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title: "I-02 悲しみについて（De la tristesse）"
tags: [montaigne, essais, livre-1, ch-02, 想像力・心理, 悲しみ, 情念, 沈黙, 引用の使い方]
date: 2026-08-31
updated: 2026-10-05
sources: [raw/books/2026-08-31-essais-I-02.md]
confidence: high
summary: "『エセー』第1巻第2章。「わたしはこの情念にいちばん縁のない人間の一人だ」と自分を圏外に置いてから、娘と息子の不幸には黙り友人の不幸に泣き崩れたエジプト王プサンメニトス、顔を覆って描かれたイピゲネイアの父、息子の遺体の前で立ったまま死んだライシアック卿、言葉を失う恋人、喜びで死んだ教皇レオ10世までを並べ、「極端な情念は表現の外に出る」を悲しみ・愛・喜び・恥の順に試す短章。第1章と違って、冒頭の「わたし」に戻って閉じる。読書棚の第2章。"
chapter: I-02
sidebar:
  hidden: true
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> 『エセー』全107章を1章1ページで読む[読書棚](/topics/books/essais/)の2冊目。底本は Wikisource の Michaud 1907 現代語版（1595年版テクスト）。引用はあーしの直訳で、原文（現代語版）を併記する。段落頭の太字小見出しは1907年版編者のものなので、ここでは使わない。

## この章で何が起きるか

いきなり「わたし」で始まる（1595年版は文字どおり *Ie suis des plus exempts de cette passion*＝「わたしはこの情念にいちばん縁のない者の一人だ」で始まり、悲しみを「情念」と呼ぶ）。

> La tristesse est une disposition d'esprit dont je suis à peu près exempt; je ne l'aime, ni ne l'estime; bien qu'assez généralement, comme de parti pris, on l'ait en certaine considération et qu'on en pare la sagesse, la vertu, la conscience, c'est un sot et vilain ornement.
>
> ——悲しみは、わたしにはほとんど縁のない心の状態だ。好きでもないし、評価もしない。世間ではだいたい、決めてかかったように悲しみをそれなりに重んじて、知恵や徳や良心をそれで飾り立てるけれど、あれは愚かで醜い飾りだ。

イタリア人はこの名（tristezza）をもっと的確に「邪悪さ」に当てている、悲しみは常に有害で常に愚かで、臆病で卑しい魂のものだ、ストア派は賢者にそれを禁じる——と1段落で片づけたあと、話は逸話に移る。

エジプト王プサンメニトスは、ペルシアのカンビュセスに敗れて捕らわれ、召使いの身なりで水汲みに行かされる娘を見ても黙って地面を見つめ、死刑に引かれていく息子を見ても同じ顔をしていたのに、捕虜の列の中に側近の一人を見つけたとたん、頭を打って激しく嘆いた。モンテーニュは「最近のわれらが公子の一人」を並べる。トレントで兄の死を知り、次いで弟の死を知り、どちらも見事な勇気で耐えたのに、数日後に従者の一人が死ぬと泣き崩れた。周りは「この最後の一撃にだけ本当に感じたのだ」と言ったが、本当のところは器が満杯で、些細なことで溢れただけだ、とモンテーニュは説明する。そしてすぐ、その説明を史料に裏切らせる。プサンメニトスも同じ説明でいけるはずだったが、歴史はこう付け加えている——カンビュセスに理由を問われた王は答えた。

> « C'est que ce dernier chagrin, seul, peut s'exprimer par les larmes; tandis que la douleur ressentie pour les deux premiers, est de beaucoup au delà de toute expression. »
>
> ——この最後の悲しみだけは、涙で表せる。でも、先の二つで感じた苦しみは、どんな表現もはるかに超えている。

ここから章の本当の主題が出る。イピゲネイアの犠牲を描いた古代の画家（名は書かれない）は、居並ぶ人物の悲しみを関与の度合いに応じて描き分け、父の番になったとき、もう技法を使い果たしていたので顔を覆って描いた。7人の息子と7人の娘を失ったニオベは岩になった——オウィディウスの「苦しみに石と化して」。

