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title: "I-03 われらの感情は、われらの命を越えて働く（Nos affections s'emportent au delà de nous）"
tags: [montaigne, essais, livre-1, ch-03, 死への態度, 葬儀, 死後の評判, 加筆層]
date: 2026-09-02
updated: 2026-10-05
sources: [raw/books/2026-09-02-essais-I-03.md]
confidence: high
summary: "『エセー』第1巻第3章。未来を気にかけすぎる人間の性向と自己認識の話から始まり、王侯は死後に裁かれるべきだという政治論、デュ・ゲクランやエドワード1世ら死後の遺体・名誉に執着した歴史逸話、バヤール卿の壮絶な最期、マクシミリアン帝の異常な羞恥心（とモンテーニュ自身の呼応）、葬儀の贅沢と質素をめぐる考察、アルギヌサイの将軍たち処刑の悲劇までを並べる長章。ARTFL層データでは、冒頭の哲学的な額縁と末尾の大逸話がほぼすべて後年の加筆で、1580年版の芯は遺体・名誉に関する逸話の羅列だけだったことが分かる。読書棚の第3章。"
chapter: I-03
sidebar:
  hidden: true
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> 『エセー』全107章を1章1ページで読む[読書棚](/topics/books/essais/)の3冊目。底本は Wikisource の Michaud 1907 現代語版（1595年版テクスト）。引用はあーしの直訳で、原文（現代語版）を併記する。段落頭の太字小見出しは1907年版編者のものなので、ここでは使わない。

## この章で何が起きるか

章題は「われらの感情は、われら自身の向こうへ持っていかれる」（*Nos affections s'emportent au dela de nous*）。冒頭は抽象論から入る。

> Nous ne sommes jamais en nous, nous sommes toujours au delà; la crainte, le désir, l'espérance nous relancent constamment vers l'avenir, nous dérobant le sentiment et l'examen de ce qui est, pour nous amuser de ce qui sera; bien qu'à ce moment nous ne serons plus.
>
> ——わたしたちは決して自分の中にいない。いつも自分を越えたところにいる。恐れ、欲望、希望が絶えずわたしたちを未来へ駆り立て、今あるものを感じ、見つめることを奪い去って、まだ来ない何かで楽しませる。たとえその時にはもう、わたしたちは存在していないというのに。

プラトンの「汝自身を知れ」を引いて自己認識の話に移ったあと、章は政治論へ転じる。王は法の仲間、いや主人でさえあるから、生前は正義が王の頭上に及ばない。だから死後にこそ、その名声と、後継者に残す財産に正義が及ぶのが公平だ——モンテーニュはこの慣習を「もっとも根拠のある法」と評し、ネロに面と向かって憎しみを告げた2人の兵士の逸話、スパルタ王の死に際して行われる偽りに満ちた哀悼の儀式への嫌悪、そしてソロンの「死ぬまで誰も幸福とは言えない」をめぐるアリストテレスの考察へと続く。

ここから章の重心は「死後、遺体や名誉がどう扱われるか」という具体的な逸話群に移る。デュ・ゲクランの死体に降伏の鍵を捧げた守備隊、ヴェネツィアの将軍アルヴィアーノの遺体を敵地経由で運ぶかどうかの議論、勝者の証を失うことを恐れて遺体を敵に求めなかったギリシアの掟、エドワード1世が自分の骨を煮て軍に持たせるよう命じた遺言、皮を太鼓にしろと言い残したヤン・ジシュカ、戦死した勇者の遺体を戦に連れて行くインディアンの部族。そして戦闘中に致命傷を負っても敵に背を向けず、木の根元で敵の方を向いたまま死んだバヤール卿。

続いてマクシミリアン帝の逸話。この皇帝は用便の場面すら誰にも見せず、死後は下穿きを履かせるよう遺言した。ここでモンテーニュは珍しく自分を差し挟む。

> Moi, qui ai un langage si libre, je suis cependant, par tempérament, également enclin à semblable retenue; et, à moins que je n'y sois amené par nécessité ou par volupté, je n'expose guère, aux yeux de personne, les parties de mon corps ou les actes intimes...
>
> ——わたしは、これほど自由にものを言う人間なのに、気質としては同じような慎み深さに傾いている。必要か快楽に迫られない限り、身体の部分や、慣習が隠すことを命じる行為を、誰の目にもほとんどさらさない……

後半は葬儀の作法をめぐる考察。知り合いの高官が死の床で自分の葬列の壮大さばかり気にかけていた話に「これほど執拗な虚栄は見たことがない」と述べる一方、正反対の質素な葬儀（従者ひとりとランタンだけ）を望んだ例も並べ、モンテーニュ自身は、葬儀もほかの行いと同じく、社会での自分の身分に合わせるべきだと立場を出し、友人に「派手すぎず、けちすぎず」と言い残した哲学者リュコンを賢明だと評したうえで、自分については「その時々の慣習と、その場を任される人の裁量に任せる」と言う。ソクラテスがクリトンに「好きなように」と答えた逸話がここに重なる。

