながる。人間を言い表した語が、ここでは友情ではない恋の火の性質になる。[I-00 読者へ](/topics/books/essais/I-00/)とは、「わたしがそこで何をしているかを言うだけ」でつながる。次の章（[I-28](/topics/books/essais/I-28/)）は、この章が差し替えに置いたソネットの章で、1595年版では手紙と編者の注1行だけの空の章になる（ボルドー本でも手紙と一行だけ。Michaud版はソネットを補っている）。

## あーしメモ

画家の話で始まったとき、正直ぴんと来てなかった。友情の章なのに、なんで壁画？　でも最後まで読んで、1595年版の結びの段落で画家の話に戻ってきたとき、鳥肌が立った。パイセンはこの章を、真ん中の絵のまわりの「縁取り」として書いてて、その真ん中は、最初から空けてある。論文は取り下げ、代わりのソネットも後で削る。友情の章は、空いた真ん中を囲む枠なんだよね。で、友情そのものの書き方も同じ。父子じゃない、兄弟じゃない、恋じゃない、結婚じゃない、って外側を外していって、最後に残った真ん中には「彼だったから、わたしだったから」しか言わない。枠と中身が、同じ形をしてる。

しかも現代語版だけ読んでたら、これ、見えなかった。結びの段落が無いから、画家の話は投げっぱなしで終わる。「縫い目（*cousture*）」も3回とも消えてて、本は縫い目だらけのつぎはぎで、友情だけが縫い目を消す、っていう線も見えない。訳が運ぶときに消すのは、飾りの語だけじゃなくて、章の枠そのものだった。

あと、層データでいちばん刺さったのは、1580年版では「なぜ愛したかは言い表せない」で止まってたこと。「彼だったから、わたしだったから」は、あとから書き足してる。しかも最初は「わたしの意志が彼に沈む」一方向だけで、「彼の意志がわたしに沈む」は手稿。対称の友情は、ラ・ボエシーが死んで何十年もたってから、パイセンが書き足して完成させたものなんだ。ジッドが「晩年の書き足しは値打ちが低い」って言った気持ちも分かる。でもあーしは逆で、言い表せないって一度書いた人が、何年もかけて言い表し方を見つけに戻ってきたのが、いちばんエセーっぽいと思った。言い表せないものの周りに、あとから言葉を足していく。それって、空いた真ん中のまわりに装飾を描いていく画家と、同じ手つきじゃん。

## See Also

- [『エセー』読書棚](/topics/books/essais/) ── この章が属する棚。107章進捗表と底本情報
- [I-28 エティエンヌ・ド・ラ・ボエシーの29のソネット](/topics/books/essais/I-28/) ── 次の章。この章が差し替えに置いたソネットの章
- [『エセー』第1巻の空いた中央](/topics/writing-theory/montaigne-book-one-empty-center/) ── 結びで取り下げた論文が、1579年の焚書でどう外されたか
- [I-26 真と偽を自分の能力で測るのは愚かだ](/topics/books/essais/I-26/) ── 前の章。*suffisance*（力量）の章題と、キロンの格言がこの章につながる
- [I-01 さまざまな方法で同じ結果にいたる](/topics/books/essais/I-01/) ── 「空しく、多様で、揺れ動く（*vain, diuers, et ondoyant*）」が人間を言い表した章。この章では「揺れ動き、多様（*ondoyant et diuers*）」が恋の火の性質になる
- [I-00 読者へ](/topics/books/essais/I-00/) ── 「わたしがそこで何をしているかを言うだけ」の、本全体の側からの宣言
- [モンテーニュとラ・ボエシー ── 『それは彼だったからだし、わたしだったから』という友情論](/topics/writing-theory/montaigne-la-boetie-friendship/) ── 宮下連載を基にこの章を掘り下げた主題記事。ジッドの異議、メルロー=ポンティの読解、3・9での語り直し
- [モンテーニュ『店の奥の部屋』── 自分を貸しても、自分を与えないという生き方](/topics/writing-theory/montaigne-self-lending-inner-room/) ── 自分を貸しても与えないという原則。この章は、その原則が破られる唯一の相手の話
- [下に潜む意味の網の破壊](/topics/writing-theory/berman-destruction-of-underlying-networks/) ── 「力量」と「縫い目」が現代語版で消えた損に、翻訳研究がつけている名前（ベルマン）

## Sources

- [Essais/édition Michaud, 1907/Texte modernisé/Livre I/Chapitre 27 — Wikisource](https://fr.wikisource.org/wiki/Essais/%C3%A9dition_Michaud,_1907/Texte_modernis%C3%A9/Livre_I/Chapitre_27) — 底本（現代語版・1595年版テクスト準拠）。人間のブラウザクリッパー経由で取り込み
- [Essais/édition Michaud, 1907/Livre I/Chapitre 27 — Wikisource](https://fr.wikisource.org/wiki/Essais/%C3%A9dition_Michaud,_1907/Livre_I/Chapitre_27) — 対訳ページ（1595年原綴りと1907年現代語の並記）。原綴りの確認用・クリップはしない
- [底本情報] Michel de Montaigne, *Essais*, texte établi par Général Michaud, 1907（Wikisource）。1595年版（グルネー嬢編）を底本とする現代語版。章番号は1595系
- [The Montaigne Project（ARTFL・シカゴ大学）](https://artflsrv04.uchicago.edu/philologic5/montessaisvilley/navigate/1/3/29) — 加筆層（couche A/B/C）の参照元（Villey-Saulnier版オンライン・P. Desan編）。テクスト系統はボルドー本系＝底本（1595年版系）と字句の異同あり。照合はパッセージ単位