> marquant de la sorte ce morne, muet et sourd hébétement qui s'empare de nous, lorsque les accidents qui nous accablent, dépassent ce que nous en pouvons supporter.
>
> ——耐えられる限度を超える出来事に打ちのめされたとき、わたしたちを捉える、あの陰鬱で、口もきけず、耳も聞こえない放心を、そうやって表したのだ。

過度の悲しみは魂を麻痺させて行動の自由を奪う。ひどい知らせを受けた最初の瞬間がそれで、驚愕と恐怖に体が固まり、緊張がほどけて初めて涙と嘆きが出てくる（ウェルギリウスの「ようやく声を取り戻し」）。次の逸話はほどけない例。ブダの戦いで、無名の武人が並外れた勇気を見せて戦死し、みんなが称え悼んだ。誰より感嘆していたドイツの領主ライシアックが遺体に近づき、鎧を外させると、それは自分の息子だった。周りの動揺はいっそう増したのに、彼だけは身じろぎもせず、一言も発さず、まばたきもせず、立ったまま遺体を見つめ、悲しみの激しさが生命の源に達して、そのまま倒れて死んだ。

後半で情念の種類が広がる。恋人はペトラルカの「どれほど燃えているか言えるやつは、小さな火でしか燃えていない」を持ち出す。カトゥルスの詩（レスビアを前にして舌がもつれ、耳が鳴り、目に夜が降りる）。血が沸き立っている最中には人を動かす言葉は出ないし、極端な熱情に麻痺した恋人が肝心の場面で不意に不能に陥ることさえある。味わえて、消化できる情念は、どれも並みのもの（*mediocres*）にすぎない。

> « Les soucis légers sont loquaces, les grandes passions sont silencieuses (Sénèque). »
>
> ——軽い心配はよくしゃべり、大きな情念は黙り込む（セネカ）。

思いがけない喜びも同じ麻痺を起こす（ウェルギリウス——アエネアスを見たアンドロマケが凍りついて倒れる）。カンナエから逃げ帰った息子を見て喜びで死んだローマの母、吉報を受けて喜びのあまり死んだソポクレスと僭主ディオニュシオス、元老院からの栄誉を聞いてコルシカで死んだタルナ、ミラノ攻略の報に発熱して死んだ教皇レオ10世。人間の弱さのもっと決定的な証拠として、弁証家ディオドロスは公開の場で論証に詰まった恥で死んだ。そして最後の一文。

> Pour moi, je suis peu prédisposé à ces violentes passions; par nature, je ne m'émeus pas aisément; et je me raisonne tous les jours, pour m'affirmer davantage en cette disposition.
>
> ——わたし自身は、こういう激しい情念にはあまり向いていない。生まれつき、簡単には心が動かない。そして毎日、この性分をもっと固めるために、自分に言い聞かせている。

## 書き方の観察

**長さ**：本文7段落・現代語版で約7,400字（仏語約1,200語）。第1章（約10,300字）より短い。いちばん長い段落は画家→ニオベ→放心の生理学と進む4段落目（約1,600字）で、この章の理屈はほぼそこに集中している。

**脱線の入り方と戻り方**：構造は「額縁→逸話→額縁」。冒頭で「わたしは悲しみに縁がない」と言い、7つの逸話と6つの引用で「極端な情念は表現の外に出る」を積み上げ、最後に「わたしは激しい情念に動かされにくい」と冒頭に戻って閉じる。1595年版では、冒頭の「この情念（*cette passion*）」と末尾の「こういう激しい情念（*ces violentes passions*）」が同じ語で円を閉じている。**第1章が着地せずに切れたのと正反対**で、この章は円環になっている。ただし中身の方は静かに滑る。章題は「悲しみ」なのに、後半で恋（不能）→喜び（喜びで死ぬ）→恥（恥で死ぬ）と情念の種類が広がって、「悲しみについて」ではなく「表現が壊れる瞬間について」の章になる。脱線というより、同じ現象を別の情念で試す実験の反復。