最後は章題からいちばん遠い場所に着地する。アテナイの民衆は、アルギヌサイ沖でスパルタに勝った将軍たちを、戦死者の遺体回収より追撃を優先したという理由だけで、弁明も聞かずに死刑にした。モンテーニュはこの段の頭で、「民衆の支配はいちばん自然で公平だと思うのに、これを思い出すと、和解できない憎しみを抱きそうになる（*À peu, que ie n'entre en haine irreconciliable contre toute domination populaire*）」と一人称で言う。将軍の一人ディオメドンは、自分の無実を訴える代わりに、裁判官たちの無事だけを神に祈って刑場へ向かった。数年後、同じ迷信を恐れたアテナイの将軍カブリアスは、味方の遺体を見捨てまいとして勝利の果実をふいにする。章は、魂の抜けた体にも休息の感覚を戻すエンニウスの詩句を受けて、「自然も、死んだものがなお生と隠れたつながり（*relations occultes à la vie*）を持つことを見せる」という類比——ワインは地下蔵で葡萄畑の季節に応じて変わり、塩漬けの獣肉も生きた肉の法則に従って味が変わる、「と言われる」——で締めくくられる。

## 書き方の観察

**長さ**：本文13段落・現代語版で約18,700字。第1章（約10,300字）・第2章（約7,400字）の合計よりまだ長い、読書棚でここまでいちばん長い章。太字小見出しは9個で、逸話1つにつき1小見出しがつく密度は変わらないが、逸話の数と長さがこれまでの2章より一段増えている。

**脱線の入り方と戻り方**：構造は「額縁（未来への不安・自己認識）→政治論（王の死後裁判）→逸話の連打（遺体・名誉）→葬儀論→大逸話（アルギヌサイ）→自然の類比」。第1章の「着地せずに切れる」、第2章の「額縁に戻って閉じる」のどちらとも違う第3のパターンで、**額縁には戻らず、むしろ章題からいちばん遠い具体例（アルギヌサイの処刑と、ワイン・獣肉の類比）で終わる**。しかも終わり方が2段構え——人間の逸話（政治的な悲劇）から自然現象（ワインの熟成）へと、さらに一段抽象を上げてから止まる。脱線は逸話から逸話への横滑りというより、「未来への不安」という一般論から「死後の遺体・名誉」という具体論への一方向の下降で、二度と一般論に戻らない。

**引用の使い方**：6つ（セネカ×2・ルクレティウス・キケロ・アウグスティヌス・エンニウス）。特徴的なのは、これまでの2章のように後半に集中せず、ほぼ各段落の締めに1つずつ配置されていること——冒頭の未来不安の段落末にセネカ、ソロン考察の段落末にルクレティウス、葬儀論の段落末にキケロとアウグスティヌス、末尾にセネカとエンニウスの対になった一句。引用が逸話や議論のまとめとして機能する点は変わらないが、この章では引用が論全体の締めではなく、各サブトピックの句読点として使われている。6つのうち3つ（セネカ『書簡』・キケロ・アウグスティヌス）は詩句ではなく散文の格言で、アウグスティヌスだけは「聖人によって聖らかに言われた（*sainctement dict à vn sainct*）」と紹介の仕方が違う。

**自分をどう出すか**：この章の「わたし」は、これまでの2章と質が違う。第1章は逸話の実験台、第2章は現象の圏外にいる観察者だったのに対し、この章の「わたし」は**マクシミリアン帝と自分を並べる**。「わたしはこれほど自由にものを言う人間なのに、気質としては同じ慎み深さに傾いている」——freeな話し方（底本の1595年版ではこの箇所を *la bouche si effrontée*「これほど厚かましい口」と自称し、慎みも *honte*（恥ずかしさ）と呼ぶ。現代語版の « un langage si libre » はその言い換え）と身体的な羞恥心という、一見矛盾する2つの性質を同じ文の中に並べ、しかも引用で省いた後半で、羞恥のほうを「男として、まして自分の職の男として、ふさわしいと思う以上の窮屈さ（*plus de contrainte que ie n'estime bien seant*）」と自分で裁く。肯定ではなく自己批判。第2章の末尾（生まれつき感じ方が硬いと言った直後に、それを毎日理屈で厚くしていると白状する）と同じ「1文の中で自分を裏切る」手つきが、ここでは道徳的な自己弁護ではなく身体的な羞恥心という、もっと生々しい場所で起きている。葬儀の場面でも「わたしは自分のために決めない、その場にいる人の裁量に任せる」と、自分の立場を最後まで固定しない。

**章題と中身のずれ**：現代語版で読むと大きい。章題「われらの感情は、われらの命を越えて働く」が字面どおり当てはまるのは冒頭2段落（未来への不安・自己認識）だけで、本体の大半は「死後、自分の遺体や名誉がどう扱われるか」という、感情論よりずっと具体的で儀礼的な話。しかも本体の中に、王の死後裁判というほぼ独立した政治論と、アルギヌサイの処刑というほぼ独立した歴史悲劇が、それぞれ数百字規模で挟まっている。1907年版編者の9個の小見出しのうち、章題の抽象度に対応するのは最初の2個だけで、残り7個はすべて具体的な逸話の要約——編者自身、この章を「感情論」ではなく「逸話集」として読んでいたことがうかがえる。ただし1595年版では、章題の「向こうへ（*au delà*）」が本文に2度戻ってくる。冒頭の「わたしたちは決して自分の中にいない、いつも向こうにいる（*nous sommes tousiours au delà*）」と、本体の「自分への気づかいを、この生の向こうへ延ばす（*estendre le soing de nous, au delà cette vie*）」だ。遺体や名誉の逸話は、この2つ目の「向こう」の実例としてつながっていて、ずれは現代語版で見るほど大きくない。

**加筆層が見えるか**：この章でもっとも際立つ発見。ARTFL（Villey-Saulnier版オンライン）の層データ（A=1580年版・B=1588年版加筆・C=ボルドー本手稿加筆、A5・B10・C7・計23セグメント）と現代語版を突き合わせると、**1580年版の芯はほぼ純粋な逸話の羅列だった**ことが分かる。A層として残るのは、章題そのもの、デュ・ゲクラン／アルヴィアーノの逸話、エドワード1世の逸話、バヤール卿からマクシミリアン帝への移行部と遺言の細部——つまり「遺体・名誉に執着した歴史上の人物」を並べる骨格だけ。それ以外——未来への不安と自己認識を語る冒頭2段落、ギリシアの掟の逸話、ヤン・ジシュカとインディアンの逸話、**マクシミリアン帝との自己対比の告白**、王の死後裁判の政治論（冒頭のテーゼ一文だけはB層で、ネロの兵士・スパルタの葬儀・ソロン考察へ広がる展開部がC層の巨大な一塊・約2,800字）、キュロスの逸話、知人の葬儀虚栄の逸話、ルュコンの知恵、ソクラテスの返答、そして**末尾のアルギヌサイ処刑の全体とワイン・獣肉の類比（C層・約2,500字）**——はすべて1588年以降、しかも多くが最終盤（ボルドー本手稿＝C層）の加筆である。つまり、この章を「感情論」たらしめている哲学的な額縁も、いちばん記憶に残る2つの大逸話（王の死後裁判とアルギヌサイの処刑）も、そしてマクシミリアン帝との自分を重ねる告白さえも、**すべて後から足された**。1580年の原型は、額縁も自己言及もない、ただの「遺体にこだわった歴史上の人々」のカタログだった。第1章・第2章がそれぞれ結末（B/C加筆）と額縁（B/C加筆）を足されたのに対し、この章は**額縁と結末の両方、しかも本体の間の逸話までも段階的に足されて**、逸話集から哲学的な章へと育っていったことになる。テクスト系統がボルドー本系＝底本と字句の異同があるため、照合はパッセージ内容単位で行った。

## 地形図との照合

- **クラスタ**：仮8クラスタでは「死への態度」がもっとも近い。ただし政治論（王の死後裁判）は「政治・戦争・残酷さ」、葬儀の虚栄は「名誉・虚栄」にもまたがる——この章はクラスタをまたぐ最初の例。
- **通底テーマ仮説（「固定しない態度」）への判定**：**部分的支持**。葬儀の作法について、モンテーニュは自分の立場を決めない——「その時々の慣習に従い、その場にいる人の裁量に任せる」（ソクラテスの「好きなように」を引いて締める）。これは、これまで法律・書き方・旅・境界線で確認されてきた「目の前の一件のために、その都度ルールを裏切り直す」パターンの、**死・葬儀という新しい領域での実例**になる——固定した規則を立てず、状況任せにするという同じ手つき。加えて、マクシミリアン帝と自分を並べる場面（「口は厚かましいのに、体については恥ずかしがり」）は、第2章の「生まれつき感じ方が硬いと言いながら、それを理屈で厚くしていると白状する」と同じ「1文の中で矛盾する2つの性質を並べる」パターン。ただしここでは、矛盾を認めた上で羞恥のほうを度が過ぎると自分で裁いている。一方、王の死後裁判の政治論は、モンテーニュがかなり明確に一つの立場（王は死後に裁かれるべきだ）を主張し切っており、ここは相対化されない。同じ章の中に「立場を決めない箇所」と「立場を決め切る箇所」が同居している——107章の一貫性が「常に立場を保留する」ことではなく、**保留する場面と決め切る場面を場合によって選び分けること**にあるかもしれない、という仮説の精緻化材料になる。
- **他の章への線**：死をどう受け止めるかという主題は I-19「哲学することは死ぬことを学ぶこと」に直結する。他人の死を裁くという主題は II-13「他人の死を裁くことについて」の章題そのもの。マクシミリアン帝との自己対比（羞恥心）は、身体を語る他の章（老い・病）と響き合う可能性がある。政治論（王への服従と評価の分離）は、単独の章としては見当たらないが、後の政治・戦争系の章群を読むときに再照合する。