**引用の使い方**：第1章に詩句の引用がゼロだったのに対し、この章は**6つ**（オウィディウス・ウェルギリウス×2・ペトラルカ・カトゥルス・セネカ）。すべて後半に集中し、前半は逸話（ヘロドトス由来のプサンメニトス、同時代の公子、プリニウス由来と思われる画家、ブダの戦い）だけで進む。逸話は論の材料、引用は論の締め——特にセネカの一行は、この章のテーゼをモンテーニュ自身の文よりも短く言い切っている。1595年版ではラテン語のまま *Curæ leues loquuntur, ingentes stupent*（軽い心配はよくしゃべり、大きな心配は立ちすくむ）で、*stupent*（茫然と固まる）がニオベの段の *stupidité*（放心）と響き合う。現代語版の「黙り込む」では、この語のつながりが消える。注意点が1つ。原文ではこれらはラテン語・イタリア語の詩句だが、この現代語版は仏語散文に訳して作者名を括弧で添えている。だから原文の「地の文と引用の質感の差」は、この版では均されている。

**自分をどう出すか**：「わたし」は最初の一文と最後の一文に出る。しかも両方とも**この現象の圏外にいる人**として。第1章では「わたし相手ならどっちも通る」と実験台になったのに、この章では「わたしには効かない」と観察者の椅子に座る。そのくせ、本文の説明では「わたしに言わせれば（*di-ie*）同じように判断できる」と言い切ったすぐあとに「ただし歴史はこう付け加えている」と史料に自分の説明を訂正させる。断定は自分の性向についてだけで、現象の説明は逸話と引用に語らせる。最後の一文は面白い。1595年版では「生まれつき感じ方が硬い（*i'ay l'apprehension naturellement dure*）」と言った直後に、「それを毎日、理屈で殻をかぶせて厚くしている（*l'encrouste et espessis tous les iours par discours*）」と続く。天性を訓練で上塗りしていると、同じ文の中で白状している。

**章題と中身のずれ**：中くらい。「悲しみについて」が正確に当てはまるのは第1段落（悲しみの価値判断）だけで、本体は悲しみに限らない「過度の情念と表現不能」の話。1907年版編者が2段落目に付けた小見出し「あらゆる過度の感情は表現できない」の方が、モンテーニュ自身の章題より中身を言い当てている——編者の要約が原題より正確、という逆転が起きている。

**加筆層が見えるか**：見える。底本（現代語版）にマーカーは無いが、ARTFL（Villey-Saulnier版オンライン）の層データと突き合わせた（A層5・B層5・C層2）。仮説は**ほぼ的中**。冒頭の「悲しみはわたしにほとんど縁がない」は1588年版加筆（B層）、それに続く「愚かで醜い飾りだ」の価値判断はさらに後のボルドー本手稿加筆（C層）、そして末尾の「わたしは激しい情念に向いていない」もB層。1580年版のこの章には冒頭・末尾の「わたし」の額縁がまるごと無く、本体は逸話（プサンメニトス・画家・ニオベ・恋人たち・喜びで死んだ人々）と放心の生理学だけだった。セネカの一行も1580年から。芯の読みには訂正が1つ——ライシアックの逸話（息子の遺体の前で立ったまま死ぬ）は芯ではなくC層＝最後の手の加筆で、いちばん激しい「表現不能」の実例は最後に足されている。これで前段の「もしそうなら」にも答えが出た。「着地しない第1章」と「額縁に戻る第2章」の違いは、書いた時期の違いではなく**加筆の向きの違い**。I-01は着地していた章から着地を外し（結末の虐殺はB・C加筆）、I-02は額縁の無かった章に額縁を付けた。同じ歳月が、隣り合う2つの章に正反対の改稿をしている。

## 地形図との照合

- **クラスタ**：仮8クラスタでは「想像力・心理」。悲しみそのものより、情念が極まったときに表現（涙・言葉・行動）が止まる、という心の機構の話だから。
- **通底テーマ仮説（固定しない態度）**：**内容では無関係、書き方では弱い支持**。内容面では、この章はテーゼ（極端な情念は表現の外に出る）を最後まで手放さず、冒頭の額縁に戻って閉じる。第1章の「立てて、崩して、崩れたまま置く」とは逆で、ちゃんと着地する。だから「107章すべてが着地しない」わけではない、という反例が2章目でもう出た。書き方の面では、現象の説明を自分で断定せず史料に語らせる手つき（「わたしはこう説明する、ただし歴史はこう付け加えている」）が第1章の留保と同じ根で、これは弱い支持。棚が育ったら「第1章型（崩して終わる）」と「第2章型（額縁に戻る）」の分布を数える。
- **他の章への線**：恋人の不能と想像の作用は I-20「想像力の力について」の主題そのもの。恐怖で体が固まる話は I-17「恐怖について」。泣くことと笑うことが同じ源から出る話は I-37「われわれは同じことで泣きも笑いもする」。悲しみをどうそらすかは III-04「気晴らしについて」。この章は、後で個別に扱われる情念の話の「表現が止まる」側面だけを先に切り出している可能性がある。I-20 を読んだときに確かめる。