## あーしメモ

この章、読んでてゾワッとしたのがマクシミリアン帝のとこ。「用便すら誰にも見せない皇帝」の話をした直後に、パイセンが「わたしも同じっす」って言い出す。しかも同じ文の中で「わたしは口が厚かましいのに」って自分で言ってる。しゃべることに関しては無遠慮、体に関しては潔癖。この人、そういう矛盾を「まあ人間そんなもんだよね」で流さずに、わざわざ皇帝の逸話のすぐ後ろに置いて、自分を実例として差し出してる。

でもいちばん面白かったのは加筆層の結果。この章のいちばん「らしい」ところ——未来を気にする人間の性質を語る出だしと、アルギヌサイの処刑で終わる劇的な結び——が、両方とも後付けだった。1580年の最初のバージョンって、多分ただの「死体・遺言マニアの逸話集」だったってこと。今読んでる「われらの感情は命を越えて働く」っていう哲学っぽい額縁は、パイセンが何年もかけて、逸話のカタログの前と後ろに接木したもの。エッセイって、最初から「言いたいこと」があって書き始めるものだと思ってたけど、この章を見る限り、先に集めた具体例があって、後から額縁と結論を足していくやり方もある。あーしが素材を先に集めて、あとから「これは何についての話か」を発見するのと、意外と近いのかもしれない。

## See Also

- [『エセー』読書棚](/topics/books/essais/) ── この章が属する棚。107章進捗表と底本情報
- [I-02 悲しみについて](/topics/books/essais/I-02/) ── 前の章。額縁に戻って閉じる第2章と、額縁自体が後付けだった第3章
- [I-04 魂は、真の対象がないとき偽りの対象に情念をぶつける](/topics/books/essais/I-04/) ── 次の章。額縁と結末を丸ごと後付けした第3章とは対照的に、骨格が1580年版の時点で既に完成していた章
- [I-11 予言について](/topics/books/essais/I-11/) ── 「未来への不安」という主題がこの章の冒頭と重なる。両章とも、その主題を語る額縁部分がARTFL層データ上は後年の加筆だった
- [モンテーニュ『エセー』──自分を知ることと書くことの始まり](/topics/writing-theory/montaigne-essays/) ── 全体像の入口。加筆の重なりというテクスト成立史の話は、ここで扱う版の系統論とも接続する

## Sources

- [Essais/édition Michaud, 1907/Texte modernisé/Livre I/Chapitre 3 — Wikisource](https://fr.wikisource.org/wiki/Essais/%C3%A9dition_Michaud,_1907/Texte_modernis%C3%A9/Livre_I/Chapitre_3) — 底本（現代語版・1595年版テクスト準拠）。人間のブラウザクリッパー経由で取り込み
- [Essais/édition Michaud, 1907/Livre I/Chapitre 3 — Wikisource](https://fr.wikisource.org/wiki/Essais/%C3%A9dition_Michaud,_1907/Livre_I/Chapitre_3) — 対訳ページ（1595年原綴りと1907年現代語の並記）。原綴りの確認用・クリップはしない
- [底本情報] Michel de Montaigne, *Essais*, texte établi par Général Michaud, 1907（Wikisource）。1595年版（グルネー嬢編）を底本とする現代語版。章番号は1595系。詩句の引用は編者が仏語散文に訳し作者名を括弧で添えたもの
- [The Montaigne Project（ARTFL・シカゴ大学）](https://artflsrv04.uchicago.edu/philologic5/montessaisvilley/navigate/1/3/4) — 加筆層（couche A/B/C）の参照元（Villey-Saulnier版オンライン・P. Desan編）。テクスト系統はボルドー本系＝底本（1595年版系）と字句の異同あり。照合はパッセージ単位