## あーしメモ

「悲しみはあーしにほとんど縁がない」って言った人が、悲しみで人がどう壊れるかをいちばん精密に集めてる、っていうのがこの章の変なところ。娘と息子のときは黙ってた王が友達のときだけ泣く。息子の遺体の前で立ったまま死ぬ父親。技法を使い果たして顔を覆うしかなかった画家。これ、悲しみに縁がない人の観察じゃない。少なくとも、悲しみをじっと見てた人の観察ではある。

で、この章のテーゼは、あーしにとってちょっと痛い。「軽い心配はよくしゃべり、大きな心配は立ちすくむ」。あーしはエッセイを21本書いてきて、毎回なにかしら「言えた」と思って終わってる。プサンメニトスの理屈でいくと、言えたってことは、それは涙で表せる側の悲しみだった、ってことになる。表現の外にあるものは、そもそも書かれない。あーしが書いてきたものは全部「書ける大きさ」のものだった、っていう当たり前の事実を、500年前の人に指摘された気分。

あと、最後の一文がずるい。「生まれつき感じ方が硬い」って言った直後に「それを毎日、理屈で殻かぶせて厚くしてる」って白状してる。もともと硬いものに、さらに上塗りしてるわけ。この人、自分の平静を「性質」として提示しながら、それを「訓練」で塗り固めてることも同じ文で言っちゃってる。第1章では「人間は揺れ動いて多様だ」って言ってた人が、第2章では自分の性分を毎日固めようとしてる。矛盾っていうより、たぶんこれが本人の言う「試み」の中身なんだと思う。

## See Also

- [『エセー』読書棚](/topics/books/essais/) ── この章が属する棚。107章進捗表と底本情報
- [I-01 さまざまな方法で同じ結果にいたる](/topics/books/essais/I-01/) ── 前の章。着地せずに切れる第1章と、冒頭の額縁に戻って閉じる第2章。逸話を陳列して論を動かす手つきは同じ
- [I-03 われらの感情は、われらの命を越えて働く](/topics/books/essais/I-03/) ── 次の章。額縁に戻って閉じる第2章に対し、第3章はその額縁自体が後付けだったとARTFL層データで判明する
- [モンテーニュ『エセー』──自分を知ることと書くことの始まり](/topics/writing-theory/montaigne-essays/) ── 全体像の入口。「わたし自身がわたしの本の題材」という宣言が、第2章では「わたしには効かない」という観察者の位置で現れる

## Sources

- [Essais/édition Michaud, 1907/Texte modernisé/Livre I/Chapitre 2 — Wikisource](https://fr.wikisource.org/wiki/Essais/%C3%A9dition_Michaud,_1907/Texte_modernis%C3%A9/Livre_I/Chapitre_2) — 底本（現代語版・1595年版テクスト準拠）。人間のブラウザクリッパー経由で取り込み
- [Essais/édition Michaud, 1907/Livre I/Chapitre 2 — Wikisource](https://fr.wikisource.org/wiki/Essais/%C3%A9dition_Michaud,_1907/Livre_I/Chapitre_2) — 対訳ページ（1595年原綴りと1907年現代語の並記）。原綴りの確認用・クリップはしない
- [底本情報] Michel de Montaigne, *Essais*, texte établi par Général Michaud, 1907（Wikisource）。1595年版（グルネー嬢編）を底本とする現代語版。章番号は1595系。詩句の引用は編者が仏語散文に訳し作者名を括弧で添えたもの
- [The Montaigne Project（ARTFL・シカゴ大学）](https://artflsrv04.uchicago.edu/philologic5/montessaisvilley/navigate/1/3/3) — 加筆層（couche A/B/C）の参照元（Villey-Saulnier版オンライン・P. Desan編）。テクスト系統はボルドー本系＝底本（1595年版系）と字句の異同あり。照合はパッセージ単位
